第44話「混沌の舞台と、戯者の喝采」
二条様の放った風の刃「鎌鼬」が、儀式の中心である譜面台に直撃した。 しかし、譜面台は破壊されない。 代わりに、甲高い悲鳴のような音を立て、集められていた膨大な負のエネルギーが制御を失い、黒い嵐となって奈落全体に吹き荒れた。
「貴様、何をした!せっかく集めた贄の力が……!」
影向の術師が、奏様に激昂する。 しかし、彼の言葉は、自らの断末魔に変わった。
「ぐ、うわあああああっ!」
行き場を失った負のエネルギーは、その発生源である術師自身に牙を剥き、黒い靄が彼を包み込む。 その体は奈落にあるガラクタ――壊れたマネキン、古い舞台衣装、無数のワイヤー――を巻き込みながら、巨大な、禍々しいキメラのような怪物へと変貌を遂げていく。
その、あまりに絶望的な光景を前に、奏様は楽しそうに呟いた。
「おや、器が壊れてしまったようだ。これでは、ただの獣だね。……さて、巫女様。君の光は、この混沌を照らすことができるかな?」
彼は戦闘に加わることなく、高みの見物を決め込むように、すっと壁際まで後退した。
もはや知性はなく、ただ破壊と捕食の衝動に支配された怪物が、その場にいる全ての生命を喰らおうと、無差別に攻撃を開始した。 清馬様の雷も、楓の水も、怪物の巨大な体にはほとんど効果がない。 攻撃を受ければ受けるほど、周囲のガラクタを吸収し、さらに巨大化・再生していく。
その時だった。 怪物は、自分を攻撃してくる異能者たちには目もくれず、その無数の複眼のような瞳を、ただ一点に向けた。
私だ。
『……巫女……光……喰らう……』
怨念の塊から響く、断片的な声。 怪物は、咆哮と共に、私だけを標的に、直線的に突進してきたのだ。
「琴葉さん!」
咄嗟に、清継様が私の前に立ちはだかり、「天網」の結界を展開する。 しかし、怪物のあまりに強大な一撃の前に結界は砕け散り、彼の肩を、ワイヤーの触手が深く抉った。
「兄上!」
「攻撃は無意味だ!目的を変更する!怪物をこの場に釘付けにし、琴葉さんを守り抜け!」
清継様の的確な指示が飛ぶ。 私たちは、攻撃から「時間稼ぎ」と「私の護衛」へと、戦術を切り替えた。 楓の「水天方陣」が怪物の動きを鈍らせ、清馬様が「紫電・一閃」の連続攻撃で私に向かう触手を叩き落とす。 清継様は、負傷した肩の痛みを堪えながら、幾重にも『雷の檻』を張り巡らせ、怪物の巨体を縫い留めようと試みていた。
絶望的な状況の中、私は必死に「眼」を凝らす。
(あれは、ただの怪物じゃない。苦しんでいる、たくさんの魂の牢獄なんだ……!)
そして、私の耳に、声が聞こえ始めた。
『助けて』 『苦しい』 『ここから出して』
怪物の体内から響く、無数の魂たちの、悲痛な叫び声。
(……聞こえる。皆の声が……)
私のために傷ついた、清継様の姿。 そして、助けを求める、名も知らぬ魂たちの声。 その二つの想いが、私の枯渇したはずの心の奥底に、最後の火を灯した。
その時、観客であるはずの奏様が、まるで指揮者のように、私にだけ聞こえる声で囁いた。
「ただ浄化するだけでは足りないよ、巫女様。器が壊れてしまったのだからね。あの迷子の魂たちに、還るべき道筋を、君が歌ってあげるんだ」
彼の言葉に、私は自らの真の役割を悟った。
(そうだ。私の力は、破壊するためじゃない。救うための、力……!)
その瞬間、私の瞳が、再び、そしてこれまで以上に強く、深い真珠色に輝いた。 枯渇したはずの力の源泉が、胸の奥で、温かい奔流となって蘇るのを感じた。 私は、力を「刃」として放つのではない。 その両手を広げ、祈るように、歌うように、『破魔の光』を解き放った。 それは、全ての苦しむ魂を鎮め、その故郷へと導く、優しく、そして広大な光の波だった。
光に包まれた怪物は、ぴたりと動きを止めた。 その体を構成していたガラクタが静かに崩れ落ち、囚われていた魂たちが、安らかな表情で光の粒子となり、天へと昇っていくのが見えた。 そして、中心にあった術師の体は、気を失っただけの、元の幼い少年の姿に戻っていた。
戦いの終わりを見届けた奏様は、満足げに一つ拍手をすると、気を失った術師の少年を軽々と肩に担ぎ上げた。
「素晴らしい舞台だったよ。礼を言おう」
「待て!」
清継様の制止も聞かず、奏様は闇に消えようとする。
「ああ、そうだ。褒美に、一つ情報をあげよう」
彼は、一枚の札をこちらに投げ渡した。
「『影向』の本当の狙いは、帝都の霊脈じゃない。彼らが本当に欲しているのは、数百年前に五摂家が彼らから奪った、たった一つの『魂』だよ」
奏様は、術師と共に完全に姿をSを消した。 残されたのは、疲弊しきった私たちと、楓が拾い上げた、奇妙な紋様が描かれた一枚の札。 そして、「たった一つの魂」という、あまりに不可解な最後の謎だった。
影向との戦いは、まだ、本当の意味では終わっていなかった。




