表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/25

16話.「眠れぬ罪人は、夢に裁かれる」

――何気ない日々の繰り返し。

 ただ、何も変わらぬ朝を迎えては、虚ろな夜を迎えるだけ。


 デール・ヴィストレイシアは、そんな日常をぼんやりと過ごしていた。


 けれど、その何気ない日々の中でも、胸を締めつけるものは確かにあった。


 後悔。

 赦されない過去。


 アステナ・ヴィントラードという少女に向けて、自分がどれほど冷たく、愚かだったのかを思い出すたび――

 心のどこかが、じわりと痛んだ。


 そんなある晩。

 いつものように、疲れた体をベッドへ預け、静かに目を閉じたそのときだった。


 ――足元に、確かな感触。


 気づけば彼は、淡くセピア色に染まる記憶の中に立っていた。


「……これは……」


 目の前に広がっていたのは、まだ自分が八歳だった頃の光景。


 王宮の離宮。

 季節は春。

 庭に咲き誇る白いライラックが、風に揺れていた。


 そして、自分の向かいに座っていたのは――


「……アステナ……」


 緊張した面持ちで紅茶を口にする、淡い銀髪の少女。


 ああ、これは。

 自分とアステナが、王命により“婚約者候補”として初めて顔を合わせた日の記憶だ。


(……そうか。これが、“対価”か)


 眠りの中で過去を歩む感覚に、すぐに彼は察した。

 願いの代償として“与えられた罰”――いや、チャンス。


 デールは息をひとつ飲み、懐かしむようにその場面をじっと見つめた。


 ――そうだった。

 このとき、初めてそなたを見た時。

 八歳の自分は、幼心ながら“美しい”と思った。


 年齢は同じはずなのに。

 その佇まいも、言葉遣いも、背筋の伸び方すらも、すべてが自分よりも大人びていて。


 それがどこか、悔しくもあり、羨ましくもあり――眩しかった。


 だが、そのときの自分は。

 紅茶を飲む手元で、カチャカチャと銀食器を鳴らしていた。


 緊張のせいではない。

 退屈していたのだ。


 そして今、その様子を傍から眺める立場になった自分は、胸が苦しくなるのを感じていた。


(……俺は……なんて奴だ)


 そんな幼い態度にすら、アステナは微笑んでくれていた。

 曇りのない瞳で、優しく、まっすぐに。


 そして不思議なことに――


 アステナのその時の“気持ち”までもが、心に流れ込んでくるようだった。


 (……あ……)


 嫌がってなどいなかった。

 むしろ――“自分の容姿を、褒めてくれていた”。


 小さな心の中で、きれいな服を着てきた自分を見て、「すてき」と思ってくれていたことが、

 なぜか、今の自分にははっきりとわかった。


(……アステナ……)


 記憶の中のふたりは、そこからゆっくりと年月を重ね、

 やがて王立学園へと進んでいった。


 思えば――あれが“始まり”だった。


 王立学園。

 先代の王が掲げた「平民と貴族の垣根をなくす理想」のもと、創設された学び舎。


 貴族も平民も、身分を問わず肩を並べて学ぶ空間。

 正義の理想。


 だが――あの学園こそが、すべての“間違いの入り口”だったのではないか。


 デールは、記憶の中で立ち尽くしながら思う。


(……もし、人生をやり直すなら、この学園制度を廃止すべきか?)


 いや、しかし――。


(貴族と平民を分けたところで、自制がなければ……結局は、また……)


 脳裏に浮かぶのは、あの平民の少女――マリア。


 彼女に惹かれたのは、自分の“身勝手な感情”だった。


 自分には、すでにアステナがいたのに。

 あれほど優しくて、賢くて、何もかもを理解してくれる婚約者が、隣にいたのに。


 それでも、惹かれたのは――


(俺が……“自制”できなかったからだ)


 胸がずしりと重くなった。


 後悔は、思い出すたびに増していく。


けれど――この記憶を辿る旅が、

 その先に“赦し”をくれるのだとしたら――。


 彼は、ゆっくりと歩き始めた。


 足元はどこか現実味に欠け、靄がかった道が左右に分岐し、時に引き返すように後ろへも繋がっていた。

 ――まるで、時系列の整合性すら失った“記憶の迷路”だった。


 未来と過去が入り混じり、本人の意志とは無関係に、目の前の光景が次々と切り替わる。


 そして、ある場面で、デールの歩みがぴたりと止まった。


「……これは……」


 目の前には、まだあどけない少女の姿――アステナ。


 だがその小さな体は、貴族の礼儀作法を教える教師たちに囲まれ、

 怒号と矯正の連続の中で、泣くことも許されぬまま黙々と、ただ静かに訓練を受けていた。


 扇の角度、背筋の伸ばし方、声の抑揚、呼吸ひとつに至るまで――

 全てが“侯爵令嬢”として完璧であることを求められ、決して間違えることを許されない。


 その厳しさは、かつて自分が受けた王族教育を遥かに凌駕していた。


 寒い廊下の上に正座を強いられる。

 間違えれば食事は抜き。

 感情を乱せば、また一からやり直し――。


 それでも、アステナは一言の弱音も吐かなかった。


「こんな……こんなに小さな女の子に……」


 デールは思わず声を漏らした。


 これが日々続いていたのだ。

 毎日、毎日、彼女は完璧を強いられた。

 そのうち、誇りが彼女の内側に静かに根を張り――

 いつしかそれが彼女の“生き方”となっていった。


 ――そして。


 彼女の人生の中には、“自分への恋愛感情”など、最初から一切なかったのだと……デールは気づいた。


 それを知った瞬間、胸の奥が、ずしりと沈んだ。


「……そうだったのか……俺は……」


 マリアをいじめていたわけでは、なかったのだ。


 ただ。

 あれも、これも――すべては、“国のため”だった。


 自分は彼女を、“感情のない、面白みのない人間”だと思っていた。

 けれど――違った。


 彼女は“感情を殺された”のだ。

 好きなものも、やりたいことも、望むものも……すべてを剥ぎ取られ。

 ただ国家にとって都合の良い令嬢として、育て上げられてしまった。


 その無垢さを失った瞳が、どれだけ冷たく感じられたことか。

 でも、今なら分かる。

 あれは“冷たい”のではなく、“守るために凍てつかせた”瞳だった。


「……なんだこれは……」


 胸が、軋むように痛んだ。


 息が詰まる。

 その場に膝をついてしまいたくなるほどの罪悪感が、重くのしかかる。


 けれど――歩かねば。

 この夢からは覚めない。


 これは、自分が望んだ対価。

 願いを叶えてもらうために、自ら差し出した“罰”なのだから。


 一歩。

 また一歩。


 まるで地に根を張るように、重くて鈍い足を、ゆっくりと前へ進める。


 泣きたいくらいに苦しい。

 けれどその苦しみを――“知る”ために、自分はここにいるのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