手がかり07.扉の向こうの真実
「カトレア、今日はプリンを持ってきたぞ」
「ありがとう」
一段とご機嫌な笑顔を浮かべたルイスは紙袋をカトレアに突き出した。それを見たカトレアは、監禁犯に対して思わず笑みを浮かべる。
ダイアンの宣言通り、ルイスは研修が終わり、無事に王都に帰ってきたのである。走って来たのか、ルイスは少し息が上がっていた。
「また、君に会えて嬉しい」
悪意は一切ない、爽やかな笑顔だ。これが演技であるというのなら、カトレアはもう何も信じることができない。
(なんで)
カトレアは、紙袋を受け取りながらも、もやもやした感情を渦巻かせている。
(―――なんで私を閉じ込めているの?)
そう聞きたかったはずなのに、その言葉はカトレアの胸の奥深くに沈んでいく。心がずん、と鉛のように重くなった。
そんなカトレアの気持ちも知らずに、ルイスはいつものように紅茶を注ぎ、はちみつをひとさじ混ぜて差し出した。
「どうした? 具合が悪いのか?」
「ううん、ありがとう」
カトレアは、紙袋からプリンを出した。ガラス瓶に入ったそれは、ほんのりと冷たい。
「……いただきます」
「どうぞ」
ルイスに促されて口に入れれば、ミルクの甘味が優しく広がっていく。きっとそれは、美味しいものなのに、カトレアは味を感じる余裕がなかった。
(ルイスが監禁犯だなんて、とても思えない。でも、部屋から出ることができないなんて冷静に考えたらおかしいもの。外からかけられる鍵も、窓の鉄格子も、明らかに普通じゃないのに……)
いつもと変わらず、ルイスは優しく微笑んでいるだけだ。
(言えない。言えるはずがない。もし、口に出せばルイスはなんて言うんだろう。私は殺されてしまうの……?)
恐怖が湧き上がってくるけれども、それは、自分の身への危険を感じたからだけではない。記憶の無いカトレアに、毎日手土産を持って会いに来てくれるルイスとの関係が壊れてしまうことが怖かった。
まるで古傷が疼くように、じくじくと胸が痛んでいく。
「……あの――――」
「この前はすまなかった」
カトレアが話を切り出す前に、ルイスはカトレアに頭を下げた。きょとんとした顔で彼の瞳を見つめれば、気まずそうに逸らされる。
「君と最後に会った時、誤魔化して出ていってしまったこと。本当に申し訳ない」
「ああ、そういえば……」
カトレアは、それ以上の衝撃が重なり過ぎて、すっかりそのことを忘れてしまっていた。最後に会った時に、彼が出ていったのは、カトレアが『好きな人』との関係を問い詰めたからだ。
ルイスは、プリンが入っていたのとは別の紙袋をガサゴソと探った。
「研修中、ずっと謝りたいと思っていた」
ルイスは、小さな花束を取り出す。
薄いピンク色の“洋蘭”だ。ふわりと生花特有の甘い匂いがカトレアの記憶を刺激した。
「―――カトレア、君と同じ名前の花だよ」
「…………っ!」
その花束を受け取った瞬間だった。カトレアの目から、涙が零れてきた。それは、ぼろぼろと頬を伝い、なぜか止まらなくなってしまった。
ぎゅっと花束を抱え込むように胸に寄せる。
カトレアの中に蘇ってきたのは温かい感情と、もやのかかった情景だった。
眉目秀麗な青年が、自分に向かって跪いて、カトレアの花を差し出しながら告白してきた、そんな様子だ。
「……ルイス」
「うん」
「…………ルイス」
堪えきれず何度も彼の名前を呼んでしまう。その名前の響きが、とても懐かしく感じるのは。愛おしく感じるのは。
(わからない。それでも、ずっと、ルイスの名前を呼んでいたいと思ってしまう)
何度も名前を呼ぶものだから、だんだんとルイスの目が見開かれていく。彼は、恐る恐る口を開いた。
「もしかして、君、記憶が戻って――――……」
カトレアはふるふると首を振った。
(違う。だって、ルイスは監禁犯なのよ……?)
