1話.「願いを叶える魔女の日常」
これは、最愛が最悪を抱きしめて、
誰よりも不器用な魔女に“愛し方”を教える物語。
人の人生を操ることに耽溺した魔女が、
たったひとつの愛に、人生を変えられるまでの――
歪んだ世界で、いちばん真っすぐな恋の記録。
「ふぁ~~~~……退屈だなぁ……なんか、面白いことあった?」
午前の光がゆるやかに塔の窓から差し込み、白いカーテンが風にふわりと舞う。
その光の帯が、部屋の中心にある深紅のソファをゆっくりと照らし出す。
そのソファに、溶けるようにだらりと体を預けているのは、金髪の魔女――エリナ・リカーナスキッド。
彼女はソファに深く沈み込みながら、金色の髪を指でくるくると巻き、片手では欠伸をかみ殺していた。
長いまつげの影が揺れ、金の瞳はどこか気怠げに光を集めている。
美しく、退屈そうなその姿は、千年以上生きた者の“永劫の暇潰し”そのものだった。
その問いかけに応えたのは、ソファのそばに控える一人の青年。
「ヴィントラード侯爵令嬢が、王子から婚約破棄を告げられたそうですよ。そして、そのまま国外追放に」
低く、滑らかな声。言葉は抑揚に欠けるが、妙に耳に残る。
黒髪に赤い瞳。端正な顔立ちに加えて、右目の下に浮かぶ小さな泣きぼくろが艶やかさを添えている。
黒の完璧な執事服を纏い、背筋をぴんと伸ばしたその青年は、エリナ専属の側仕え――グレイである。
報告を終えるその表情に、感情の揺らぎは見られない。
だが、その口調には、長年主に仕えてきた者特有の“慣れ”と“ほんのわずかな楽しみ”が滲んでいた。
「……えぇ!? なにそれ、超面白いじゃん!」
次の瞬間、エリナの声がぱっと弾ける。
ぱちりと金の瞳が開き、無邪気な少女のようにソファの上で足をぱたぱたと揺らした。
退屈に沈んでいた目に、急に火がついたようにきらきらと好奇心が踊り出す。
「そうですね」
グレイは淡々としたまま返すが、その声色はどこかくすぐったそうでもあった。
主が喜ぶのは、彼にとっても“いつものこと”なのだ。
「うーん……じゃあ、頃合いを見て――」
エリナはソファから起き上がると、ふっと指を鳴らした。
その瞬間、空間がわずかに震える。
見えない魔力の波がひとしきり部屋を撫で、カーテンがふわりと舞い上がった。
「時間、戻しましょうか!」
まるで今日の天気を語るかのように、彼女は言った。
「はい。そうですね」
グレイもまた当然のようにうなずく。
誰かの人生が狂うかもしれない“時間魔術”さえも、この二人にとっては日常茶飯事。
その危険性よりも、“どう楽しむか”の方が、重要だった。
「婚約破棄なんて何年ぶりかしら!」
嬉しそうに目を輝かせながら、エリナはソファの背に手をかけ、ひょいと飛び乗る。
「百年ぶりですね」
グレイが正確に答える。
その言葉に、エリナは嬉しそうに両手を合わせた。
「そうよね! ということは案外、今の王子ってば――馬鹿なのねー!」
高らかに笑い、くるりとソファの背もたれの上で一回転。
金髪がふわりと宙に舞い、部屋の空気まで華やかに変わる。
「次の会議で助言されますか?」
グレイの静かな問いかけに、エリナは軽く顎に指をあて、首をひねった。
「ううん。時間を戻すのだから必要ないわ」
「さようでございますか。失礼致しました」
丁寧に頭を下げる執事に、エリナは満足そうに笑って頷いた。
「楽しみだわ~。さて、どっちに記憶を渡そうかしら!」
瞳を細め、にやりと唇を吊り上げるその姿は、少女のようでいて、魔女のようでもある。
