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【今夜はなんとなくマーガレットなの、と少女は言った】

掲載日:2009/11/03

ずいぶんと前に書いた話なので、携帯電話の使用状況などを書き直しました。

技術の進歩は速いものです。ちなみに私が住んでいる建物は中では電波が切れます。


【C】 200X年11月12日(水) 未明


 私はCow13、観察者である。

 私はある目的を持って、このモデル地区『α』の人間を観察している。『α』は平均的な地方都市のその更に一角であり、その範囲は半径数百メートルに過ぎない。この地区では現在472人の人間が生活を営んでいる。そして私は、これら住民の生活を監視する任務を遂行している。

 将来的には多数の観察者が連係して広範囲の地域を監視する予定であるが、現在の所、私には『α』以外の地区を監視する能力も権限も与えられていない。

 しかし、500人にも満たない人間ではあるが、その多様性には驚かされるし、興味を抱く。私が特に関心を持っているのは、とある集合アパートに住む1人の女性である。勿論、このようなことが当初の計画とは何の関わりも持たないことは理解しているつもりだ。



【D】 200X年11月12日(水) 午後4時37分


 俺は公務員・・・・・・教師である。

 公務員と言っても、サラリーマンであることに違いはない。しかし、その中で教師という職業は特別だ。聖職とはよく言ったもの。一日中数百人の物のわかっていないガキ共の前で教師という役を演じなければならない。

 勿論、教職にやる気を感じていないわけではない。物事を教えるという行為が非常に難しいものであることは理解しているつもりであるし、若年期に学んだことが後の生き方に大きな影響を与えることも理解している。

 だが俺が如何に最善を尽くそうとも、それが実を結ぶことはあまりに少ない。俺個人が対応すべき生徒が多すぎるし、その全てに対して完璧な教師としていられるわけもない。

 ついさっきもある男子生徒から質問された。

「電柱の上についているバケツみたいなのは何ですか?」

 俺は現代国語の教師だ。そんなことは知らない。

 ・・・・・・愚痴も言いたくなるというものだ。


【E】 200X年11月12日(水) 午後8時22分


 アパートのドアを開けると冷たい夜の空気が足下に流れ込んできた。背筋を駆け上がる外気がコートの襟元を合わさせる。塗ったばかりの口紅が襟につかないように気をつけながら、私は自らの体温を求めた。

 20分程歩くと、きらびやかなネオンと街灯の輝きが私を迎える。

 夜の街……私の街だ。

 色取り取りのイルミネーションを眺めているだけで心が弾む。ずっと昔からそうだ。

……だが、冷たさが消えるわけはない。

 どんなに着飾っても、化粧を施しても、心の冷たさが消えるわけはないのだ。

 長く感傷に浸り過ぎたのか、向こうからやってきた若い女の子の集団が私を見て笑った。没個性なまでに分厚く化粧を施し、独創的なつもりで周囲と同じ服を纏う。本当に傷ついたこともなく、その不安のみを恐れる子供達。

 笑いたければ笑うがいい。

 本当に笑いたいのは私の方なのだから……。 


【A】 200X年11月12日(水) 午後8時30分


 携帯電話は本当に高性能になったと思う。

 前は田舎に行ったときや移動中に通信が切れることがあったけど、最近ではそんなことはほとんどない。私は仲間内では一番早く小学生の頃から携帯電話を持っているので、昔は随分と羨ましがられたものだけど、古いタイプに慣れ過ぎたせいか最近では次々に登場する新機種についていけなくなってきている。

 私はコンビニの前に座り、街の様子を眺めた。相変わらず乱雑な街。至る所を光と騒音が埋め尽くしている。私はふと道路の隅にある電柱に目を向けた。ネオンと街灯の光から離れて、ぽつんと立ち尽くしている電柱……その上部には蜘蛛に捕らわれた獲物のように、何本もの電線とバケツのようなものが設置されている。

 携帯電話の通信が切れにくくなったっていうことは、電波を受けたり流したりしている機械が増えたからだと思う。でも、そんなに沢山の中継機を私は見たことがない。もしかしたら、あのバケツみたいなのがそれなのかもしれないな、と考えた。