懐かしいと感じる記憶は彼女の中にはないはずだ。だって、彼は婚約者なんかじゃないのだから。
そうでなければ、部屋を出ていくときに鍵を閉めたりしない。ここは、王都でアンジュー家の屋敷ではない。自室とそっくりの部屋を作って、ルイスがカトレアに嘘をついているだけだ。
カトレアは、ここに監禁されていて。ルイスは元婚約者ではなくて。
(じゃあ、なんで私は胸がこんなに苦しいの……!)
小さな花束を抱えたまま、カトレアは泣きじゃくった。
「違う、違うもん……ルイスは、好きな人が別にいて、私と婚約したことなんてなくって、だから、私はルイスのことなんて全然好きじゃない……!」
破綻した言葉を紡ぐ。
ただただ、頭が割れる様に痛かった。きんと響くような耳鳴りがするけれども、どうすることもできない。
ソファから崩れ落ちて、カトレアはその場にうずくまった。
「カトレア、大丈夫か!」
「やめてよ! やめてったら!」
カトレアは、差し出された彼の手を思い切り振り払った。思い出したいのに、思い出しては駄目な気がする。
ぐるぐると目が回り、気持ちが悪かった。
頭を整理しようとしても、絡まりきった糸のように、さらに絡まって解けなくなっていくだけだ。
ただ、カトレアは頭に浮かんだことを口に出さないと、頭がおかしくなりそうだった。
「あなたの“好きな人”はどうしたのよ。私とは婚約破棄したんじゃなかったの?」
「それは……」
「なんで、ルイスは毎日ここに来るの? 私は誰なの? ここはどこなの? なんで私は閉じ込められているの? なんで私は記憶を失ったの? ねえ、教えてよ!」
「カトレア、落ち着いて!」
ここまで拒絶しているのに、ルイスはカトレアを真っすぐ見続ける。
自分のことが好きでもないくせに。何も教えてくれないくせに。なんで「貴方を好きです」なんて態度ができるのか。
カトレアは、うずくまった顔を上げて叫んだ。
「落ち着けるはずない! ……勝手な人!」
「っ、勝手なのは君だろ! こっちがどんな気でいるかも知らないで!」
初めてルイスが声を荒げた。
カトレアはびっくりして、一瞬固まってしまう。
『――――勝手な人だな、君は』
なんだか、以前も彼からそんな言葉を言われた気がして、なぜかカトレアはさらに涙が溢れた。
(わからない。彼が何者なのかも。自分が何者なのかも。知りたくないけど)
「もういい! ルイスが教えてくれないなら、私が確かめるから!」
「おい、カトレア!」
カトレアは、ルイスを突き飛ばして部屋の外に出ようと扉に手をかける。内鍵が無いこと以外は、何の変哲もないドアだ。
ルイスが室内にいる今はきっと、外からの鍵がかかっていない。
「やめろ、カトレア! 君は何も知らなくていい!」
まさかカトレアがドアを開けるなど想定外だったのだろう。
ルイスが止めに入るよりも早く、カトレアが木製の扉に体重をかける。
鍵がかかっていなかったその扉は、いとも簡単に開いてしまった。
「なに、これ……?」
カトレアの目に映ったのは、想像もしなかった光景である。
無機質な鉄格子が、部屋の外をぐるりと囲むように、彼女を逃がすまいと天井までそびえ立っており、扉の裏側には『監視室』とプレートが貼られている。
そして、廊下には、鋭い目つきの兵士がおり、カトレアを見つけたかと思うと、慌てて誰かに報告しに走っていった。
まるで、囚人を閉じ込めておくかのようなその設備にカトレアは愕然とした。
カトレアは腰が抜けてそのままその場に座り込んだ。
「……カトレア!」
カトレアの横にルイスがしゃがみこみ、背中をさする。
彼の紫色の瞳を見た瞬間、カトレアの中の絡まった糸が少しずつ解けていく感覚がした。
婚約した痕跡のない元婚約者と名乗るルイス。
囚人を閉じ込めるような鉄格子と謎の場所での監禁生活。
使用人というより勤め人と言ったほうがしっくりくるダイアン。
そして、カトレアが記憶を失った理由。
「全部、思い出したの。私……」
カトレアは、思い出したのだ。
――――自分が王国から危険人物として監視されているということを。