24話.「小さなことも、ふたりで見ていたい」
――この数日で、王国中がざわついていた。
事の発端は、とある噂だった。
《リカーナスキッドの魔女が少年趣味で、公爵家の嫡男を娶ったらしい》
あるいはこうも言われていた。
《コーゼンラート公爵家が、ついに“願いを叶える魔女”を手中に収めた》
真偽不明の情報はどこかで脚色され、あっという間に庶民から貴族階級にまで広がっていった。
そして、そこに“願いを叶えてもらえるかもしれない”という期待が乗ると――
連日、公爵邸には訪問者が殺到していた。
門前には人の列。下級貴族から富豪商人、時には平民らしき者まで混ざり、衛兵の制止を押し切って必死に叫んでいる。
「願いを聞いてほしいのです!! どうか我が家の無実の罪を晴らして!」
「お願いします! 息子が生まれつきの病で……どうか……!」
「金ならいくらでも払う! だから、私と結婚してください!!」
最後の叫びは明らかに方向性が違っていたが、それすらも“魔女の噂”がどれほど世間に波紋を広げているかを物語っていた。
そんな騒がしい声を、窓越しに聞きながら――
エリナは公爵家の客間の窓際に立ち、下の庭を見下ろしていた。
(……うーーーん)
口をすぼめ、腕を組んで悩ましげな顔になる。
(これ……私、帰ったほうがいいのでは?)
視線の先では、門番たちが今日も必死に来客を制御している。
中には泣き崩れる者もいれば、紙に書いた“願い事リスト”を振り回す者もいて、まるで市の露店のような騒ぎだった。
と、そのとき。
「すごい人ですね」
後ろから聞き慣れた低く穏やかな声がかけられる。
振り向けば、黒髪に赤い瞳――グレイが、紅茶の乗った銀盆を手に、静かに立っていた。
つい先日、塔から合流したばかりの、彼女の忠実な従者であり、元・魔王。
「塔からもう一人、対応できる人材を呼びましょうか?」
「……そうね」
エリナは肩をすくめてため息をついた。
「このままだと公爵家の迷惑になるし……私、ちょっと目立ちすぎてるみたい」
「迷惑なんて、気にしなくていいさ」
と、そこにわり込んできたのは――元気いっぱいの少年の声。
「え?」
顔を向ければ、リックヴォルグがぴょこっと部屋に入ってきて、にこりと笑う。
「魔物を封じたおかげで、今は兵も余裕があるしな。門番たちに任せれば、あの程度の混雑ならどうってことないよ」
その表情はどこまでもまっすぐで、エリナのことを“重荷”ではなく“当然守るべき存在”として扱ってくれていることが、じんわり伝わってくる。
「……そっか。ありがとう、リック」
やさしく微笑み返すエリナだったが――
ふと、視線をもう一度下に戻すと、何やら気になるものがあった。
(……っていうか)
再び真剣な顔になり、人だかりを見つめて目を細める。
(こういうときこそ、うちの“イケメンセンサー”の出番じゃない?)
“ピピピッ”という脳内音が鳴りそうなレベルで、エリナの目が人々をスキャンする。
しかし――
「……一人もいないわね、イケメン」
肩を落とすエリナ。
「まさか、あれが地味に役立ってたなんて……」
塔の入場条件として、彼女がなんとなく運用していた“イケメンしか通さない結界”が、まさかここまで騒動を防いでいたとは。と、そんなことを考えていると、エリナは立ち上がり、手元の杖をぽんと床に突いた。
「さて。仕事をしなきゃね」
「仕事?」
隣にいたリックが小さく首をかしげた。
エリナは振り返り、軽く片目を閉じてウインクする。
「えぇ。時を戻したことで、本来の時間軸で受けていた“依頼”が、そのまま放置されているの。さすがに放っておくのもね」
言いながら、袖を翻して黒と紫のマントを肩にかける。
淡い魔力の光が、身支度に伴ってふわりと周囲を揺らした。
「つまり、記録上では“引き受けた”ことになってるけど、実際には“まだやってない”状態なわけ。だから、先回りして片付けに行くのよ」
「なるほどな……」
リックは納得したようにうなずいたあと、ほんの一瞬だけ躊躇するような表情を浮かべる。
けれど、すぐに前を見据えて言った。
「俺も、ついていっていいか?」
エリナは、そんな彼をじっと見つめる。
少年の姿になってなお、自分を支えようとしてくれるその真っ直ぐな目に、思わず心が温かくなる。
「構わないわよ。でも、そんなに面白いものじゃないわよ?」
「わかってる」
リックははにかんだ笑みを浮かべた。けれど、その目だけはとても真剣だった。
「……でも、例え小さなことでも――エリナと共有しておきたいんだ」
その言葉に、エリナの手がふっと止まった。
風が、カーテンの隙間からふわりと吹き込んできて、彼女の金の髪を優しく揺らす。
(……小さなことでも、一緒にいたいって、そう思ってくれるなんて)
「……ふふ。ほんと、甘え上手なんだから」
わざと呆れたようにため息をついてみせながらも、その声はどこまでも優しかった。
エリナは手を差し伸べ、リックの額に軽く手を置く。
「じゃあ、覚悟してついてきなさい。途中で退屈しても、泣かないこと」
「うん。絶対、退屈なんてしないさ」
リックの答えは迷いなく、どこまでも純粋だった。
こうして、魔女と少年は再び歩き出す。




