第46話「水の一族と、最初の試練」
帝都劇場での決戦から、数日が過ぎた。 近衛邸には、一時の平穏が戻っていた。 私は、失われた力を取り戻すべく、午前中は清継様の「静」の教えで気の流れを学び、午後は清馬様の「動」の教えでそれを実践するという、自分なりの修行を始めていた。 私が庭で真剣に気を練っていると、縁側から見守る双子の若様の、熱っぽい視線が肌に絡みつくのを感じる。 修行に集中したいのに、こればかりはどうしようもなかった。
その日の午後、書斎には、私と双子、楓、そして鷹司様の五人が集まっていた。
「父上より、新たな使命を授かった」
清継様が、テーブルに広げられた帝都の古地図を前に、重々しく口を開く。
「我々の使命は、二条先輩や影向の残党より先に、五摂家それぞれに封印された『影向の始祖の魂の欠片』を、全て探し出し、保護することだ」
すると、鷹司様が古地図の一点を指し示しながら、専門家としての見解を述べた。
「五摂家の封印は、互いに繋がっている。もし異変が起きているとすれば、五つの封印の中でも最も『流れ』が清浄な、一条家の『水』の封印に、最初に兆候が現れるはずだ」
その言葉を受け、楓が力強く申し出た。
「ならば、話は早いですね。最初の目的地は、私の家、一条家です。父には、私から話を通しておきます」
「だが、楓さん」
鷹司様は僅かに眉をひそめる。
「君の父君は、五摂家の中でも最も古き伝統を重んじるお方だ。琴葉さんの力は本物だが、その出自を問われるやもしれん。心して臨まれよ」
鷹司様の懸念に、楓の表情がどこか硬くなった。
「…ええ。父が、琴葉の力を素直に認めるとは、思えません」
翌日、私たちが訪れた一条家の屋敷は、清らかな小川が流れ、美しい日本庭園が広がる、水の清らかさと静寂に満ちた、雅やかな場所だった。 応接間で私たちを出迎えたのは、楓の父君であり、一条家現当主である一条 景親様。 彼は、娘である楓には穏やかな目を向けつつも、双子と、そして何より私に対しては、鋭く、値踏みするような視線を向けていた。
「話にならん」
清継様が今回の訪問の目的を丁寧に説明し終えると、景親様は冷たく言い放った。
「近衛の跡取りが、その力の根源も定かではない庶民の娘を『伝説の巫女』などと祭り上げ、五摂家をかき乱すとは。一条家の聖域に、そのような不確かなものを入れるわけにはいかん」
「お父様!彼女は不確かなものではありません!彼女の力は本物です!彼女がいなければ、近衛の二人は、そして帝都の多くの人々が救われなかったのですよ!」
楓が激しく反論するが、父君の厳格な態度は変わらない。
「……ならば聞くが」
景親様は、深く溜め息をつくと、自らの苦悩を吐露した。
「その巫女とやらに、この一条家の異変を解決できるのか?」
彼が言うには、一条家の力の源泉である、庭の聖なる泉が、ここ数ヶ月、原因不明のまま濁り続け、その浄化の力を失いつつあるのだという。
その言葉に、私は意を決して一歩前に出た。
「恐れながら、当主様。その泉を、私に拝見させてはいただけないでしょうか」
訝しむ景親様に案内され、泉の前に立った私は、息を呑んだ。 美しい庭には不釣り合いなほど、水はよどみ、淀んだ空気を放っている。
(清継様の『器』、清馬様の『熱』……そして、私の『心』!)
私は、祈るようにそっと泉の水面に指を触れた。 その指先から、ほんの僅かな、しかしどこまでも清らかな真珠色の光が放たれる。 光は、水面に美しい波紋を描き、その波紋が広がった部分だけが、嘘のように元の澄んだ水の色を取り戻していく。 それは、泉全体を浄化するにはあまりに小さな力だったが、そこにいる誰もが、それが本物の「破魔の光」の片鱗であることを、肌で感じ取っていた。
目の前の奇跡に、あれほど厳格だった景親様が、言葉を失っていた。 その瞳には、これまで守ってきた伝統の重さと、娘が信じる友人が示した力への驚き、そして安堵のような複雑な揺らぎがよぎる。 やがて彼は、私の前に進み出ると、深々と頭を下げた。
「巫女殿。私の非礼を、許されよ。娘が、良き友を得たことを、心から嬉しく思う」
彼は、私たちを封印の祭壇へと案内してくれた。 幸い、封印そのものはまだ無事だった。
「泉の力が弱まっているのは、封印が弱まっている兆候かもしれん。五摂家の封印は、互いに繋がっている。一つが弱まれば、他の封印にも影響が出るだろう」
彼の言葉は、私たちの戦いが、まだ始まったばかりであることを示していた。
帰り道。 楓が、得意げに私の腕を組む。
「どう?私の父も、あなたの力は認めざるを得なかったようね。……いいこと?琴葉は、近衛家だけの巫女じゃないわ。この一条家の、大切な友人でもあるのだから。この二人にばかり、独占させてはおかないわよ」
そう言うと、彼女は双子に見せつけるように、私をぎゅっと抱きしめ、耳元でそっと囁いた。
「それに、あなた、少し顔色が悪いわ。無理は禁物よ」
その言葉に、私は顔を赤らめるしかなかった。 双子の若様たちが、その光景を少しだけ複雑な表情で見つめているのを感じながら。
屋敷に戻った後、清継様はすぐに父君である清顕様の書斎へと向かった。 私はお茶をお持ちするよう言いつけられ、書斎の扉の前まで来た、その時だった。 中から、清継様の緊迫した報告の声と、当主様の重々しい声が漏れ聞こえてきた。
「…はい。一条家の封印は無事でした。しかし、聖域そのものの力が弱まっています。これは、おそらく……」
「…おそらく、二条の仕業ではないな。奴のやり口とは違う。…これは、影向の残党か。あるいは、全く別の、第三の勢力か……」