 そんなことを考えている内に、数人の仲間がやってきた。その中の1人、トモコはお喋りで有名だ。今日も早速私を捕まえ、さっき見たことを話そうとしている。そして、また同じように夜が始まるのだ。


【G】 200X年11月12日(水)午後9時34分


 政府は以前から我々の生活を監視している。

 同時に政府は様々なメディアを利用し、洗脳を行おうとしている。そして今、政府は国民に対する監視を組織だって行おうとしているのだ。

 極秘事項に属する情報だが、私はこれが今年の公共事業の予算に関する文章に暗号化して書かれているのを発見した。

 付属する暗号表を見れば、不明確な言葉と数字の羅列に過ぎないこれらの文章が、政府の秘密文書であることがわかっていただけると思う。

 そして、私は新たな計画の存在を突き止めた。


【F】  200X年11月12日(水) 午後10時45分


 壇上に立った血色の悪い老年の男が言った。

「人類は太古の物々交換による経済から資本主義社会が発展してきた要因の1つに貨幣という概念を発明したことがあります。貨幣とは商品の価値を示す情報であります。つまり、物質の価値を情報に変換することによって、社会は発展を遂げてきたのです。そして現在、我々を含む社会は更なる情報化を迎えようとしています。この情報化は人類の歴史上最も急速で高度、かつ複雑なものとなるでしょう。我が国もその波を受けることになります。しかし旧来、明確で正確な情報の開示を良しとしない我が国の社会にとって、多くの混乱が生じることは容易に予想され……」

 俺は退屈な男の話を聞きながら、ポケットの中のイヤホンをいじくった。

 仕事でもなかったら、こんな所に来たくはない。周りにいるのは厳めしい面をした、頭の中は更に硬直してそうなオッサンばかり。熱心にメモを取っている奴もいるが、内容を理解しているかどうかは疑問だ。大体、情報化社会に対するセミナーなんて、少しでもパソコンを使ったことがある人間なら絶対に来ない。男の話はまだ続く。こちらにも予定ってものがあるってことを、先生方はわかってらっしゃるのだろうか?


【ラジオ4】  200X年11月12日(水) 午後11時


「グ~ット・イブニ~~ング(チャッ、チャ)レ~ィディオ・フォ~~」

 人気番組を多数抱えるラジオ局、ラジオ4の放送はこんな風に始まる。

 ちなみにこれは夜の放送のもの。

 今月のアレンジはブラジル・サンバ風である。


【C】 200X年11月12日(水) 未明


 『α』は中央を流れる川と、鉄道の駅を中心とした領域の名称である。これは計画に合わせて切り取られた区域であり、決して地図上の区域と一致するわけではないことを予め断っておく。『α』の住人は472人、平均的な所得の一般的な住民がその大半を占める。その中で2人以上の家庭は165。賃貸住宅が多い為か、独身の者が多いのが特徴だ。

 私、Cow13の目的は、住民の交わす情報の監視である。監視という言葉から犯罪のニュアンスを感じ取る方もいるかもしれないが、これはあくまで安全な社会を作るための試験運用であり、『α』はそのモデル地区である。勿論、監視を続ける中で不穏な、反社会的な行動を取る者が現れれば、それなりの処罰を与えることは可能だ。

 私が監視を始めてから1週間が経過しようとしている。

 彼女を知ったのは3週間のことだ。私の作業は各家庭(独身者を含めて)に繋がった電話、インターネット回線、携帯電話の電波の傍受およびエリア内に設置されたカメラによる監視によって行われる。元々通信回線による情報収集を主とした計画であるので、視覚的な情報が著しく少ないのがこの計画の難点だ。そんな条件下で、監視カメラの一つが彼女の姿を写したのは、果たして幸運だったのか不幸だったのかはわからない。

 私はその瞬間から、全ての機能を駆使して彼女の情報を集め始めた。


【私は孤独な殺し屋です】  200X年11月12日(水) 午後11時15分


 毎週水曜日、午後11時からラジオ4でお送りしているミュージック・サテライト。

 ジョニーの人生相談コーナーへの投書。


 ラジオネーム『私は孤独な殺し屋』(26才、男)


