第12話「巫女様と呼ばないでください!」
試練の翌々日の朝。すっかり体調が回復した私は、いつものように早起きして、女中としての仕事に取り掛かろうと部屋を出た。
しかし、廊下で会った他の使用人たちは、私の姿を見るなり慌てて駆け寄ってきた。
「琴葉様! そのようなことは私どもがいたしますので!」
「巫女様、どうぞお部屋でごゆっくりお休みください」
これまで一緒に雑巾を絞り、箒を振るっていた彼女たちの手が、今は私に触れることすら躊躇うように、遠ざかっていくのを感じた。
その事実に、私は強い寂しさと疎外感を覚えた。
自分の仕事を全て取り上げられ、
ただ客人として扱われるだけの時間。
広い屋敷の中で、私は一人、途方に暮れていた。
(私は、ただここにいるだけ…? 何のお役にも、立てないの……?)
縁側で膝を抱えて落ち込んでいると、ずかずかと足音が近づいてきた。
「何だ、そのツラは。巫女様だかなんだか知らねえが、らしくねえぞ」
見上げると、呆れたような顔をした清馬様が立っていた。
「私の居場所が、なくなってしまったみたいで……」
私が俯くと、清馬様は「はっ、馬鹿言え」と笑い飛ばした。そして、少し照れくさそうに、けれど力強く言う。
「お前の居場所は、俺の隣だ。……あの夜、お前が俺たちを救ってくれたあの時から、そう決まってんだよ」
突然の爆弾発言に、私が顔を真っ赤にして固まっていると、今度は静かな足音が近づいてきた。
「清馬、あまり彼女をからかうな」
温かいお茶の入った湯呑を二つ、盆に乗せた清継様だった。
彼は私の隣に静かに座ると、優しい声で語りかける。
「立場が変わったからといって、君自身が変わる必要はない。我々にとって君が大切な存在であることに、変わりはないのだから。……君の笑顔が、
この屋敷の光になっていることに、君は気づいていないのだろうな。だから、あまり思い悩むな」
清継様の穏やかな言葉が、私の心に沁みる。
けれど、甘えてばかりではいけない。
(そうだ、楓の『友人でしょう?』という言葉が、背中を押してくれた)
私の居場所は、私自身の手で掴み取らなくては。
私は、ぐっと拳を握りしめると、意を決して立ち上がった。
「あの、清継様、清馬様」
私の、いつもと違う真剣な声に、二人が息を呑む。
「私から、当主様にお願いしたいことがございます。どうか、お取次ぎを、お願いできませんでしょうか」
私のただならぬ気配に、清馬様が
「おい、琴葉、無茶だ! 父上に何か言ったって……!」
と心配そうに声を上げる。
しかし、清継様は私の瞳の奥にある光をじっと見つめると、静かに、しかし力強く頷いた。
「……わかった。君の覚悟、無駄にはしない」
当主・清顕様の書斎。その圧倒的な威圧感の前に、私は一人、正座していた。
震えながらも、私はまっすぐに当主様を見据え、魂の底から訴えかけた。
「巫女としての教育は、お受けいたします。それが、皆様にご恩返しをする唯一の道であるならば」
「特待生としての勉学も、決して疎かにはいたしません」
「ですが、どうか……! 私を、ただの客人にはなさらないでください! これまで通り、この屋敷の女中として、皆様のお側に仕えさせてください! それが、私の……私の誇りなんです!」
涙ながらの訴えに、清顕様は表情一つ変えず、ただ静かに私を見つめている。
長い、長い沈黙の後、彼は初めてその口元に、微かな笑みを浮かべた。
「……面白い。好きにせよ。その誇り高い心を、忘れるなよ」
私が深々と頭を下げ、部屋を辞そうとした、その時だった。
「ああ、それから」
当主様の、呼び止める声。
「これからは私の書斎にも、お前が茶を運べ。あの息子たちの淹れるものよりは、期待できそうだ」
その言葉には、ほんの少しだけ、茶目っ気のような響きが混じっていた気がした。
その夜。
私は、正式な許可を得て、再び厨房に立っていた。
(厨房に満ちるお米の炊ける匂いと、出汁の香り。その懐かしい匂いが、『おかえり』と言ってくれているようで、私の居場所を返してくれたようで、胸が熱くなった)
私は、今日の感謝を伝えたくて、双子の若様たちのために、心を込めて夜食のおにぎりを握っていた。ほかほかの白米を手に取り、塩を振り、中には厨房にあった鮭の塩焼きをほぐして入れる。
「こんな夜更けに、何をしている?」
「なんか美味そうな匂いがすると思ったら、お前か!」
眠れずに散歩していたらしい双子が、匂いにつられて顔を出す。
「あ、あの! もし、お腹が空いていらっしゃいましたら……」
私が差し出したおにぎりを、二人は一つずつ手に取る。
「んめえ! やっぱお前のが一番だ!」
清馬様は大きな口で頬張り、満面の笑みを見せてくれる。
清継様も、ゆっくりと味わった後、ふっと目を細めた。
「……ああ、落ち着くな。君の握るおにぎりは、不思議と心が安らぐ」
二人の言葉に、私は心から安堵した。
その時、清馬様がじっと私の顔を見て言った。
「……で、お前の分はねえのかよ」
「え?」
「お前も食えよ。一緒に夜食、と行こうぜ」
そう言うと、清馬様は私がお二人のために握ったおにぎりの一つを、ひょいと私の口元に持ってきた。
清継様も、静かに頷く。
「君も、今日は疲れただろう。遠慮はいらない」
「よ、よろしいのですか!?」
予想外の言葉に、私の目がきらきらと輝く。
私はおずおずと、清馬様が差し出してくれたおにぎりを、ぱくりと一口いただいた。
その瞬間、私の目が、大きく、大きく見開かれた。
(……おいしい。これが、白米……? 孤児院の麦ご飯とは全然違う。甘くて、一粒一粒が輝いてる……。庶民の私にとっては、お正月くらいしか口にできない、特別なご馳走なのに……!)
あまりの美味しさと幸福感に、ぽろり、と涙が零れ落ちた。
「……おい、琴葉? どうしたんだよ、そんなに美味かったか?」
清馬様の戸惑ったような声に、私は慌てて涙を拭い、満面の笑みで頷いた。
「はい! すっごく、美味しいです! 幸せの味が、します……!」
その、一点の曇りもない、心の底からの笑顔。
当たり前の「白米のおにぎり」を、まるで世界で一番の宝物のように、幸せそうに頬張る私の姿を、双子の若様たちが、ただ息を呑んで見つめていた。
一人は熱い視線で、もう一人は穏やかな微笑みで、その優しい眼差しが私を温かく包み込んでいることに、私は気づかなかった。
(……ああ、これが私の居場所だ)
自分の手で勝ち取った「いつもの日常」。
立場は変わっても、この温かい絆だけは変わらない。そう確信した、穏やかな夜だった。




