第18話「詩集に棲まう亡霊と、心繋ぐ絆の声」
授業終了を告げる鐘の音が、まるでレースの開始を告げる号砲のように、校舎に鳴り響いた。
私たち四人は、司書の方に「特別な古書の調査です」と事情を話し、閉館後の図書館に入れてもらうことができた。
夕暮れの光が長い影を落とす、静寂の戦場。
「気配は、どこだ?」
清馬様の問いに、私は首を横に振った。
「わかりません……。気配は一点に集中しているのではなく、この書庫全体に、薄く広がっているみたいで……」
「なるほど、罠というわけか」
清継様が冷静に呟く。
私は目を閉じ、意識を集中させた。
(違う……気配は広がっているんじゃない。一本の、細い蜘蛛の糸のように、私をどこかへ導いている……)
目を開けると、私の視線は、書庫の一角にある「民俗学」の書棚に吸い寄せられていた。
そこにあったのは、民俗学とは何の関係もない、一冊の古い詩集だった。
それを見た清継様が、戦慄と共に呟く。
「……二条先輩か。我々に見せつけた後、わざわざここに戻したというのか。一体、何を考えている……」
清継様が、邪気を防ぐ特殊な革手袋をはめて、慎重にその本を手に取ろうとした、その瞬間だった。
詩集が、まるで意志を持ったかのように、ひとりでにパラパラとページを開いた。
本から淡い黒い靄が溢れ出し、あっという間に書庫全体を包み込む。
「ぐっ……!」
「頭が……!」
「なによ、これ……!」
清継様、清馬様、そして楓の三人が、突然、激しい頭痛に襲われたように目を閉じ、その場に崩れ落ちそうになる。
(知らない少女の卒業式の喜び、見知らぬ少年の初恋の甘酸っぱさ、誰かの家族との喧嘩の悲しみ……)
他人の記憶が奔流のように流れ込み、三人の意識を混乱させていく。
私には、その記憶は見えない。けれど、私の眼にははっきりと見えていた。
三人が、黒い蜘蛛の糸のような呪詛に幾重にも絡め取られ、苦しんでいる姿が。
(このままでは、皆の記憶が喰われてしまう……!)
呪詛は次の段階に進む。今度は、三人の「大切な記憶」を標的にし始めたのだ。
三人の瞳から、徐々に光が失われていく。
絶体絶命の状況。けれど、私はもう、ただ守られるだけの無力な少女ではなかった。
(私の力は『助けたい』と願う心。
なら、思い出させてあげればいい。
皆が、守りたいと願っているものを!)
私は、一人一人の名前を、魂を込めて叫んだ。
「楓! 私に『友人でしょう?』って言ってくれたじゃないですか! 一緒に銀座に行った、あの日のこと、忘れないで!」
「清馬様! 『お前の居場所は俺の隣だ』
って言ってくれたじゃないですか!
弓を教えてくれた時の、あの熱さを忘れないで!」
「清継様! 『君という光を失ってはならない』
って言ってくれたじゃないですか! 私の涙を拭ってくれた、あの優しさを忘れないで!」
私の叫びは、微かな真珠色の光を纏い、三人の心に直接届く。
その声が、彼らを繋ぎ止める錨となった。
「…琴葉?」
呪詛の靄が晴れ、三人は同時にハッと目を開けた。
「もう逃がさないわ!」
楓の瞳が瑠璃色に輝き、水鏡の結界が詩集を包み込み、呪詛の拡散を防ぐ。
「てめえの好きにはさせねえ!」
清馬様の瞳が金色に閃き、雷穿の一撃が、詩集そのものを物理的に貫き、破壊した。
「根源は断つ!」
破壊された詩集の中から、黒く輝く「人工魔石」が姿を現す。
それを、清継様の金剛針が、寸分違わず粉砕した。
魔石が砕け散った後、その場には、焼け焦げた一枚の札の欠片だけが残されていた。そこには、五摂家のものとは明らかに違う、奇妙な紋様が描かれている。
清継様が、険しい顔でその欠片を拾い上げた。
「この紋は……古文書で一度だけ見たことがある。帝都から追放された、呪詛師の一族…『影向』の印だ」
二条先輩の謎めいた行動。
そして、新たなる敵「影向」一族の存在。
事件は解決したかに見えたが、その裏に潜む、
より巨大な陰謀の輪郭が、夕闇の図書館の中で静かに浮かび上がっていた。




