第101話「兄弟の絆、最後の賭け」
鬼・清影は自らの胸に爪を突き立て、黒い、蠢く影のようなものを引きずり出した。 それは、彼の中に辛うじて残っていた、最後の『人間・清影』の魂の残滓だったのかもしれない。 鬼神はその影を歓喜するように喰らい、清影の体は完全に変貌を遂げた。 もはや人の面影はなく、禍々しい角と爪、血のように赤黒い瞳を持つ、純粋な破壊の化身『鬼』が、そこに立っていた。
「グオオオオオオオオオオッ!!」
人の声ではない、地鳴りのような咆哮が祭壇を震わせる。
「(周囲を見回し、最初に崩れ落ちている清顕様に目をつけ) …ア…ニ…ウエ……マズ…ハ…オマエ…カ…ラ…」
ゆっくりと、しかし確実な足取りで、鬼・清影が崩れ落ちた清顕様へと歩み寄る。 止めを刺すつもりだ。
「(崩れ落ちた清顕様の前に立ちはだかり、雷光を最大に迸らせ) …行かせねえよ!」
清馬様が叫び、鬼の前に立ちはだかった。
「清馬…!」
清継様の声が飛ぶ。
「兄上が術を終えるまで、こいつは俺が抑える!絶対にだ!」
「清馬様…!」
「(清馬を見下ろし) …ムシケラ…ガ…ジャマ…ヲ…スルナ…」
鬼・清影が、薙ぎ払うように黒い雷撃を放つ。
清馬様は真正面から雷撃を受け止めた。 彼の雷光も以前より格段に強力になっているが、鬼の放つそれとは桁が違う。 腕が痺れ、膝が砕けそうになる。
「(歯を食いしばり)ぐ…おおおおっ…!」
(やべえ…!強すぎる…! けど…!ここで俺が退いたら、兄上も、琴葉も…!)
彼は、背後で術の準備を始めた兄と、心配そうに自分を見守る私の存在を感じ、限界を超えた力を振り絞った。
「俺は…!守るんだよォォォッ!!」
彼の雷光が、守るという強い意志に応えるように、さらに輝きを増した。
それは父(清影)の鬼の雷とは違う、生命力に満ちた熱い輝きだった。
彼は鬼の雷撃を押し返し、反撃に転じる。
「(わずかに驚き)…ナ…ニ…!?」
鬼の瞳に、ほんの一瞬、困惑の色が浮かんだ。
清馬様は、完全に制御された雷撃を連打し、鬼・清影に傷は与えられずとも、その前進を確実に阻んでいた。 彼の戦い方は、以前のような力任せではなく、守るべき者のために力を制御するという、新たな段階に達していた。
清馬様が時間を稼いでいる間に、清継様は祭壇の中央で、あの古い護符を構え、禁術の儀式を開始していた。 彼の全身から生命力が急速に吸い取られ、顔色は蒼白になり、口元からは血が滲み始める。
「(苦悶の表情で、呪文を唱え続ける) …契約は此処に成り… 古の理もて…魂魄を分て…!」
「清継様…!」
私は彼の隣に膝をつき、『白金の光』を彼に注ぎ込んだ。 それは術を直接助けるものではないが、彼の消耗する生命力を補い、精神を支えるための、必死の祈りだった。
「(涙ながらに)…大丈夫です…!清継様なら、きっと…!」
「(私の光に支えられ、意識を保ちながら) …感謝…する…琴葉さん……。 だが…私に構わず…来るべき時に備えろ…!」
彼が言わんとしているのは、分離した後の『鬼神』の暴走だった。
薫子様は、二人の激しい戦闘と、命懸けの儀式の間で、ただ一人、静かに舞を続けていた。 彼女の清らかな霊力は、祭壇全体を満たし、鬼の放つ禍々しい気を中和し続けている。 そして、彼女の祈りは、分離されるであろう『清影』の魂へと向けられていた。
(清影…どうか… どうか、あなたの魂だけは…。 鬼神に取り込まれずに…還ってきて…!)
ついに、清継様の儀式が完了する。
彼の手の中の護符が、限界を超えた霊力を受けて、眩い光を放ち始めた。
彼は最後の力を振り絞り、護符を鬼・清影に向かって突き出す。
「――分かたれよ!!」
護符から放たれた光が、鬼・清影の体を貫いた。
それは物理的な破壊ではなく、魂魄レベルでの強制的な『切断』だった。
「グ…ギャアアアアアアアアアアッ!!!?」
鬼・清影は、これまでにない苦悶の絶叫を上げる。
彼の体から、二つの存在が引き剥がされるのが見えた。
一つは、黒い影のような、純粋な悪意と破壊衝動の塊――『鬼神』そのもの。
もう一つは、弱々しく、しかし確かに人間の形をした光――『清影』の魂だった。
分離は成功した。だが、清継様の予言通り、それは新たな絶望の始まりだった。
解放された『鬼神』は、もはや清影という『器』を失い、より純粋な『破壊の衝動』の権化となって、その場に顕現した。 それは黒い影というより、祭壇の空間そのものを侵食するような、不定形で巨大な『闇』だった。 その闇からは、意味を成さない無数の囁き声が響き渡り、どこからか形を持たぬ無数の悪意の眼差しが、私たちを嬲るように見つめているのを感じた。 その闇が、咆哮とも地鳴りともつかない音を発し、新たな標的を探すように蠢き始める。
「な…なんだよ、あれ……!」
清馬様が、その圧倒的な邪気に後ずさる。
「清影様の…魂は…?」
鬼神から分離された清影様の魂は、弱々しい光となり、ふらふらと漂った後、力なく祭壇の床に落ち、光が消えかかっていた。
「清影……!」
薫子様の悲痛な叫びが響く。
そして、禁術の代償を支払った清継様は、糸が切れたようにその場に崩れ落ち、意識を失った。
「清継様!!」
私は彼のそばに駆け寄った。
術は成功した。 だが、父(清影)の魂は消えかかり、兄(清継)は倒れ、目の前には、制御不能となった『鬼神』そのものが顕現した。 崩れ落ちた清顕様は、朦朧とする意識の中、息子たちの死闘と、絶望的な状況を微かに捉えていた。 (…清継…清馬…!) 声にならない父の想いが、虚空に響いた。
絶望的な状況の中、残された清馬様、私、そして薫子様は、為す術もなく立ち尽くすしかなかった。




