21話.「たとえ魔女でも、この子の未来を願うなら」
賓客室――
コーゼンラート公爵夫妻とエリナは、向かい合ってソファに座っていた。
淡い陽光がカーテンの隙間から差し込み、重厚な室内に柔らかい光を落としている。
リックヴォルグはというと――エリナの隣にぴたりとくっつき、まるで子犬のようにしがみついたままだ。
その表情は恍惚。
彼にとって、この体勢は“最高の幸せ”らしい。
……が、親側はそうもいかない。
向かいのソファでは、コーゼンラート公爵夫妻――ヘンリエックとヴェーマが、手元の“求婚状”をまじまじと凝視していた。
長く生きてきた中で、いろいろな書状は見てきたが――これは、どこからどう見ても“正式なもの”だった。
封蝋は正規のもの。文面も礼を尽くした書式。
問題は、その“送り主”が、“リカーナスキッド辺境伯”だということだけだった。
「……失礼ですが、息子とはどういったご関係で?」
ついに重い沈黙を破ったのは、母ヴェーマだった。
声は落ち着いているが、わずかに眉が引きつっている。
無理もない。“不老不死の魔女”と称される存在が、我が息子に突然求婚とは――冷静でいられる親など、そうそういない。
エリナはというと、抱きつかれたままの状態で、少し困ったように笑って答えた。
「なんといいますか……信じられないかもしれませんが……」
そこでちらりとリックを見やり、小さくため息。
「未来で彼が私のところに求婚に来たんです。それで、“なら今のうちに話を通しておこうかな”って」
話の内容は突飛でも、言い方はやけにあっさりしていた。
――しかし、それが逆にリアルだった。
「………………」
しばらく沈黙が続いたあと、父ヘンリエックは重たいため息をついた。
「……いや、信じましょう。……貴女様が、ここにいらっしゃったのなら、息子の“無謀な行動”にも納得がいきます」
「無謀……?」
エリナが小首をかしげると、ちらりとリックの方へ視線を向ける。
少年の腕には、うっすらと消えかけの魔法紋――領域刻印の痕跡が見えていた。
(ああ……また、やったのね)
思わず小さく肩をすくめる。
(この子、未来の記憶があるからって……刻印なんて、十三歳の体でやるには危険すぎるのに)
エリナはちらっと彼の顔を見た。
リックヴォルグは、痛みの影など見せず、ただ彼女のぬくもりに溺れるように目を細めていた。
(……まぁ、死んだとしても、私が生き返らせるって信じてたのかしら。あ、実際一回そうしたわね)
「……ふぅ」
彼女の脳内が適度に自由なころ、公爵夫妻は目配せをしながら、ふたたびエリナへと向き直った。
「正直に申し上げれば……身分の釣り合い、年齢差、そして未来の話……どれを取っても、承諾には難しい点がございます」
ヘンリエックの声は真剣だった。
だが――次の瞬間、ほんのわずかに口元を緩める。
「ですが……それでも、貴女様のようなお方に“求婚の意志”を示されて、我々に断るだけの理由があるのかと言われれば、ないのです」
ヴェーマも静かに頷いた。
「たとえ我々が断っても……貴女様なら、我々の意志すらたやすく覆してしまうのではないかと……そんな気すらいたします」
エリナは目をぱちくりさせた後、くすっと微笑んだ。
「まぁ……確かに?」
「そして……なにより」
ヘンリエックが、エリナの隣で頬を擦り寄せている息子に目をやった。
「本人が、その未来を望んだのなら――我々が否を唱えるのは、ただの大人気ない自己満足です」
「…………」
ヴェーマは目を閉じ、深く息を吸ってから、静かに頭を下げた。
「エリナ・リカーナスキッド様。……愚息との婚約、謹んでお受けいたします」
「……! 本当ですか!?」
リックヴォルグが、顔を上げる。ぱぁっと花が咲いたような笑顔だった。
「やった……やったぞ、エリナ!」
リックヴォルグはぱっと顔を上げ、エリナに満面の笑みを向ける。
その目はキラキラと輝き、頬はほんのり赤く染まっていた。まるで、長年の願いがついに叶った少年のような――いや、実際にそうなのだ。
「え……ええ。良かったわね、リック」
エリナも自然と微笑みを浮かべ、彼の頭にそっと手を置く。
まだ小さなその頭を、やさしく撫でる指先には、どこか母性のようなものすらにじんでいた。
だが――
「子供扱いするなよ」
リックが頬をぷくっと膨らませて抗議する。
「俺は、本当は体格のいい男だっただろ……? 胸板だって厚くて、背も高くて……色々と“大人”だったはずだ」
「う……うん、そうなんだけど……」
エリナは思わず視線をそらし、指先で頬をかきながら、ちらりと彼の両親の方を見る。
「ご両親の前でそれを言うのは、どうかと思うわ……」
その瞬間、頬がほんのりと紅くなる。
――だって、言われて思い出したのだ。未来の彼がどれほど逞しかったかを。
(むしろ……目のやり場に困るレベルだったものね……)
一方、そんなやり取りを見守っていたコーゼンラート公爵・ヘンリエックは、軽く咳払いをして、空気を落ち着けるように声をかけた。
「……予知能力をお持ちで?」
「はい。まあ……“似たようなもの”といいますか」
エリナは落ち着いた声で答えながら、少しだけ手を重ねて視線を伏せた。
「未来で起こったことを、ある程度記憶している……そんな感じです。ですから、“これからの出来事”を知っているというより、“経験済み”といったほうが近いかもしれません」
「なるほど……」
父ヘンリエックは顎に手を当て、しばし思案の表情を浮かべたあと、慎重に言葉を選びながら続けた。
「その……不老不死というのは、本当なのでしょうか?」
「はい。それは事実です」
エリナはまっすぐに答える。その瞳には、隠し事のない透明な意志が宿っていた。
「ですが、正確には“不老”です。“不死”というよりは、“死ににくい”というほうが近いかと」
「死に……にくい?」
「ええ。私はどれほど致命傷を負っても、体が自然と再生してしまいますし、魔法で治すこともできます。なので、周囲から見れば“不死”に見えるでしょうけれど、意識が消えないわけではありません。……死ねるなら、死にたいときもありますよ」
ほんの少しだけ、エリナの声に陰が差した。
だが、それも一瞬のこと。すぐにいつもの調子に戻る。
「まぁ、今はそういう気分じゃありませんけど!」
「…………」
ヘンリエックとヴェーマは、そっと視線を交わし合う。
やがて、ヘンリエックが慎重に口を開いた。
「では……息子と共に暮らすというのは、貴女様からすればほんの“わずかな時間”なのではありませんか?」
それは親として、当然の疑問だった。
百年、千年生きる者が、十数年や数十年で終わる人間の人生に、どれほど本気で向き合えるのか――
だが、その問いに、エリナはすぐに否定するように首を横に振った。
「いえいえ。リックは、いずれ“こちら側”に来るつもりですから」
「……“不老”を?」
「はい。ご本人がそう望んでますし、私もその気がないわけではありません。ですから、気の済むまで一緒に生きていくつもりです。リックが望む限り」
その言葉には、一切の迷いがなかった。
ヴェーマがそっと息を吐いた。
「……そう、ですか。……いえ、すみません。親として、つい……いろいろと心配が先立ってしまって」
「お気持ちはわかりますよ。私も、彼の人生に関わる以上、その覚悟は持っているつもりです」
エリナは微笑んだ。