「ジョニーさんコンバンハ。私は殺し屋です。政府の要人暗殺を主に扱っています。政府直属なので、収入が安定していますし、好きで始めた仕事なのでやりがいを感じています。

 ただ、時々ふと虚しさを感じることがあります。何故かと言うと、仕事があまりに簡略化されているからなんです。ジョニーさんは殺し屋と聞いて、どのようなイメージを持たれるでしょうか? 黒ずくめの服装にサングラス、コートに忍ばせた拳銃(笑)……でしょうか? 私も仕事を始めるまではそう思っていました。でも、実際は背広に地味なネクタイを絞めています。眼鏡もかけて、普通の公務員といったところです。実際、表向きは公務員ということになっているので、当たり前な話なのですが……。

 勿論、格好が地味なだけじゃありません。仕事の危険性もスリルも殆どないのです。予め決められた計画通りに行動して、計画通りに殺して、それで終わりなんです。

 私は小さな頃から映画の殺し屋に憧れてきました。だからこの仕事についたんです。憧れと現実とは違うものだということは理解しています。でも、こうもロマンがないのでは仕事に対する意欲が萎えてしまいます。せめて映画の殺し屋みたいに、そうですね、パルプ・フィクションのサミュエル・L・ジャクソンのように格好のいい決め台詞を言ってみたいと思うのですが、ところが困ったことに私には文才がありません。そこでお願いです、ジョニーさん。殺しの時に吐く、ビシッとキマった殺し文句(笑)を考えてくれないでしょうか? 番組、毎週楽しみに聞いてます」


 D.J.ジョニーのコメント。


「ハハハハハ、いいね、このお葉書。俺、読みながら笑っちゃったよ。あ、聞き苦しかったらゴメンね。いいね~『私は孤独な殺し屋』さん。俺、なんか気に入っちゃったな、この人。今回はみんなでこの人に、カッコイイ決め台詞を考えてあげよう。

 ラジオ4、ミュージック・サテライト『私の殺し文句』係まで……なんか違うコーナーみたいだな(笑)。さて、『私は孤独な殺し屋』さんからのリクエストは、ガンズ・アンド・ローゼスの《死ぬのは奴らだ》……俺、こういうセンスの人、好きよ」


「グ~ット・イブニ~~ング(チャッ、チャ)レ~ィディオ・フォ~~」


【D】 200X年11月12日(水) 午後1時21分


 俺は黒板の上でチョークを動かすのをやめ、生徒達の方に向き直った。疲れてくると、チョークの音が神経に触るようになってくる。

「さて、芥川竜之介の代表的な作品『薮の中』は複数の人間の視点で一つの事件が述べられる構造を取っている。この話の面白い所は、一つの事件に対して述べているのに、各々の登場人物によって話の内容が異なり、どれが本当の話なのかわからないことだ」

 俺はここで一息つき、教室内を見回した。眠っている奴が3人、教科書を出していない奴が3人、別の教科の教科書を出している奴が2人、別の教科の教科書を出して、何故かそれが上下逆さまになっている奴が2人。

 俺は溜め息をついた。そりゃあ現国の授業を聞いていても、実生活の上で役に立つことは少ないだろう。それは認める……認めるが、せめてまともに前を向くくらいのことはしてほしいものだ。

 俺は教卓の目の前、三列目に座る女子生徒の桜坂彩子に質問した。

「桜坂。今の説明、わかったか?」

 授業中にきちんと前を向いているという奇跡的な行動をしている桜坂彩子は、少し困った顔で首を傾げた。

「えっと、よくわかりません」

 今では珍しい黒い髪をした桜坂彩子は、すまなそうな顔をした。大きな目が上目遣いでこちらを見つめている。実に理想的な態度だ。最初からわかっている奴に用はない。大切なのはわからないことをわかろうとする態度、真摯に教えを請う眼差しだ。生徒がそのような態度で望んでこそ、教師もやりがいがあるというものなのだ。それなのに他の奴らときたら……まったく。

