第100話「魂の攻防、揺らぐ鬼火」
「薫子…っ!」
鬼・清影が、苦悶の中に漏らした、かつての愛しい人の名。
彼の赤黒かった瞳に、確かに一瞬、人間だった頃の苦悩の色が宿り、禍々《まがまが》しいオーラが揺らいだ。 祭壇の空気も、張り詰めていたものが僅かに緩む。
「(息を呑み)…届いた…?私の声が…!」
私は希望の光を見た気がした。
「(目を見開き)…おい、見たかよ兄上!今の親父(清影)…!」
清馬様の声も弾む。
「(術を続けながら、冷静に観察し) …ああ。鬼神との魂魄の結合は、まだ完全ではないらしい。 …だが、油断するな。これは一時的なものかもしれん」
清継様は冷静さを失わない。
「(舞を続けながら、涙ながらに)清影…!あなた…!」
薫子様の呼びかけが続く。
崩れ落ちたままの清顕様も、歯を食いしばり、その変化を見守っていた。
「…まだだ…!まだ、終わってはいない…!」
希望が見えたかに思えた。 だが、清影の内部では、人間としての魂と、彼を喰らった鬼神との、壮絶な主導権争いが始まっていた。
(…薫子…?違う…!俺は…鬼だ…! あの女も、兄上も、俺の子らも…全て、壊す…!喰らう…!)
(…やめろ…!薫子は…俺の…光…!)
「今だ!魂魄の揺らぎが最大のうちに、さらに深く呼びかける!」
清継様が印を組み直し、霊力をさらに高める。
「清影!父よ!あなたの魂は、まだ鬼神に喰われてはいないはずだ! 抗え!近衛の血の誇りを思い出せ!」
彼の額に汗が滲む。
「還りませ…愛しき魂よ…」
薫子様の舞が最高潮に達し、扇子から放たれる清らかな光が鬼気を中和していく。
「闇の鎖断ち切りて…光の中へ…!」
「清影様!」
私も『白金の光』をさらに強く放ち、彼の心に呼びかける。
「思い出してください!薫子様を愛した、あの温かい気持ちを!」
「息子さんたちが、ここにいます!あなたを…父を、待っています!」
「憎しみだけが、あなたじゃないはずです! 愛を知る、あなたの本当の心を、見せてください!」
「聞こえてんだろ、親父!」
清馬様が、私たちを守るように立ちながら叫んだ。
「母上と兄上と琴葉の声が!…意地見せろよ!」
三方向からの魂への呼びかけは、確かに清影の人間性を揺さぶった。
彼の姿が、一瞬だけ、十六年前の美しい青年の姿に戻りかける。
だが――
「黙れェェェェェェッ!!!」
鬼・清影が、突如として凄まじい絶叫を上げた。 彼の中から放たれた黒い衝撃波が、清継様の術、薫子様の舞、そして私の光を、容赦なく吹き飛ばした。
「ぐっ…!術が…!」
「きゃあっ!」
「ああっ!」
私は後方に吹き飛ばされ、咄嗟に清馬様がその体を受け止めてくれた。
「琴葉!」
衝撃波の中心で、鬼・清影は、先ほどよりもさらに禍々しく、強大な鬼気を放っていた。 赤黒い瞳は完全に憎悪に染まり、人間性の残滓は消え失せていた。
「(荒い息をつき、周囲を嘲笑うように見回し) …小賢しい真似を……。
危うく、あの忌々しい『弱さ』に引き戻されるところだったわ……」
「だが、おかげで分かった。 俺の中の『清影』の魂は、まだ完全に消えてはいなかったらしい」
彼は狂気に満ちた笑みを浮かべた。
「…ならば、今ここで!完全に喰らい尽くしてくれようぞ!」
鬼・清影は自らの胸に鋭い爪を突き立て、何か黒い、蠢く影のようなものを引きずり出すような仕草をする。 鬼神の力が、彼の魂を完全に支配しようとしていた。
「…!まずい!」
清継様の声が切迫する。
「奴は、自ら魂の残滓を鬼神に捧げ、完全な鬼になろうとしている!」
「そんな…!清影…!」
薫子様の顔から血の気が引く。
「どうすんだよ兄上!このままじゃ…!」
絶望的な状況。清顕様は、もはや立ち上がる力も残っていない。
万策尽きたかと思われた、その時。
「…(懐から、一枚の古い護符を取り出す)…これしか、ないか」
清継様が、覚悟を決めたように呟いた。
「清継様…?それは…?」
「…古文書にあった、最後の手段。 鬼神と術者の魂魄の結合を、一時的に『強制分離』させる禁術の護符だ」
「なんだよそれ!使えるのか!?」
清馬様が食いつく。
「(厳しい表情で)…だが、代償が大きい。術者の生命力の大半を喰らう。 …そして、分離した鬼神は、より純粋な『破壊の衝動』そのものとなり、暴走する可能性が高い」
「そんな…!」
「父(清影)の魂を救うには、これしかない。 …たとえ、この身がどうなろうとも」
清継様は、自らの命を懸ける覚悟を決めた。
「(清継様の肩を掴み)馬鹿野郎!」
清馬様が叫んだ。
「兄上一人に、そんなことさせられるかよ!」
「清馬…」
「二人でやるんだろ!俺たちの力で、新しい物語を作るって! 琴葉も言ってたじゃねえか!」
「清馬様…!」
「(清継様にニヤリと笑い) 兄上が術を使うなら、その間の親父(鬼)は、俺が引き受ける。 …兄上が生命力吸われてぶっ倒れたら、後は俺がなんとかするさ。 なあ、兄上!」
「(弟の覚悟に、一瞬だけ驚き、そして強く頷く) ……ああ。…頼んだぞ、清馬」
鬼・清影が、まさに最後の変貌を遂げようとする中、双子は、互いの存在を支えに、最後の、そして最も危険な賭けに出ることを決意した。 私は、その二人の覚悟を、白金の光で支えようと、再び立ち上がった。




