第32話「唇の記憶と、兄弟の誓い」
翌朝の食卓には、私と双子の三人が向かい合って座っていた。
当主様の計らいで、私も若様たちと同じ食卓に着くことになったのだ。
けれど、その居心地の悪さに、私は味もわからないまま、ただ俯いていた。
食器の音だけが、やけに大きく響く。
私は、清継様から贈られた真珠の簪を挿していた。その簪が、清馬様の心を苛んでいた。
食事が終わった後、清継様が私に穏やかに微笑む。
「白石さん、その簪、やはり君によく似合う」
その一言が、引き金だった。
清馬様は、無言で席を立つと、
「兄上、少し、お話があります。道場へ」
と、低い声で言い放った。
人気のない弓道場。
二人の間には、張り詰めた空気が流れていた。
先に口を開いたのは、清馬様だった。
「兄上は、いつもそうだ。幼い頃から、俺の一番欲しいものを、あんたはいとも容易く手に入れてしまう!」
彼の声は、長年溜め込んできた嫉妬と劣等感で震えている。
「それは違う、清馬。私が彼女に惹かれたのは、お前とは何の関係もない。私の心の問題だ」
兄の静かな反論に、清馬様は逆上し、その胸ぐらを掴んだ。
「じゃあ、教えてくれよ! あの夜、俺が倒れた後、琴葉と俺の間で、一体何があったんだ!
何か、大事なことを忘れてる気がして、頭がおかしくなりそうだ!」
清継様は、弟の腕を静かに振り払うと、意を決して真実を告げた。
「…彼女は、清馬を救うために、自らの命をお前に分け与えた。口移しで、な」
その言葉が引き金となり、清馬様の脳裏に、あの夜の光景が鮮烈にフラッシュバックした。
真珠色の光。魂に流れ込む、温かい生命の奔流。
そして、唇に触れた、信じられないほど柔らかな感触。
幻のようなその温もりに、彼の体が激しく震え、それまで握りしめていた木刀が、カラン、と乾いた音を立てて床に落ちた。
「…あ…ああ……!」
自分が、どれほどの犠牲の上に救われたのか。
その真実の重みに耐えきれず、彼はその場に膝から崩れ落ちた。
清継様は、そんな弟の前に静かに膝をつく。
「わかるか、清馬。我々が今こうしていられるのは、全て彼女のおかげだ。我々がすべきことは、
こんな風に醜く争うことではない。二人で、彼女を守り抜くことだ」
嗚咽を漏らしながら、清馬様は兄を見上げた。
「…俺は、あいつに、償わなきゃならない……」
その、絞り出すような声に、清継様は弟の肩を強く、強く抱いた。
「ああ。だから、もう迷うな。我々は、兄弟だ」
その、あまりに切なく、そして美しい兄弟の和解の光景を。
物陰から、一人の少女が、涙を堪えながらじっと見つめていた。
心配で、こっそりと後をつけてきてしまった、私だった。
朝の食卓で感じた針のような居心地の悪さが、今、この光景を目の当たりにできたことへの感謝の涙に変わっていく。自分のために傷つき、争い、そして和解してくれた二人。彼らの想いの重さに、私の胸は張り裂けそうだった。
(私……どうしたら…)
私は、二人に気づかれぬよう、そっとその場を離れた。
私が去った後、双子は静かに立ち上がる。
清継様が、まっすぐに弟の目を見て言った。
「この一件が、全て終わったら、正々堂々、二人で想いを伝えよう。そして、彼女がどちらを選んでも、恨みっこなしだ」
その言葉を口にする彼の瞳に、ほんの一瞬、弟には見えない角度で、深い悲しみの影がよぎったのを、誰も知らなかった。
清馬様もまた、涙の痕が残る顔で、力強く頷いた。
「ああ、望むところだ、兄上」
二人の拳が、固く、ぶつかり合った。
闇の残り香が、まだかすかに、その拳の間に漂っている中で……。
影向との戦いを前に、兄弟の絆は、かつてないほど強く結ばれた。
しかしそれは同時に、私を巡る、もう逃れることのできない恋の戦いの、本当の始まりを告げる合図でもあった。




