4話.「永遠に生きる者たち」
塔の最上階。
丸天井から差し込む月の光が、水晶玉に反射し、部屋の壁に幻想的な模様を描いていた。
エリナ・リカーナスキッドは、大きな窓辺に設えられた低いソファに足を投げ出し、膝に乗せた丸い水晶を覗き込んでいた。
水晶の中には、まるで劇場のように、二人の人間の姿が映っていた。
一人は、見覚えのある金髪の少女――アステナ・ヴィントラード侯爵令嬢。
もう一人は、その彼女の元婚約者、デール・ヴィストレイシア王子である。
「ふふふ……平民を娶ると、苦労するわよ~~、王子」
エリナはにやにやと唇を吊り上げ、指先で水晶の縁を軽く叩いた。
そのしぐさは、まるで恋愛ドラマの続きを楽しむ視聴者のように軽やかだった。
――だが、その声を背後から遮ったのは、ひとりの男の声だった。
「……何を、されているのですか?」
塔の扉をそっと開けて入ってきたのは、エリナの“夫”候補――リックヴォルグである。
「ん? 人の人生を見て、楽しんでるのよ」
悪びれる様子もなく、エリナは水晶を掲げ、くるりと椅子を回して彼のほうを向いた。
その無邪気な笑みに、リックは少しだけ眉をひそめる。
「……私との時間も、楽しんで頂けませんか」
「うっ……」
意外なほどストレートな言葉に、エリナの肩がピクッと跳ねた。
(くっ、やばい。いちいち破壊力がある……!)
とっさに魔女らしい笑顔を浮かべ、手をぱたぱたと振る。
「リックヴォルグ。……じゃなくて、リック!
私の旦那になるなら、もっと気さくに話しなさいなっ」
「わかりまし……いや、わかった」
言い直すリックの真面目な姿に、エリナは思わず小さく笑ってしまう。
「ふふっ。まったく……夫ができるなんて、何年ぶりかしら」
そう呟いた瞬間、静かに控えていたグレイがすかさず言葉を挟んだ。
「800年ぶりです」
「……それは……妬けるな」
リックの低い声が、ほのかに熱を帯びてつぶやかれる。
その一言に、エリナの金の瞳が揺れた。
「え……?」
「…………」
「夫がいたって言っても……あれよ。
私が“何でも願いを叶える”から、夫になってみたいって言ってきた奴よ。
それで、なんでも叶えてやって、その先どうなるか実験しただけよ?」
「……で、そいつはどうなったんだ?」
リックが問い返すと、エリナは小さく肩をすくめた。
「ふっ、生きることに飽きて、塔を出て行ったわ」
「……ここを出ると、どうかなるのか?」
リックの質問に、エリナの声色が少し変わる。
ふっと目を細め、彼の目を見つめた。
「リック。“ここを正式に去る”というのは、“止まっていた時間が動き出す”ということよ。
つまり――そのまま、寿命で死ぬの」
しんと空気が沈む。
「……俺は、今。止まってるのか?」
「いいえ。今はまだ」
答えたのは、背後のグレイだった。
彼はすっと前に出ると、ゆっくりと袖をまくり、手首の内側を見せた。
そこには、魔法文字で編まれた淡い金の刻印が、薄く光っていた。
「これがある限り、“エリナ様と同じ時間”で生きることになります。
不老不死という意味ですね。
ですが、もしここを“去る”と――それは解除され、時は流れ始めるのです」
「……俺には、刻んでくれないのか?」
リックの真剣な目に、エリナは少しだけ困ったように視線を逸らす。
「刻むわよ。でも――」
ソファに腰を落とし、ため息混じりに髪をかき上げながら続ける。
「今やってる“ヴィントラード侯爵令嬢”と“デール王子”の件が終わってからね」
するとグレイが、さらりと補足するように続けた。
「エリナ様は、時期に“時戻し”を行います。
その際に、あなたの時も一緒に巻き戻されてしまうのです。
もし先に刻印を刻めば、存在が干渉を受けて消滅する可能性がある。
……ですので、“時を戻した後で”刻む予定です」
「そうか……了解した」
リックはすっと視線を落とし、真面目な面持ちで頷いた。
だがそのまま、ゆっくりと顔を上げると、ふと――従者へと視線を移した。
その紫の目が、真っ直ぐにグレイを捉える。
「……ところで、グレイ殿は? 何者なんだ?」
「え?」
グレイがわずかに目を見開く。
まさか自分に話を振られるとは思っていなかったのだろう。
「グレイは……」
エリナも一瞬だけ言葉を迷い、ちらりとグレイを見た。
その視線を受けて、グレイは一礼しながらも、静かに首を横に振る。
「構いません。お話しください」
その声音は控えめながらも、どこか誇りを含んでいた。
エリナは肩をすくめ、小さくため息をつきながら言った。
「彼ね――好きな女性がいるの。
それも、もう1000年以上も前から。ずっと、その人の転生を追いかけてるのよ」
「……!」
驚いたように、リックの目がほんの少しだけ見開かれる。
「で、その“対価”として、私の側仕えをしてもらってるの。
その代わり、グレイにはその女性の魂の波動が感じ取れるようになってるの」
「……それって……」
「ええ。だからその人が生まれ変わるとね。
グレイはフラッと――百年弱いなくなるの」
「……そうか」
リックは静かにその事実を受け止めた。
その視線にはどこか温かさがあり、そして……ほんの少しの寂しさもあった。
「安心して。私を愛してるなんて本気で言ってきたのは、あなただけよ」
ふっと微笑むエリナ。
だがその言葉に、リックは――とても静かに、しかし重く言った。
「それは……辛い人生だったな」
「え?」
不意に、心の奥を突かれた気がして、エリナはまばたきをした。
すると、リックがゆっくりと歩を進め、ほんの一歩だけ距離を詰める。
「これだけ長く生きていて、誰も愛さないなんて――
……こんなに、愛らしいのに」
「~~っ……」
エリナはその瞬間、思わずソファの肘掛けに手をついて体を引いた。
心臓が、ドクンと跳ねる。
(ちょ、調子が狂うわ、この男……っ)
そのまま黙っていては空気が持たないと思い、わざとらしく咳払いをひとつ。
「それと、あそこにいる従者たちだけど……。
数人はね、不老不死を願って、人生に飽きて、でも死ぬのが怖くてここに留まってる者。
他には、不老不死を満喫してる者と、私が遊びで“不老不死で働け”って命じた者もいるわよ」
リックはちらりと部屋の隅に目をやり、控えている執事や従者たちを見る。
その顔立ちはどれも整っていて、年齢がまるで感じられなかった。
静かな間を置いて、ぽつりと問いがこぼれる。
「……“対価”って、本当はないのか?」
エリナは、今度はほんの少しだけ頬を緩め――まるで秘密を明かす少女のように笑った。
「ないわ。
でも、作って遊んでるのよ。そのほうが、ドラマティックでしょ?」
「……ははっ。そうか」
リックが短く笑ったその表情を見て――
(な、なによその顔は……!)
胸が、ぎゅうっと締めつけられるように苦しくなった。
優しすぎる、真っ直ぐすぎる。なのに、まったく押しつけがましくない。
その笑顔は、あまりに温かくて。
どこか懐かしいようで――エリナは、ほんの少しだけ、目を逸らした。