手がかり10.彼女の魔法の正体は
――――思い出した。
カトレアがいる場所は、魔法省の研究所の中である。だから、彼女を怖がった両親も友人も彼女に会いに来ることは無かった。
(ただ、目の前の元婚約者を除いては……)
カトレアは、檻の前でうずくまったまま冷静に考える。
(私の記憶が無くなっていたのは、ルイスと出会った7月からちょうど一年間なんだわ。だから、私の時は、昨年の7月で止まったままだった)
「ルイス、今って何月?」
「……12月だ。今、そんなことを聞いてどうする」
「ううん、確認したかっただけ」
(ルイスの服装は、おしゃれじゃなくて、本当に季節に合わせていただけなんだわ……)
何だか申し訳ない気持ちになったけれども、カトレアは、全て合点がいった。そうして、立ち上がろうとした、その時だった。
「――――異常な魔力の発生を感知しました。魔法省の兵士は至急監視室に集合してください」
リリリリ、と唐突に、けたたましいサイレンの音がカトレアの部屋、そして廊下に響き渡った。
廊下は一気に騒がしさを増すが、安全のためか鉄格子は固く閉まったままである。
「お前!何をした!?」
兵士の一人が鉄格子の向こうから、カトレアに叫んだ。
何が起こっているのか理解できていないカトレアは、混乱しながら告げる。
「別に何もしていないわ」
「嘘つけ! お前の幻影魔法で、魔物を生み出したんだろう!」
「……?」
その瞬間だった。カトレアの頭上に熱いものが駆けていった。ジュッと何かが焦げるような音が聞こえる。
「カトレア危ない!」
ルイスが彼女に覆いかぶさった。それと同時に彼は、腰に下げてある剣を引き抜く。
少し頭が働くようになったカトレアは、「魔物が発生しました」というアナウンスとサイレンを思い出した。
(待って、監視室ってもしかして)
カトレアの部屋の前には、『監視室』と書かれた鉄板が張り付いている。
振り返った彼女は目を疑った。
カトレアの目に映ったのは、カトレアが自室だと思っていた部屋―――監視室―――に佇むヒュドラだった。
それがあんぐり口を開けて、カトレアを見つめている。なぜ、急にカトレアの部屋にヒュドラが現れたのか。
記憶を思い出したカトレアは、殴られたように痛い頭で考えようとするがうまく考えがまとまらない。
(なんで突然、ヒュドラが……? もしかして、私が、本当に幻影魔法で……?)
『お前の幻影魔法で、魔物を生み出したんだろう!』という、先ほどの兵士の言葉を頭の中で繰り返す。
カトレアは、記憶を思い出した際に、ヒュドラを思い浮かべた。だから、それが具現化したとでもいうのだろうか。
「大丈夫、カトレア。下がってて」
ルイスは、ヒュドラの魔物に臆することなく剣を引き抜き、堂々とヒュドラと対峙していた。
さすが、天才と呼ばれるだけある……と思ったカトレアだが、すぐに違うことに気が付いた。
――――脚が震えていたのだ。良く見ると剣を握っている手も落ち着かないのか何度も握りなおしている。怖いのだ。一度は殺されかけた魔物だから。
必死に、魔物に対峙している彼を見て、カトレアは、彼が食べられかけていたあの日の光景を思い出し叫びそうになった。
(そうだ、もう一度、魔物を消せばいいのよ)
1年前、カトレアが「消えて」と言えば魔物は消えた。
上手くできるかは分からないが、目の前でルイスが食べられていく絶望に比べれば、よっぽどマシだ。
「ルイス、大丈夫。もう一回私が魔法を使えば――――」
幻影魔法とやらで、ヒュドラを消してしまおう。
幻影魔法を使う人間は、インディゴーラでは処刑対象だけれど、カトレアは、自分が処刑対象になったとしても別に構わなかった。
しかし、カトレアの目の前にぐっとルイスが迫る。
「っ、お願いだから、やめてくれ……!」
カトレアの手首が咄嗟に掴まれた。
「君の魔法は、ヒュドラを消し去るものではない。君の魔法がどういうものか、この魔物のおかげでよくわかったから」
ルイスは、そう言いながら、ヒュドラの首に剣を突き立てた。ヒュドラは暴れるが、確実にダメージは入っているようだった。
(あれ、このヒュドラって……あの日の……?)
