第105話「別れの刻(とき)、魂の帰還」
意識のない清継様の体からふわりと立ち上った、淡くも温かい黄金色の光。
それは徐々に人の形を成し、彼の傍らに実体化し始めた。 それは紛れもなく、十六年前の姿のままの、清影様の姿だった。 その体は朝日を受けて黄金色に輝きながらも、少し透けており、この世ならざる存在であることを示していた。
驚きと、悲しみと、そしてほんの少しの奇跡への期待が入り混じる中、私は込み上げる涙を必死に堪えながら、目の前で起ころうとしている奇跡を、ただ信じて、祈るように見つめていた。
実体化した清影様は、まず自分の両手を見つめ、それからゆっくりと周囲を見回した。 意識のない清継様、彼を支える私、呆然と立ち尽くす清馬様、涙を流す薫子様、そして複雑な表情の清顕様。 朝日が差し込む破壊された祭壇は、奇妙な静寂に包まれていた。
「(戸惑うように)…ここは…祭壇か……。俺は…鬼神に喰われたはずじゃ…」
彼の声は、十六年前と同じ、若々しい響きを持っていた。
「…! 親父…! あんた、本当に…!」
清馬様が、信じられないというように呟く。
「(震える声で)…清影……!」
薫子様が、愛しい名を呼んだ。
「(自分の体が透けていることに気づき、自嘲するように笑う) …ああ、そうか。
鬼神は、あの巫女(琴葉)の光で消えたのか。 …だが、俺も…どうやら、もう『こちら側』の人間じゃないらしいな」
「…魂だけの、借り物の体か。…まあいい。 少しだけ…話す時間は、ありそうだ」
彼は穏やかに微笑んだ。
清影様は、まず兄・清顕様へと向き直る。 その瞳には、かつての憎しみではなく、全てを受け入れたような、穏やかさがあった。
「…兄上」
「……清影」
「…迷惑、かけたな」
清顕様は何も言えない。
「あんたの『理』を憎んだ。 だが、あの時、俺が選んだ道もまた、ただの『感情』に溺れた、愚かな道だった。 …あんたの言った通りだ」
彼は、そっと薫子様を見つめた。
「不器用ながらも…薫子を愛しているのは、分かっている。 …俺に代わって…薫子を……頼むぜ。 決して、泣かせるんじゃねぇぞ」
「……!」
清顕様が息を呑む。
そして清影様は、傍らで眠る清継様と、立ち尽くす清馬様を見やった。
「それと……俺の息子…清継、清馬も…頼む。 立派な男にしてやってくれよな。…俺が、してやれなかった分まで」
「…頼み事ばっかりになっちまったが…許してくれ」
清顕様は目を伏せ、長い沈黙の後、絞り出すように言った。
「……薫子の事は…任せておけ。 …今後は…涙を流させるようなことは…決してしないと、約束しよう」
「…そして、清継、清馬は…この私の命に代えても、立派な男に育て上げてみせる。 ……お前のようにな」
その言葉に、清馬様と薫子様、そして私も驚いた。
「…そして…清影。…私の方こそ…済まなかった……。 こんな兄を…どうか……許してくれ」
清顕様は、初めて、弟に対して深く頭を下げた。
十六年分の後悔と贖罪の念を込めて。
「(驚き、そして穏やかに微笑み)…もう、いいんだよ、兄上」
清影様のその一言は、長年の兄弟の確執を、静かに溶かしていった。
清影様は、息子たちの元へ歩み寄る。 まず、私の腕の中で眠っていたはずの清継様の傍らに膝をつき、その額にそっと触れようとした、その時。
「(微かに呻き、ゆっくりと目を開ける)……う……」
「清継様!?」
「兄上!」
「清継!」
皆が驚き見守る中、清継様は朦朧としながらも、目の前にいる黄金色の光の人影(清影様)を認識した。
「……あなたは……父…上……?」
「(驚き、そして優しく微笑み)……ああ。目覚めたか、清継」
清影様は、改めて、意識を取り戻した清継様と、隣に立つ清馬様に向き直った。
「…清継、清馬…。こんな父親で、苦労をかけたな。 …だが、俺はお前たちを…心から愛している。 …それだけは、伝えておきたい」
「「……!」」
双子の瞳が見開かれる。
「母…薫子のことを頼むぞ。俺の愛した女だ! そして、お前たちは、その結晶だ」
彼は、ちらりと私を見た。
「巫女…琴葉と、仲睦まじくな。 …決して、兄弟間で争うなよ。 …二人で、しっかり愛してやれ」
「(まだ弱々しいが、はっきりと)…父上……。 母上のことは…お任せください。近衛家の跡取りとして…しっかり清馬と共に支えて参ります。 そして…琴葉さんも…大事にします……。 …そして…父上……あなたに…会えて…本当に……良かった……」
清継様は、万感の想いを込めて、初めて父と呼んだ。
彼の目から、一筋の涙が流れた。
「…親父…」
清馬様も涙を流していた。
