第38話「兄様の巫女修行は、甘すぎて集中できません
三人でのデートの翌朝。
初めて「恋人」として登校する車内は、昨日よりも少しだけ和やかな、しかしどこかむず痒い空気に満ちていた。
私は、活動写真館での出来事、暗闇の中で、両側から手をつながれたことを思い出してしまい、
二人の視線を意識するあまり、ずっと顔が熱かった。
学校では、私たちの奇妙な関係はもはや公然の秘密となっていた。
クラスメイトたちは、遠巻きに、しかし興味津々で私たちの様子を窺っている。
「それで?昨日のデート、結局どうだったの?
手くらいは、繋いだのでしょう?」
休み時間、楓が私の耳元でこっそり囁く。
「ひゃい!?」
思わず変な声が出てしまい、私は顔から火が出る思いがした。
放課後。穏やかな日常は、静かな一言によって終わりを告げた。
「巫女としての修行を再開する」
清継様だった。
「君の力が枯渇したままでいるのは、君自身にとっても、我々にとっても危険だ。それに、父上との約束でもある」
「俺だって手伝える!兄上ばっかりずるいぞ!」
案の定、清馬様が猛然と抗議する。
「清馬の力は荒々しすぎる。今の彼女に必要なのは、繊細な気の流れを感じ取る訓練だ。お前は自分の稽古に集中しろ」
清継様に冷静に一蹴され、清馬様は悔しそうに唇を噛み、どこかへ行ってしまった。
再び、二人きりで訪れた古い神社の境内。
けれど、以前とは違う。
私たちは今、「恋人」なのだ。
(楓の『波乱必至よ』という言葉が、脳裏をよぎる……)
その事実が、静かな空間を、甘く緊張したものに変えていた。
「まずは、自然の中にある気の流れを感じ取ることだ」
しかし、私の心は、昨日のデートの記憶や、すぐ傍にいる清継様のことでいっぱいで、全く集中できない。
「...仕方ないな」
見かねた清継様が、私の後ろに静かに座り、
その小さな背中に、そっと両手を当てた。
「心を空にしろ。私の気に合わせて、呼吸を整えるんだ」
それは、古来より伝わる正式な指導法。
しかし、今の私たちにとっては、あまりに親密すぎる行為だった。
背中から伝わる彼の大きな手のひらから、じわりと熱が広がり、私の体がびくりと震える。
耳元で聞こえる、彼の落ち着いた呼吸音。
彼の生命力の流れが、私の体の中に、直接流れ込んでくるような感覚。
その、魂が触れ合うような感覚に、私は耐えきれなくなった。
「む、無理です!清継様がそんなに近くにいらっしゃると、余計に、その…集中、できません…!」
私の悲鳴のような訴えに、清継様は初めて、堪えきれないといったように、ふっと息を漏らして笑った。
「…困ったな。私も、君にこうして触れていると、心が乱れて仕方ない」
それは、静かで、けれど抗いがたい、彼の愛の告白だった。
その、甘い空気を切り裂いたのは、鋭い風切り音だった。
ヒュッ、と空気を裂く音が、静かな境内の全ての音を奪い、木々の葉ずれすら、
ぴたりと止まった。
一本の矢が、私たちのすぐ横の木の幹に、深く、深く突き刺さっていた。
振り返ると、そこには弓を構えたまま、嫉妬と怒りと、そしてどこか傷ついたような瞳でこちらを見つめる、清馬様が立っていた。
(また、これか……。俺の知らないところで、
二人の世界が作られていく。あの温かい光の中に、俺の入る隙は、ないのか……?)
弓を握る彼の手が、白くなるほど震えている。
「…邪魔、したみたいだな」
彼は、私たちに背を向けると、一言だけ、力強く言い放った。
「琴葉。兄上との稽古が終わったら、俺のところに来い。お前に見せたいもんがある」
それは、お願いではない。彼の独占欲に満ちた、有無を言わせぬ命令だった。
清継様との甘い時間は、弟の激しい嫉妬によって打ち砕かれた。
この奇妙な三角関係は、常に穏やかなままではいさせてくれない。
彼が見せたいものとは、一体何なのか。
私の、新たな試練が始まろうとしていた。




