手がかり06.使用人と違和感
その瞬間、コンコンと控えめにノック音が鳴り、カトレアは心臓が止まるかと思った。
慌ててドアから距離をとり、そのまま走って、ソファに飛び乗るように座った。
あまりに行儀が悪すぎるが、完璧な反射神経だった。
「カトレア様、夕食です」
ひとりの男性が部屋の中に入ってくる。使用人のダイアンである。
思えば、彼が着ている服はいつもシャツのみで、使用人、という感じはしない。淡々としたダイアンの対応は、良くも悪くも役人のような無機質さを感じさせるのだ。
カトレアは息を整えながら、時計を見上げる。ちらりと見れば夕食の時間であることが分かった。
(ああ、死ぬかと思った……まだ心臓がどきどきしてるわ……)
カトレアは震える手をもう片方の手で押さえつけた。あまりの恐怖と混乱で、手が氷のように冷たくなっていく。
その様子を見て、ダイアンは怪訝な顔をした。
「カトレア様、体調が悪いのですか?」
「ち、違います……」
ぬっと、カトレアの顔を覗き込んできたダイアンの目はカトレアを心配している、というよりは観察をしているように見える。
目を見開き、カトレアに変化が無いか食い入るように見つめ続ける。
「敬語とは珍しい。『何か気が付いたことがある』とか?」
カマをかけられているのだろう。
ここで「はい」と答えてしまえば、一体どうなってしまうのだろうか。カトレアは震えないように手を握りこんで顔を上げる。
相手に何も悟らせないように、なるべく声が震えないようにして、喉から声を絞り出した。
「別に……」
「そうですか。部屋がずいぶんと散らかっていますが」
「…………暇だから本が読みたかったの。それで、こんなに散らかってしまって」
怪訝な顔をしたダイアンは、少しだけ納得したような顔をしながら、溜息をついた。
「別に、カトレア様のお部屋ですから、どう使っていただこうと勝手ですので。あまり散らかしすぎると、健康上良くないので指導させてもらいますが」
ダイアンは、手帳を取り出して何かを書き始めた。思えば、ずっと前からそうだ。
毎日の医者の問診の際も、週に一度の血液検査の際も。まるで、カトレアの行動を誰かに報告するかのように逐一記録を欠かさない。
「そういえば、ダイアンって……いつからアンジュー家の屋敷で働いているの?」
「……そうですね」
カトレアの質問に、ダイアンは心底面倒そうな顔をした。
「……私は、ずっとこの屋敷にお仕えしてますね」
「私が生まれる前から?」
「どうでしたかね……私ももうあまり覚えてませんから」
誤魔化すようにダイアンはそう答えた。
(ずっと? この屋敷に?)
それは、嘘だ。
だって、ここはアンジュー家の屋敷なんかじゃない。
(落ち着いて、私。絶対に動揺しては駄目よ)
目の前に置かれたのは、シチューとパンという質素な食事だ。明らかに貴族の食事ではない。少し考えればわかることだったのに。
(ここはアンジュー家ではないし、ダイアンは使用人なんかじゃない。そして、ルイスもきっと婚約者なんかじゃない。部屋には外から鍵がかかっていて、脱出は不可能)
そこから導き出される答えは。
(私はルイスに監禁されている……?)
それ以外の答えが導き出せないくらい、しっくりと腑に落ちていく。
(けれど、私を監禁する理由がわからない)
カトレアは、至って普通の令嬢だ。ルイスが監禁してメリットになるようなことは何もないはずである。カトレアは、勉強もそこそこ、魔力もそこそこの平均ちょっと下の能力しか持ち合わせていない女なのだ。
(魔法学校も不合格だったから、魔法石も持っていない。だから、魔法も使えないはずだし……)
考えても埒が明かないため、とりあえず、カトレアは使用人にぺこりと頭を下げる。
「ダイアン、食事ありがとう」
「ええ、ごゆっくり。そういえば、ルイス様は明日こちらにいらっしゃるそうですよ。部屋、片付けておいた方がよろしいのでは」
「……そうね」
カトレアは、シチューを口に運びながら、去っていくダイアンの後ろ姿をぼんやりと見つめる。
ダイアンが扉を出ていくと同時に、外から、がしゃりと鍵をかける音が聞こえた。
(明日、ルイスに会ったら何を話そう)
ルイスという男に対する恐怖は、なぜか無かった。
思い浮かんだ監禁犯の顔は、愛おし気に自分のことを見つめる笑顔だったからだ。