10話.「感情が動くのは、あなただけだなんて」
これまで男に頭を撫でられることなんて数え切れないほどあったけれど、
こんなにも心が落ち着いたのは、初めてだった。
「……え、えぇ……」
少し戸惑いながらも、素直に答えてしまう自分に内心驚きつつ、
そっとリックの顔を見上げた。
そして――そのまま、ふと思った疑問を口にする。
「……でも、どうして? あいつをわざわざ手伝わせようなんて。さっさとお金をもらって終わらせるつもりだったのに。」
肩に凭れながら、エリナが軽く睨むようにしてそう問いかけた――その瞬間。
ふわりとリックの腕が伸びてきて、彼女を優しく抱き寄せた。
「――えっ……?」
声を出す暇もなく、温かな腕に包まれ、
気づけばリックの顔が、すぐそばにあった。
耳元で、低く、静かな声が囁かれる。
「早く……エリナと結婚がしたい。
そしてこの身に……俺はエリナのものだと、刻んでほしい」
「~~~~~~~~っっっっ!!!!」
顔が一気に真っ赤になる。
さっきまで感動に浸っていた空気はどこへやら。
エリナは慌てて身を引き離そうとジタバタ暴れる。
「ひっ、ひ、人がこんなにいる前で、なに言ってるのよっっ!!」
顔を真っ赤にしながら、必死でリックの胸を押し返す。
「グ、グレイ! 何ぼーっとしてるのよ! みんなを下がらせて!!」
助けを求めると、グレイはいつもの無表情のままパンパンと手を叩いた。
「はい、撤収ー。皆さん、お開きですー。ごちそうさまでした」
メイド服姿の使用人たちが、どこかニヤニヤしながらぞろぞろと退室していく。
そして、部屋にはエリナとリックだけが残った。
エリナは頬を膨らませながら、なおもリックを睨みつけた。
「……あれがしっかり活躍すれば、早く“時戻し”も終わって、結婚できるだろう?」
「……結婚なんて、ただの紙の契約じゃないわ」
拗ねたように視線を逸らして、ぼそりと呟くエリナ。
それでも、リックは変わらず真面目な目で見つめていた。
「……思い出として、残しておきたいんだ。
目に、心に……エリナのウェディングドレス姿を焼きつけたい」
「なっ……」
言葉を飲み込む。
こんなにも真っ直ぐに、ド直球に愛を語られると、どうにも心が落ち着かない。
(わ、わたしは……なんて男を側に置いてしまったのよ……っっ!!)
動揺の渦をなんとか飲み込み、エリナは小さな声で呟くように言った。
「わ……私のウェディングドレス姿なんて……そんなに良いものじゃないわよ」
「――何故?」
リックはごく自然に問い返す。
エリナは一瞬、黙り込んだ。
だが次の瞬間、ふっと遠くを見るような目になり――ぽつりと呟いた。
「……何故って……遥か遠い昔に、一度だけ結婚式をしたことがあるのよ」
リックの目がぎゅっと細くなる。
「どこの……どいつと……?」
口調は静かだが、その目元はすでに修羅。
「え、えっと……私がまだ“魔女”になる前で……この地の“聖女”だったときの話よ……」
「……聖女? ……それは……神話か?」
「――えぇ!? 今、神話になってるの!?」
思わずエリナが身を乗り出す。
リックは小さく頷いた。
「ああ。聖女といえば“神話”だ。
勇者と聖女が魔王を倒し、結ばれてこの地に平和が訪れる――そんなふうに語り継がれてる」
「……めっちゃ美化されてて腹立つ!!!」
内心で頭を抱えた。
だがリックはエリナの表情を見て、すぐに察する。
「……事実は、違うようだな」
「えぇ。実際は、こうよ!!」
エリナは立ち上がり、机に手を置いて前のめり気味に語り出す。
「意気地なしの王子を引っ張って、無理やり魔王城へ連れて行って、
私が魔王を倒したの! それを“王子の手柄”ってことにして帰って、
“聖女と王子”という国の美談に仕立てるため、無理やり結婚させられたのよ!!」
「…………」
「で、王子はすぐ浮気三昧。
私は呆れて家出して、魔王を復活させて――一緒に消え去ったの!!」
「…………」
そして――
「……魔王は……男か?」
唐突に放たれたその言葉に、エリナはソファの上でびくんと跳ねた。
「そこっ!?!?」
反射的にツッコミが出る。
神話の真相とか、歴史の歪みとか、語った内容は山ほどあったはずなのに、
ピックアップするのが そこ!?というズレ具合に、思わず頭を抱えたくなる。
だが、リックは真剣だった。
「あぁ……共に“消え去った”と聞いたのなら、重要な確認だと思ってな」
「はいはい、安心して。その魔王はグレイよ」
「なっ……!」
一瞬、リックの顔に本気で驚いたような色が浮かぶ。
そしてそのまま、ふぅと息を吐いた。
「なら、安心――……いや、俺の知らないエリナを知っているという事実には……腹が立つな」
ぽつりと呟かれたその声が、思いのほか低くて、少しだけ嫉妬が混ざっていて――
エリナはびくっと肩を揺らす。
(な、なにこの反応……かわいいじゃないの)
「……大丈夫よ。グレイには恋人がいるし……
それに……こんなに感情が揺れ動くのは――リックだけ、だし」
言った瞬間、自分で自分の言葉に目を見開いた。
(……言っちゃったーーーーっ!?)
あわてて口を押さえるも、もう遅い。
リックの目が一瞬だけ大きくなり、すぐに優しく細められる。
そして――
「――っ、えっ?」
気づいたときには、エリナの体がふわりと宙に浮いていた。
「え!? ちょ、ちょっと!? リック!?」
「寝室へ行こう。続きを――」
「つ、続き!?!? ちょっと~~~~~~~っ!!」
抱きかかえられたまま、ドアの外へ運ばれていくエリナ。
ソファの上に残されたクッションだけが、彼女の抵抗の名残のように寂しく転がっていた。
(も、もう……!! これだからマッチョは!!)
顔を真っ赤にしたまま、
エリナの小さな悲鳴と、リックの足音が塔の奥へと消えていった――。




