1. 泥水
1話目です。
金がない。
毎日、夜明け頃に帰ってきて、二時間後にはまた仕事に出る。
そんな生活を続けているというのに。
薬は金がかかる。 でも、妹は薬がないと生きることが出来ない。
特効薬もない、それどころか病名も分からない病に倒れ、もう何年経っただろうか。まだ十才にも満たない少女に、どれだけの苦しみを天は与えるつもりなのだろうか。
彼女の薬のために売り払った家具、着物、小物。 家はがらんとしている。
ただ、不自然に妹の周りだけに物がある。 彼女が両親にねだった人形。もう親は亡くなってしまった。
娘に病を遺して。 お洒落したいお年頃だろうから、着物も。それから、寂しくないようにぬいぐるみ。
家にほとんどいない兄を恨むこともせず、俺が帰ってくると、
「 おかえり、お兄ちゃん ! 」
と小さく笑ってくれるのだ。
俺はそのために、食事を最低限まで減らせるし、たとえ泥水や雨だけの日が続いても頑張れる。
ただ、妹 ... 佐和の容態はどんどん悪くなっていく。
咳に混じる血の量が多くなり、夜は痛みで寝られない。少しずつ痩せていき、背中に骨が浮き出てくる。
少ない給料をほぼ全て妹に使った。
どれがよく効くのか分からないから、咳止め、痰切り、熱冷まし、買えるだけのものを買った。
妹は、笑顔を見せなくなっていく。
焦って、町を走り回った。 誰も助けてくれないとわかっているのに。
病をうつす一家に、近づきたくないのだろう。 俺が家から出ると、人は家に逃げ帰る。
村の外れには、大きな屋敷がある。この家は金に困ることなどないのだろう。
前に見たこの家の娘は、花魁かのような豪華な着物に、簪をさして、ゆっくりと歩いていた。
簪の一本でも、俺らにくれたらよかったのに。
そう思うと、足は勝手に屋敷の中に進んでいった。
意地悪な当主がいると聞いたことがある。 何十年も町をまとめていて、米や金を巻き上げて、人が苦しむ顔を見るのが好きだったらしい。今はそのようなことはしないが、娘に刀や銃の使い方を教え、次期当主に仕立てているのではないか、という噂がある。
屋敷の庭には、少女がいた。
黒髪に青い目、整った顔立ちの娘だ。いつだかの豪華な着物の少女に違いない。
だが、地味な装いをしていて、服の裾は血に濡れていた。
彼女の足元には当主と思われる男が倒れている。正直目を疑った。
だが、そんなことを気にしている暇はなかった。 妹が、今も苦しんでいるのだ。
早く帰らないと、亡くなってしまうかもしれない。その時くらいは、側にいたい。
でも、このままじゃ薬が買えない。
少女は俺に刀を向ける。咄嗟に土下座をした。
降り続く雨で地面はぐしょぐしょで、口に泥水が入る。
「 金が足りないんです、 」
このまま殺されたら元も子もない。
「 妹が、病気でもう駄目そうで、... 薬が欲しいんです。 」
「 お金を貸してください ...。 」
我ながら、怖いもの知らずだと思った。ただ、少女にも俺と似たところがあると思ったのだ。
少女は少し戸惑う様子を見せ、家の中に入っていった。
土下座から顔を上げて、どたばたと音がする部屋を見つめる。
しばらくして出てきた彼女は、
「 ... これでいい、? 」
と、二十五万くらいのお札を見せた。
俺にとっては大金。こんな額、持っていたことがあっただろうか。
「 ありがとうございます、... でもなんで、 」
「 家族を失うのは嫌でしょ。 」
「 私、姉を亡くしてすぐなの。 」
悲しそうに小さく笑う少女は、酷く幼く見えた。こんな時、その姉だったら、慰めるのだろうか。
何だか、妹に姿が重なって、苦しくなった。
「 じゃあ、また足りなくなったら来て。 」
「 もう一人暮らしだから。 」
縁側から家に入っていく彼女を引き止める。
「 待って、 」
「 名前は、? 」
振り返って、
「 ふう。 苗字は鵲。 」
と、ふうは笑った。
最後まで読んでくれてありがとうございました!