3話.「重たくて、まっすぐな愛の行方」
「エリナ様、お気を確かに」
やや引き気味の声で、グレイがそっと耳元に囁いた。
「……はっ」
我に返ったエリナは、こめかみを押さえて頭をふるふると振った。
あの“マッチョメイド”の想像が、あまりに破壊力抜群だったのだ。
「……ふぅ。いいわ、撤収して」
ふらふらと片手をぷらぷらと振ると、ずらりと並んでいたイケメン・メイド軍団が、整然とした動きで部屋をあとにする。
その去り際には、なぜか名残惜しそうに微笑む者もいて、グレイが一歩前に出てドアを静かに閉じた。
部屋の中は再び、三人きり。
エリナは視線を正面に戻し、リックをじっと見つめた。
その表情には、もうさっきまでのふざけた調子はなかった。
「……リックヴォルグ」
「はい」
変わらぬ姿勢で跪いたまま、彼は静かに応じる。
「そなたの本気は……確かに、受け取った。
だけど、それだけじゃ足りない。理由が、まだ“不十分”よ」
まるで試すように、けれどどこか怖がるように。
エリナの瞳は、真剣な光をたたえていた。
すると、リックはゆっくりと顔を上げた。
紫色の瞳が、真っ直ぐにエリナを見つめ返す。
「でしたら――私の人生を、見ていただけませんか」
「……何?」
一瞬、聞き返すエリナ。
だが彼は怯まず、言葉を重ねた。
「“なんでも可能”なのがあなたの力だと、私は聞いています。
でしたら、私がどう生きてきたか……そのすべてを、見てもらえるはずだと」
……正気か、この男。
エリナは思わず眉を寄せる。
自分の人生を、過去を、心の奥底まで丸ごと覗かせろと言っているのだ。
それがどれほど恥ずかしく、逃げたくなることか。
だが目の前の男は、微動だにせず、ただ静かに覚悟を差し出してきていた。
「……ふん。いいでしょう。特別に、見て差し上げましょう」
椅子の背から身を起こし、エリナはリックへと歩み寄る。
そして、彼の目の前で腰をかがめ――両手で、その頬を包み込んだ。
その時。
リックの目が、ゆっくりと閉じられる。
静かに、穏やかに、まるで……キスを待っているような仕草。
(な、なんで閉じるのよ……っ)
心臓が、ドクンと跳ねた。
この胸の高鳴りは、いったいいつぶりだろう。
自分から触れておいて何を動揺しているんだ、と自問しつつも、頬を包む指先がぴりぴりと熱くなるのを止められない。
――けれど。
「……いきますよ」
照れをごまかすように囁き、エリナはおでこを、リックの額にそっと重ねた。
瞬間、魔力が弾ける。
高速で流れ込む、“彼”の人生――
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
まだ少年だった頃、王都の大広間。
会議に同席していた幼いリックが、壇上にいた金髪の魔女に目を奪われる。
その姿に――一目惚れ。
そこから彼の人生は、軌道を変えた。
エリナの名前を調べ、書物を漁り、魔女という存在の真実を知る。
彼女の元に行くには、自分はどうあるべきか――
時期公爵としての宿命を見据え、それをどう手放すかを考えた少年。
公爵家に嫁ぐなら。嫁いでもらうなら。
あらゆるパターンを想定し、準備し、道を切り拓いていくリックの姿。
そして、そのすべてが――彼女にたどり着くためだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ぴぎゃっ!?」
ぶわっとエリナの顔が真っ赤に染まり、思わず奇声が飛び出した。
「エリナ様!?」
グレイが焦って声をかける。
そのときにはもう、エリナはソファにぷしゅ~~っと音を立てるかのように、力なく倒れ込んでいた。
頬は真っ赤、耳まで熱い。
ドレスの袖から覗く肩が、わずかに震えている。
