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5話.「嫉妬の朝、揺れる魔女の心」

 ――数日後。夜。


 外は満月。

 塔の高い窓から差し込む白い月光が、石造りの廊下を淡く照らしていた。

 誰もいないその空間はしんと静まり返り、足音すら吸い込まれてしまうような深い静寂に包まれていた。


 その静けさの中、ひとつの扉が――きぃ、と慎ましげな音を立てて開かれた。


 扉の隙間から、ひとりの男がそっと姿を現す。


 肩まで伸びた金色の髪をふわりとなびかせ、乱れた衣の裾を慌てて手で直しながら、後ろ手に静かに扉を閉める。

 その指先の動きには、名残惜しさと、どこかくすぐったそうな幸福感がにじんでいた。


 男は一度も後ろを振り返らず、そのまま月明かりの中へと歩き去っていく。


 その顔立ちはあまりにも整っていて、目鼻立ちは繊細で、まるで絵画から抜け出した天使のよう。

 表情には満たされた夜の余韻がほんのり残り、肌には仄かな赤みすら帯びていた。


 ――けれど。


 その光景を、石柱の陰からじっと見ていた男が、もう一人いた。


 塔の壁にもたれかかるように立ち、腕を組みながら、ただひたすらその一部始終を見つめていた。


 夜の冷気すら届かぬほど張り詰めた空気を身にまとい、

 その鋭い視線は、まるで暗殺を前にした騎士のよう。


 リックヴォルグ。


 黒い外套に包まれたその大柄な身体は、まったく動かなかった。

 けれど、その紫色の瞳だけが、深く燃えていた。


 嫉妬――

 それは、とても静かで、とても鋭い感情だった。


(……まただ)


 喉の奥が焼けるような痛みを訴える。

 拳を握りしめていることに、本人すら気づかないほど、全神経が張り詰めていた。


(数日ずっと……この光景を、何度も見ている。けれど……慣れるなんて、絶対に無理だ)


 ただ、そこに“エリナの特別な相手”として自分が含まれていない――

 それだけで、狂いそうだった。


 塔の中。エリナのいる世界。

 それは、彼にとって夢の中にいたいほどの場所なのに、

 その中心には、自分ではない誰かが、あたりまえのように出入りしている。


 その現実が、何よりも、苦しかった。


(……エリナ。あなたは、俺に一体どこまで……試練を与えるつもりなんだ)


 その想いは、夜の静寂のなかで、音もなく燃え上がっていった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 



――翌朝。


 塔の食堂には、早朝の光が柔らかく差し込んでいた。

 ステンドグラスを通った朝日が、床に淡い色を落とし、空気を澄んだ香りで満たしている。


 その静寂の中で、エリナはひとり、丸テーブルに優雅な姿で座っていた。

 手元には香り高い紅茶と、果実のコンポート。

 金の髪をかき上げながら、優雅にカップを持ち上げ――


「……ふぅ」


 満ち足りた朝の時間を楽しんでいた――その瞬間。


 足音が、食堂の奥からまっすぐに迫ってくる。


 重く、早く、明らかに“話のある人間の足取り”。


 エリナが顔を上げると、そこには昨日よりもさらに険しい表情をしたリックヴォルグの姿があった。


「……エリナ。話がある」


 その声音は、いつもの丁寧さに比べて、低く、硬く、そして……どこか抑えきれない熱をはらんでいた。


 エリナは紅茶を口元に運びながら、ゆるく首を傾ける。


「どうしたの? そんな怖い顔して……」


 けれど、その問いに返ってきたのは――


「夜……抱くのは俺だけにしてくれないか?」


 ――ピタッ。


 エリナの手が止まり、カップがわずかに揺れた。

 紅茶の表面に小さな波紋が広がっていく。


「……はい???」


 椅子からわずかに身を乗り出しながら、エリナの目がまんまるに見開かれる。

 言葉の意味を即座に理解できず、思わず顔が引きつった。


「ここへ来て数日……俺は嫉妬で気が狂いそうだ!!」


 リックは拳を握りしめ、まっすぐ彼女を見つめて叫んだ。


 その表情は、まるで命をかけた告白のようで――真剣そのもの。


「……えぇ………………」


 返す言葉が見つからず、エリナは目を細めたまま絶句する。


 (は? なに言っちゃってるのこの人……!?)


 その顔には、誰が見ても「引いてる」感情が丸出しだった。


(長く生きてると、情事なんて娯楽の一つになるのよ。

 特定の相手なんて、いたことないし――)


 (だって私、チート能力持ちの転生者よ?

 美男を集めてあれこれ楽しんで、何が悪いの!?)


 そんな心の声がぐるぐる巡る中――リックの次の言葉が、彼女の耳を打った。


「……一度でいい。俺を、試してくれないか」


 その瞬間。


「ぐっ……はぁっ……」


 エリナの胸が、ズクンと波打つ。


 (な、なにこの顔っ……!?)


 リックの紫の瞳は、真っ直ぐに自分だけを見ていて、

 その表情は、押しつけがましくもなく、ひたすら“誠実”だった。


 (こんな顔、何百、何千と見てきたはずなのに……どうしてこんなに刺さるの……?)


 (この胸の高鳴り、どれだけぶりよ……)


 ふいっと目をそらし、視線を逸らす。


 (やばい、このままじゃ押し負けそう……!)


 そんな焦りをごまかすように、エリナはわざと大げさに肩をすくめ、くるりと椅子を回して振り返った。


「……い、いいわよ。やってやろうじゃないの」


 強がり混じりに言い放つ。が、内心はぐらぐら。


 すると、リックがほんの少しだけ口角を上げて言った。


「もし――良かったら、今後は俺だけにしてほしい」


 その穏やかな声が、あまりにも優しくて。

 まるで傷つけないように包み込んでくるようで。


 エリナは再び、心を揺さぶられた。


「ふんっ、“良かったら”ね!」


 言葉では突っぱねながらも、その目はわずかに揺れていた。


 心の中ではすでに――


 (うわぁぁ……動揺してるの、バレてないわよね!?)

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