「俺は、きっと親父似だな。たまに暴走もしちまうが… それは、親父の熱き血、想いがそうさせるんだ。 俺は、それを誇りに思って生きていくぜ」
「母上のことも安心してくれ!兄上と守るからよ! そして琴葉も、まっすぐに愛していく!」
彼は涙を拭い、笑顔で父に誓った。
「(涙ぐみ)…ああ…。清継…清馬……!」
清影様は、意識を取り戻した清継様と、隣に立つ清馬様の二人を、力強く、しかし儚げな光の腕で抱きしめた。 双子もまた、涙ながらに父の温もりを感じ、初めて父子の絆を確かめ合った。
清影様は、息子たちから体を離すと、清継様を支える私へと向き直った。
「…お前が、あの忌々しき鬼神を滅した巫女か」
「……はい」
「礼を言う。お前の光がなければ、俺は完全に鬼に喰われていただろう。 …そして、俺の息子たちも、救ってくれた」
「…いいえ、私だけの力では…」
彼は双子を一瞥した。
「あいつらは、不器用だが、悪い奴らじゃない。 …俺が…薫子にしてやれなかったように…お前が、あいつらの『光』になってやってくれ。…頼む」
彼は、深々と頭を下げた。
「(涙をこらえ、強く頷き)…はい。必ず。お約束します」
私は、しっかりと誓った。
最後に、清影様は薫子様の元へ歩み寄った。
清顕様、清馬様、そして清継様を支える私は、その様子を少し離れた場所から見守る。
「(薫子様の頬に、そっと手を添え)…薫子……」
「(涙を流しながら、その手に自分の手を重ね)…清影……」
「…会いたかった……。この日を、どれだけ待ちわびたか……。 十六年も待たせちまって、悪かったな…。 寂しい思いをさせた……。子供たちのことも…お前に任せっきりになっちまった……。 謝っても、謝りきれねえ……」
「…もういいのよ、謝らないで。 こうして…再びあなたに会えたことだけでも…奇跡なんだから……。 あの日、あなたと出会わなければ、私は愛を知らずに生きていたわ……。 短い間だったけれど…あの蔵での日々は…私にとって、一番幸せな時だった。 そして…子も授かった……。ありがとう、清影」
二人は、言葉にならない想いを込めて、強く抱きしめ合う。涙が溢れて止まらない。 そして、どちらからともなく、深く、優しい口づけを交わした。 十六年間、凍りついていた時を溶かすように。
「(名残惜しそうに唇を離し、涙を隠すように笑い) …薫子……愛してるぜ……。死んだら、あの世でまた会おう!」
「(涙ながらに微笑み、彼の胸を軽く叩き) …馬鹿、何言ってんのよ!縁起でもない! ……私も…愛してるわ、清影」
別れの言葉と共に、清影様の体が、足元からゆっくりと黄金色の光の粒子に変わり始めた。 彼は、薫子様に向かって、最後の笑顔を見せる。
「…じゃあな、薫子。…兄上。…息子たち。…巫女の嬢ちゃんも」
彼の姿は、まるで雷光のように一瞬強く輝き、十六年分の愛と後悔、そして未来への想いを残された者たちに託すかように、完全に光の粒子となり、破壊された祭壇の天井から差し込む朝日に溶けるように、静かに天へと昇っていった。
「(手を伸ばし)……清影……!」
薫子様の手は、もう何も掴むことはできなかった。
ただ、温かい光の余韻だけが、そこに残っていた。
祭壇には、再び静寂が戻った。清影様の魂は、安らかに還っていった。
薫子様は、涙を流しながらも、どこか吹切れたような穏やかな表情で、光が消えた空を見上げていた。
そこへ、清顕様が静かに歩み寄り、彼女の隣に立つ。
「……薫子。……清影は…旅立ったか……。別れは…済ませられたか?」
「(涙を拭い、微笑み)……ええ。笑顔で旅立っていったわ。……別れ際も、彼らしかった…」
「(ぎこちなく)…清影の代わりには…なれんが…。 これからは…私が…私がお前を……大事にする。 ……いや…愛していく」
「(驚き、そして悪戯っぽく微笑み) …あなた……。ふふ…あなたの不器用な愛は、十六年間、ちゃんと私にも伝わっていましたわよ。 ……まあ、大変。私にも、素敵な恋人…いいえ、夫が二人できたわけね」
清顕様は、その言葉に僅かに目を見開き、一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに微かな苦笑とも照れともつかぬ表情を浮かべ…そして、不器用に、しかし確かに、薫子様の肩をそっと抱き寄せた。 二人は、朝日が差し込む祭壇で、静かに空を見つめるのだった。
清馬様は、まだ少しふらつく兄・清継様の肩を支えながら、その隣に立っている。 私の手は、そっと清継様の手に触れていた。 近衛家の長い呪いは終わり、新しい関係が、静かに始まろうとしていた。