――このとき彼女は確信した。
このリックヴォルグという男、本気でやばい。
ソファに沈み込んだエリナの視界に、リックの顔が再び入ってきた。
彼は変わらず、静かに跪いたまま。
紫の瞳だけが、強く、揺るぎなく、彼女を見つめている。
「どうか……この私の願いを叶えてはいただけませんか……エリナ様」
その声は、まるで誓いのようだった。
決して熱く叫ぶわけではない。けれど、その静けさの中に、心の芯を灼くような情熱があった。
――エリナは、負けた。
こんなにも真っ直ぐな眼差しを、何百年ぶりに見ただろう。
自分を利用しようとする者でもなく、崇め奉るだけの者でもない。
ただ、“ひとりの女”として、見つめてくる瞳。
「……良いでしょう。その願い、叶えます」
ソファの背もたれに身を預け、ふぅと小さくため息を吐きながらも、確かにそう告げた。
「エリナ様!? そんなっ……!」
すぐさま声を上げたのは、グレイだった。
いつも冷静な彼が、ほんの少しだけ動揺の色を見せたのを、エリナは横目で見る。
「なにをそんなに驚くのよ。どうせ、何年かしたら飽きるわ」
肩をすくめて言ってみせるが、自分でもその言葉が虚勢だと気づいていた。
「いえ、ですが……この者。いつものような輩とは……少し、違って見えてしまいまして」
俯き加減に言うグレイの声は、どこか寂しげだった。
普段の彼らしくない、僅かな“嫉妬”すら含まれているようにも聞こえた。
エリナはその姿を見つめながら、ふっと笑みを浮かべる。
「案ずるな。傷ついても、それもまた一興よ。
一人くらい……私を本気で愛する者を側に置いていても、損はないでしょ。
――たとえ、グレイ。あなたが消える時が来てもね」
その言葉に、グレイはふと瞳を伏せた。
そして、影を落としたような微笑みを浮かべて――
「……左様でございますか。承知しました」
それは、何百年も仕えてきた“忠臣”の、淡い別れの予感だった。
エリナは立ち上がり、リックに向き直ると、手のひらを軽く掲げた。
「はい、じゃあ。迎え入れることに決定!」
高らかに宣言するその声に、リックの顔がぱっと明るくなる。
だが、すぐに彼は首を傾げた。
「……対価は、いらないのですか?」
真剣な声色で問うその言葉に、エリナはくすっと笑った。
「そうねぇ……“対価”って言えば――そうね、浦島太郎になるくらい?」
「……浦島、太郎?」
リックは不思議そうに首をかしげた。
エリナは「あっ」と声を漏らす。
「あ、ごめん。こっちの世界にはなかったわね……。
簡単に言えば、“生きる時間が、変わる”ってこと」
そして、ソファの後ろに手を置き、ゆっくりと彼に言い聞かせるように言葉を続けた。
「気がつけば、100年。気がつけば1000年。
誰もあなたのことを覚えてなくなって……
あなたを知る者は、私しかいなくなる。
孤独だけが残る。
それでも――それでもいいの?」
その問いに、リックは一切迷わず、頷いた。
「はい。エリナ様のお側にいられるのならば、100年でも、1000年でも……永久に」
その答えに、エリナの心臓が、ぎゅっと小さく震えた。
(本当に……迎え入れてよかったのかしら)
そんな迷いが、一瞬だけ心をかすめる。
でもすぐに、それをそっと胸の奥に沈めた。
エリナは、つい目をそらすように話題を変える。
「とにかく。結婚するにあたって、少し厄介なことがあってね。
準備もあるし、色々と……時間はかかるけど、いいかしら?」
問いかけに、リックは迷いなく頷いた。
「はい。構いません。あなたと夫婦になれるのなら、何でも」
まただ。あの目だ。
真っ直ぐで、迷いなくて、ちょっとだけ……重たい。
(愛って……こんなに、重かったかしら……)