カトレアが消し去ったヒュドラは、ルイスの腕輪の魔法で、胴体部分が少し焼け焦げていたのだ。そして、今、目の前にいるヒュドラもまた、胴体部分が黒ずんでいる。
カトレアを守るように、攻撃を続けながら、ルイスは叫んだ。
「君の魔法は、危険な幻影魔法なんかじゃない。魔法省のお前たちも良く聞け! 俺が、今ここで証明する!」
彼の剣に備わった魔法石が一層きらりと光る。
あの時の腕輪とは違い、攻撃に特化した魔法媒介だ。剣には「ヒュドラを倒す」という強い意思が籠っている。
「カトレアの魔法は、『自分の記憶と引き換えに物を“違う空間にしまっておく”』ものだったんだ! だから、君が記憶を取り戻したら、あの時、君が消したヒュドラが出てきた。魔物を消したわけじゃないし、魔物を発生させたわけでもない」
急にヒュドラが出てきた理由。
それは、カトレアが記憶を思い出したからなのだ。
カトレアの魔法は、彼女の記憶と“消したい物”の連動。彼女の記憶が消える代わりに、消したい物も消える。ただ、記憶を取り戻せば、消したはずの物も現れる。
「それって……!」
(……それって全部、私のせいじゃない!)
このサイレンも、兵士たちの憤りも、ルイスが危険にさらされているのも、全て。自分のせいだとカトレアは思った。
扉の向こうを知りたいと思わなければ。
いや、そもそもルイスとカトレアの婚約について調べなければ。
(全部、私のせいで)
欲を出したばっかりに大好きな人を危険に晒してしまっている。
カトレアは、記憶を取り戻した自分を責めた。そして、ルイスのもとに駆け寄ろうと立ち上がる。
「別に、もう一度記憶が消えてもいいわ! 私がもう一度そのヒュドラを消す! また記憶が無くなっても、ルイスのことを守れるなら!」
「俺が良くない! この数か月、どんどん俺のことだけ忘れていく君とどんな気持ちで接していたと思う? 君がもう一度俺のことを忘れる? 冗談もいい加減にしてくれ!」
ルイスは魔物の攻撃を避けていく。右足を軸にしてくるりと回り込んだかと思うと、グサグサとヒュドラの鱗を突き破るように剣を突きさしていく。ヒュドラは苦しそうにうめき声をあげる。
「俺が騎士になったのは――――君を守るためだ」
天才、と呼ばれている彼だが、剣に関しては、まともに握り始めて数か月なのである。もはや意地と力技だった。剣筋がめちゃくちゃなことは、素人のカトレアでも分かった。
けれど、その殺気は凄まじく、兵士たちですらも息を飲んで彼を見守っていた。
(凄い……)
カトレアも、いつの間にか自身の魔法を使おうかと待ち構えることを辞めていた。だって、彼が負ける気はしなかったから。
「はっ!」
彼の剣は、焦げていたヒュドラの腹を思い切り引き裂いた。
その瞬間、ヒュドラは暴れることをパタリ、とやめ、監視室の中で床にめり込むように倒れ込んだ。
(か、勝った……!)
紫色のモヤとともに魔物が消滅していく。ルイスは、ヒュドラの魔物に勝利したのだ。
サイレンで招集をかけられた兵士たちは愕然としていた。こんな騎士になりたての貴族の坊ちゃんが、あの魔物を討伐するなんて。と。
ざわざわとルイスについて会話する兵士たちだったが、カトレアは兵士たちのことなんて視界に入っていなかった。
(ルイス……!)
カトレアの目線の先に居たのはルイスだ。
彼ただ一人だけが、家具も壁も天井も、全てが跡形もなく破壊されきったカトレアの“監視室”で、ふわりと微笑んでいた。
「――――カトレア、おかえり」
馬鹿だ、とカトレアは思った。
カトレアは立ち上がって、ルイスに駆け寄る。
「なんで。なんで……っ! 私、婚約破棄してって言ったじゃない!」
「俺は、ちゃんと婚約破棄したぞ?」
確かに、ルイスは開口一番婚約破棄して欲しいと言った。
でも、アンジュー伯爵から見舞いを頼まれたのも真っ赤な嘘だし、カトレアを釣るために彼女の好物ばかり持ってきていた。
これでは、何のための婚約破棄だったのかわからないじゃないか。
「君のお願いは断れない。でも、やっぱり……君を諦めることはできなかったんだ。俺は欲張りだから」
きっとカトレアの過去を正直に告げることも、一つの手だったのに。
ルイスは、カトレアが混乱してしまうからと、あえて彼女に情報を伏せたのだ。
「俺は、君が笑ってくれれば、それだけでいいよ」
「……ルイスの馬鹿!」
カトレアは、ルイスにぎゅっと抱き着いて、子どものように泣きじゃくった。