「今回は王子側に渡してみては? ヴィントラード侯爵令嬢は、とても優秀な知能をお持ちだそうなので。国の安寧には、そちらのほうが役立つかと」
グレイの提案に、エリナはふわっと目を見開いた。
「えー!! 素敵!! そうしましょう!」
――そう。これは、彼女の日常。
何百年も続けてきた、“ちょっとした暇つぶし”。
誰かの人生を少しだけ巻き戻し、結果を変えて、
どんな未来になるのかをじっと観察する。
時に幸福に、時に悲劇に――そうして、お気に入りの結末を見つける。
それだけのこと。
だが、永く生きすぎた魔女にとって、それは貴重な娯楽のひとつだった。
そんなときだった。
「……ん?」
ソファの横で静かに立っていたグレイが、わずかに眉を寄せた。
片手がそっと胸元に触れ、空気の乱れを察知するように、瞼を閉じる。
「どうしたの?」
エリナは無造作に寝転がったまま、片脚を揺らしながら問いかけた。
声には、ほんの少しだけ退屈が晴れそうな期待が滲んでいる。
「侵入者が……あるいは、お客様でしょうか」
グレイは眉間に指をあて、目を閉じたまま集中を深める。
室内の空気がわずかに震え、彼の周囲に淡い魔力の揺らぎが生まれる。
「どこの誰!!」
エリナはびしっと指を立てて、ソファの上で勢いよく起き上がった。
まるで“今日の面白イベント”がついにやってきたかのように、瞳が輝く。
その目の前で、グレイが落ち着いた声で告げた。
「リックヴォルグ・コーゼンラート。……公爵のようですね」
「……えぇ!? おっさん!? おっさんが来たの? おっさんだったら追い返してぇ~……!」
エリナはその場にぺたんと座り直して、むぅっと頬を膨らませた。
興味の熱が一気に冷めたような、わかりやすいテンションの落差。
――そう。この魔女、エリナ・リカーナスキッドは、イケメン以外の願いは基本、聞かない主義なのである。
数百年、いや、千年を超える歳月の中で、見飽きたのだ。
中身のない懇願や嘘くさい涙には、もううんざりしていた。
「いえ。この方は確か、今年で二十三のはずです。
両親は数年前、魔獣によって亡くなられています」
グレイが淡々と補足する。
その口調には、どこか事前に調べ上げていた気配すらあった。
エリナは、ぱちぱちとまばたきを繰り返した。
「……んーーー、そういえば。前にちょこっと会ったことあったわね。あのときは……まだ少年だったかしら?」
「はい。現在は背も高くなられて、体格も非常に良好です。
顔も……整っておられますよ」
「…………どれ!」
エリナはぐっと身を乗り出し、勢いよく立ち上がると、グレイの胸元をぐいっと引き寄せた。
「っ……!」
無表情を保ちながらも、一瞬たじろぐグレイ。
だが、慣れた様子でそのまま動きを止める。
エリナは彼の額に、自分の額をぴたりとくっつける。
その瞬間、ぱちん、と目に見えない火花が弾けた。
――千里眼。
金の瞳が淡く輝き、視線の先に“彼”の姿が映し出される。
風を切る黒髪、鋭く整った紫の双眸。
分厚い胸板と、無駄のない筋肉の塊。
漆黒の外套を翻し、馬にまたがる姿は――まるで戦場の彫像のように堂々としていた。
「……うーん。マッチョかぁ……」
エリナは難しい顔をして、額を離す。
だがその表情には、どこか興味を引かれた色が混じっていた。
「追い返しますか?」
いつものように問うグレイ。
だが、主の目がまだ“輝いている”ことに、彼はすでに気づいていた。
「ううん。顔に免じて、話だけ聞いてみるわ!」
にぱっと笑って、エリナは塔の外を見上げた。
風が、カーテンを再びふわりと揺らす。
――そう。
今日の“退屈”が、少しだけ、楽しくなりそうな予感がした。