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第19話「影向の紋章と、揺れる心」

夕闇に沈む図書館から屋敷に戻った私たちは、

誰の口からも言葉が出ないまま、重い疲労に身を沈めていた。

私の体は、精神的な消耗が激しく、隣を歩く楓の肩を借りなければ、立っていることすら覚束ない。


書斎に集まった私たちは、テーブルの上に置かれた、焼け焦げた一枚の札の欠片を、重い沈黙の中で見つめていた。そこに描かれた、奇妙な紋様。

五摂家のものとは明らかに違う、禍々《まがまが》しい気配。


「父上には、私から報告しておく」


静寂を破ったのは、清継様の厳しい声だった。


「だが、父上が動く前に、我々自身でもこの

影向ようごう』について調べる必要がある。

奴らの目的がわからぬ以上、我々は常に後手に回ることになる。清馬の力も、必要になるだろう」


「私も、行きます」


私は、か細いながらも、はっきりとした声で言った。


「これは、私にも関わりのあることですから」


私の瞳に宿る光を見て、清継様は静かに頷いた。



その夜。清継様は、私だけを伴い、近衛家の最も奥深くにある、禁書すら収められているという「地下書庫」へと向かった。二人だけの、秘密の調査が始まる。


ひやりと冷たい空気と、古紙の匂いが満ちる書庫。

膨大な古文書の山を前に、私たちは手分けして「影向ようごう」の名を探し始めた。けれど、夜が更けても、手がかりは一向に見つからない。

蓄積した疲労に、私の意識は徐々にかすんでいった。


どれくらい時間が経っただろうか。ふと肩に感じた重みで、私は目を覚ました。

いつの間にか、私は書棚に寄りかかって眠ってしまっていたらしい。

肩には、清継様の上着がそっとかけられていた。


ランプの灯りに照らされた彼の横顔は、真剣そのものだった。


(君を、これ以上危険な目に遭わせるわけにはいかない……)


彼の心からの声が聞こえたような気がして、

私の胸は温かい痛みで締め付けられた。


その頃、清馬様は自室で一人、やり場のない怒りと無力感に苛まれていた。


(くそっ……兄上と琴葉は二人で調べてるっていうのに…俺の出番がないのか…!)


兄への嫉妬と、自分だけが役に立てないという焦燥が、彼の心を黒く塗りつぶしていく。


ランプの油が尽きかけた、まさにその時だった。


「…あった」


清継様の、かすれた声。彼が指差した一冊の古い文献に、私たちはついに「影向一族ようごういちぞく」に関する記述を見つけ出したのだ。


そこに書かれていたのは、戦慄すべき内容だった。


影向一族は、かつて五摂家に匹敵するほどの力を持った呪詛師じゅそしの一族だったこと。


しかし、人の魂や記憶を弄ぶ禁術に手を染めたため、五摂家との永きにわたる戦いの末、その魂のいくつかを禁術によって奪われ、当時の都から追放され、その存在を歴史から抹消されたこと。


そして、彼らの悲願は、「五摂家を滅ぼし、帝都の霊脈を支配することで、奪われた魂を取り戻し、一族の完全なる復権を果たすこと」であること。


さらに、文献の最後には、こう記されていた。


影向ようごうの呪詛を打ち破るは、ただ『破魔の光』を持つ巫女のみ。

故に、影向ようごうが再び現れし時、奴らは必ず巫女を狙うであろう。

その力を奪うか、あるいは、破壊するために」


自分が敵の明確な標的であることを知り、

私の体は恐怖に震えた。

けれど、隣で静かに私を守ろうとしてくれている、清継様の気配を感じる。


(怖い。でも、もう逃げない)


私は、強く拳を握りしめた。



夜通しの調査を終え、私たちは地上へと戻った。


朝日が眩しい。

弓道場で一人、荒々しく弓の稽古に打ち込む清馬様の姿があった。


その、彼の背後に、ふわりと一人の人影が音もなく現れた。二条奏にじょうかなで様。


「随分と、荒れているようだね。……置いていかれるのは、怖いかい?」


彼の言葉に、清馬様の肩がびくりと震える。


「君は、もっと強くなれる。兄君の影に怯えるような、そんな力じゃない。全てを凌駕する、本当の力が欲しいとは思わないかい?」


悪魔の囁きのように、甘い声が響く。


奏様は、清馬様の手に、何かを握らせた。

小さな風の渦が封じられた、お守りのようなものだった。


「お守りだよ。君が『覚悟』を決めた時、それは力を貸してくれるはずだ」


奏様が風のように去った後、一人残された清馬様は、手の中のお守りと、書庫から戻ってきた私と清継様の姿を、複雑な表情で交互に見つめていた。


手の中で、風の渦がお守りを包み込み、まるで弓の弦のように、張り詰めた音を立てている。


兄弟の間に、新たな、そしてより深刻な亀裂が、

静かに生まれようとしていた。

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