22話.「父は嘆き、息子は恋し、母は察する」
(な……なぜ食事まで……)
エリナ・リカーナスキッドは、白い陶器に盛られたスープ皿を手に取りながら、ほんの少しだけ目を伏せた。
場所は、コーゼンラート公爵邸の食堂――
高い天井に揺れるシャンデリア、長く整った食卓、銀食器と豪華な料理がずらりと並び、貴族の食事風景そのものだった。
……そしてその席に、ちゃっかり“魔女”が座っているという事実に、エリナ本人が一番違和感を覚えていた。
「エリナ様は普段、どのようなお料理を召し上がっているのですか?」
「魔法で料理も作られるんですか?」
「不老の体でも、やっぱり味覚はあるんですよね?」
「……あの、それ以上は……!」
にこやかに質問を重ねてくるのは、リックの母・ヴェーマ。そしてときどき口を挟む父・ヘンリエック。
言葉こそ丁寧だが、完全に“質問攻め”だった。
エリナはにっこり笑いつつ、スープスプーンを口に運ぶ――が、心の中ではゆるやかに“疲労ゲージ”が上昇していた。
(うぅ……魔力使うよりMP消費してるかも……)
だが、そんな空気を一気に変えたのは、隣の席に座っていた少年――リックヴォルグだった。
スッと背筋を伸ばし、真剣なまなざしでエリナを見つめる。
「エリナ、今後だけど――俺も一緒についていっていいよな?」
「えっ……?」
不意の言葉に、エリナはスプーンを止め、思わず彼を見つめた。
その言葉の真剣さに驚きつつ、ちらりと視線を向ける――向こうに座るご両親へ。
だが、二人はすぐに応えるように微笑んだ。
「……よろしければ、我が家に住まれては?」
「え?」
目を丸くするエリナ。
まさかの申し出に思わずスープを飲み込めず、少し咳き込む。
「わ、私が……ここに?」
「ええ。……私たちは、まだ息子と、もう少しだけでも一緒に過ごしたいのです」
ヴェーマが静かに語る声には、母親としてのあたたかさと、少しの寂しさがにじんでいた。
「でも……息子の眼中には、すでにエリナ様しかいないようでして」
ヘンリエックが苦笑まじりに言うと、リックは顔を赤くしながらもう一度尋ねる。
「エリナ、だめか?」
その声には、まるで迷子の子犬のような不安と、一途な期待が混ざっていた。
(うぅぅぅ……なにこれ、少年リックも可愛いじゃない……!)
エリナは心の中で小さく悶絶する。未来の大人びた彼も良いが、この真っすぐで素直な子供姿はそれはそれで反則級だ。
(うん……うん、まぁ……この空気も悪くないかも)
「……まぁ、はい。彼が成人するまでは結婚もできませんし……ご迷惑でなければ、しばらくお世話になってもいいかもしれません」
そう言うと、ご両親の顔がぱっと明るくなった。
「ご迷惑だなんて!とんでもない!」
ヴェーマは両手を重ねて嬉しそうに頷く。
「エリナ様のような方を迎えられるなんて、光栄の極みですわ」
「食事の際に、こんなに笑顔を見られたのは久しぶりだ」
ヘンリエックもどこか感慨深げな表情を浮かべる。
そうして、ぎこちなく始まった“お客様の夕食”は、いつの間にかあたたかな団欒の場へと変わっていた。
リックは満足そうにエリナの隣でニコニコと食事を続け、エリナもまた、ふわりと肩の力を抜いた。
(うん……まぁ、悪くないかもね)
初めて“家族”のぬくもりに触れた気がして、彼女の頬が、ほんの少しだけ赤く染まっていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
そうして、楽しく和やかな食事の時間が終わると――
コーゼンラート公爵夫妻が、ゆったりと席を立ち、エリナに向き直った。
「エリナ様には、我が家で最高の賓客室をご用意いたします。暖炉も整っておりますし、寝具も特注のものでして……」
ヴェーマが嬉しそうに微笑みながらそう申し出た、その瞬間――
「ダメです!」
椅子の音をガタン!と鳴らしながら、隣の席でリックヴォルグが勢いよく立ち上がった。
「エリナは、俺と同じ部屋がいいんです!」
「はあっ!?」
思わず絶句するヘンリエック。
「な、なにを言っとるんだ、リックヴォルグ……っ! あれだけの食事をしたあとに、なんでそんな爆弾発言をする!?」
声の調子こそ怒鳴り気味だが、その内容には明確な“親の戸惑い”がにじんでいた。
そんな父の困惑をものともせず、リックはまっすぐエリナの手を取り、うるんだ瞳で見上げてきた。
「エリナ、いいだろう? 一緒じゃないと……不安なんだ」
その言葉は、甘えるというよりも“必死”だった。
(ううぅ……)
エリナは思わず目をそらす。
(その顔……その顔やめて……子犬か。いや子犬だわこれは。懐いてるわ。懐かれてるわ……!)
未来ではたくましい男だったはずのリックが、今はすっかり甘えん坊モード。しかも、自分以外に興味を示さないこの一途さ。
(……ズルい)
「まぁ……ええ、いいわよ。彼が安心できるなら、それで」
やや投げやり気味に答えるエリナだったが、口元には笑みが浮かんでいた。
その瞬間、リックはパッと笑顔をはじけさせ、彼女の手をぎゅっと強く握る。
「ありがとう、エリナ!」
「……ん。どういたしまして」
そんなやり取りを横目に、ヘンリエックはゆっくりと椅子に腰を戻し、両手で顔を覆った。
「……はぁ……まったく……」
長く深いため息。
「息子の愚行に、父親としてどう反応すべきなのか……日に日に難しくなっている気がするぞ」
「でも……エリナ様も、まんざらじゃなさそうでしたね?」
ヴェーマが小声で囁くと、ヘンリエックはさらに一層の深いため息を重ねた。
「……やれやれ。もういっそ、いろんな意味で覚悟を決めるしかないのかもしれん」
とはいえ、口調にはあきらめと共に、どこか“ほっとしたような”響きもあった。
エリナがこの屋敷に来たことで――家族の空気が、確かに少しずつ、変わり始めていた。




