第102話「鬼神の咆哮、魂の在処(ありか)」
術は成功した。だが、それは新たな絶望の始まりだった。
解放された『鬼神』は、もはや清影という『器』を失い、より純粋な『破壊の衝動』の権化となってその場に顕現した。 祭壇の空間を侵食していた不定形の『闇』が一箇所に凝縮され、凄まじいプレッシャーと共に、その禍々しい姿を現す。
光を一切寄せ付けない漆黒の巨躯。 何本もの巨大で鋭利な角が頭部から伸び、眼窩には深淵のような赤黒い光が灯る。 口は裂け、鋭い牙が覗き、背中からは複数の触手のような漆黒の腕が生え、それが意志を持つかのように不気味に伸び縮みを繰り返していた。 全身からは空間を歪ませるほどの邪気が噴き出し、まさしく、近衛家の伝承に残る『鬼神』そのものの姿だった。
そして、禁術の代償を支払った清継様は、糸が切れたようにその場に崩れ落ち、意識を失っていた。
「清継様!!」
私は彼のそばに駆け寄ったが、呼びかけに応えはない。
崩れ落ちた清顕様は、朦朧とする意識の中、息子たちの死闘と、絶望的な状況を微かに捉えていた。 (…清継…清馬…!) 声にならない父の想いが、虚空に響いた。
鬼神は、まず最も強い霊力を持つ者を標的とするのか、ゆっくりとその巨躯を清馬様に向けた。 背中の腕の一本が、鞭のようにしなり、彼に襲い掛かる。
「(恐怖を振り払い、私と倒れた兄を庇うように前に出て) …くそ…!どうすりゃいいんだよ…!」
「(囁き声の集合体)…キ…エ…ロ…ジャマ…モノ…」
「うおおおおっ!」
清馬様は咄嗟に雷光壁を展開するが、純粋な破壊衝動の塊である鬼神の力は桁違いで、壁はガラスのように瞬く間に砕け散った。
「ぐっ…!重てえ…!これが…鬼神…!」
衝撃に吹き飛ばされそうになるのを、必死で踏みとどまる。
「清馬様から離れて!」
私は、残された霊力を振り絞り、鬼神に向かって『白金の光』を放った。
浄化と救済の光。 しかし――
光に触れた部分がわずかに霧散するが、すぐに再生し、嘲笑うような囁き声を発する。
「 …ムダ…ダ…ソレ…ハ…キカヌ…」
「…効かない…!?どうして…」
私の光は、魂を持つ「妖」や「鬼(清影)」には有効だったが、魂を持たない純粋な『破壊衝動(鬼神)』そのものには、決定的な効果がない。
「そんな……!」
私は絶望に膝をつきそうになった。
その間も、薫子様は舞を止めなかった。 だが、その目的は鬼神を鎮めることではない。 彼女は、床で消えかかっている『清影の魂』へと意識を集中させ、舞と歌を捧げていた。
「還りませ…還りませ…遠き闇路惑う魂よ…」
「(清影の魂に呼びかけるように) …ここに…あなたの還る場所が…!」
彼女の清らかな霊力が、鬼神の邪気をわずかに押し退け、清影様の魂の光が、それに呼応するように、ほんの少しだけ強く瞬いた。
「(薫子様の行動に気づき、不快そうに) …ウルサイ…ウタ…メ…!」
鬼神の背から伸びた別の腕が、鞭のようにしなり、薫子様へと向かう。
「母上に手ぇ出すな!」
清馬様は、薫子様を守るため、鬼神の腕を自らの雷光で叩き斬った。
だが、腕はすぐに再生し、彼はさらに追い詰められる。
その時、朦朧とする意識の中、清顕様がか細い声で呟いた。
「…清馬……力に…呑まれるな…… 制御しろ……守るための…雷を……」
「(父の声にハッとして)…!父上…!」
清顕様の言葉が、彼の心に火を灯す。 そうだ、俺の力は、守るための力だ!
「(鬼神を睨みつけ)…ああ!分かってるよ! 俺は…俺と、兄上と、琴葉で…新しい物語を、作るんだ!」
清馬様の体から、迷いを振り切った、黄金色の雷光が迸る。 それは父(清影)の鬼の雷でも、父(清顕)の理の雷でもない、彼自身の、守る意志に満ちた輝きだった。
清馬様が覚醒した雷光で鬼神と拮抗している間に、薫子様の舞に導かれた清影様の魂の光は、ゆっくりと浮遊を始めた。 そして―― 薫子様ではなく、意識を失って倒れている清継様の体へと、吸い込まれるように消えていった。
「…!清継に…!?なぜ…!」
薫子様が息を呑む。
「清継様の中に…清影様の魂が…!?」
私も、信じられない光景に目を見開いた。
清継様の体が、一瞬だけ淡い光を放ったように見えたが、すぐに元の静かな寝顔に戻る。
魂の光が消えたことで、鬼神の興味も清影様の魂から離れた。 そして、今、この場で最も強い『生命力』を持つ存在――覚醒した清馬様へと、その全ての悪意を向けた。
「オオオオオオオオオオッ!!!」
地鳴りのような咆哮と共に、祭壇全体を埋め尽くすほどの巨大な『闇』、鬼神の本体とも言える漆黒の巨躯が、その背中の無数の腕を広げ、清馬様一人に襲い掛かる。 先ほどとは比較にならない、絶望的な力の差。
「(覚悟を決め、黄金の雷光を最大に) …来やがれ…!俺が…!俺たちが…!」
清馬様が、最後の抵抗を試みる。
「清馬様!!」
「清馬!!」
私と薫子様の悲鳴が響いた。
清馬様の黄金の雷光が、鬼神の圧倒的な『闇』に飲み込まれようとした、その瞬間――。