 授業とは関係のない話だが、桜坂彩子は男性教師の中では人気がある。成績が優秀なのも大きな要因だが、遊んでなさそうで清楚なところがどうにも情欲を掻き立てるらしい……こんな人間が平然と教職についているとは、同僚のことながら頭が痛くなってくる。

 しかし、桜坂は可愛いのは確かだ。俺だって彼女がいなければ意識してしまうかもしれない。それにしてもこのチョーク、どうしてこんなに音が鳴るんだ? 安物使ってるんだな。


【A】 200X年11月12日(水) 午後9時47分


 中年のオヤジが声をかけてきたので、蹴り飛ばした。

 普段から多数決で物事を判断しているためか、自分の半分も生きてない女の子が相手でも、大勢には逆らえないようだ。オヤジは燃えるゴミの集積場所に突っ込み、魚の頭と野菜の切れ端の詰まった半透明の袋の間で、小さくなって頭を抱えた。そんな卑屈な態度がこちらの感情を逆撫でする。

 もう5回ばかり蹴りを入れて、ブーツが汚れたので、やめることにした。

「行こっか、彩子」

 後ろでトモコが言った。


【B】 200X年11月12日(水) 午後10時38分


 拳が空を切り、ステップがアスファルトに響く。

 俺はプロボクサーだ。正確には、プロテスト一日前のアマチュアボクサーだが、プロの気分でいるのが肝心だとトレーナーのおっさんが言っているので、とりあえずそう思っておく。

 パンチ、パンチ、パンチ、パンチ。明日は遂にプロテストで、気が立って仕方がない。だから、夜の道をこうやって走ってるわけだ。パンチ、パンチ、パーンチ。

 ボクシングは努力のスポーツというのがトレーナーの口癖だ。才能もいらない。体重別に細かく階級が分かれ、生まれついた体格で差がつくこともない。ただひたすらに走り、鍛え、叩き続ければ、結果となって返ってくる。

 それだったら世界中チャンピオンだらけになるじゃないかと内心では思っているが、言わないことにしている。パンチ、パンチ、パンチ、パンチ、パンチ、パンチ。

 トレーナー曰く、こんな風に走っている時でも、一動作、一動作に集中し、実戦のような気持ちでいることが必要なのだそうだ。俺はせっせと走っているが、どうも集中することができない。すぐに雑念が入って、別のことを考えてしまう。


 ……彼女は目を閉じて、唇を俺に向かって差し出してくれる。


 ああ、また桜坂彩子のことを考えてしまう。桜坂は隣のクラスの女子で、俺中では学校内で一番の美少女だ。家は裕福で、私生活は荒れているとの噂があるが、そんなことは気にしない……話もできない今のままじゃ、彼女の実態がどうだって同じだからだ(しかし、そう思わない奴が多いのには驚く。別に関わるつもりもないのに、他人の細かいことを気にするのだ)。

 今日はやけに彼女のことを考えてしまう。整った横顔、ふとした仕草……体の幾つかの部分……そんなものが頭の中をちらついて仕方がない。こんなことでは試合中にまで彼女の姿を思い浮かべそうだ。

 想像の世界では、彼女は試合を見に来てくれて、勝利した俺を迎えてくれる。そのまま2人でラブホテルに入ったところで、流石に空しくなってやめた。

 こんなことでテストに合格できるんだろうか?

 とりあえず、俺は走ることに集中することに決めた。途中、繁華街を通り、1人の女と擦れ違った。擦れ違ったところで、妙な女だな、と思った。その時は少し違和感を覚えただけだったが、だんだん気になってきて、結局、ずっと何が妙だったのか考え続けることになってしまった。


【E】 200X年11月12日(水)午後10時49分


 さっき、トレーニングウェアを着た少年と擦れ違った。何処かで見たような気がするが思い出せない。振り返ってみても、既に少年の姿は通りの向こう側、闇の彼方に消えてしまっている。

 繁華街の光から外れた闇の中に、夜空が広がる。そろそろ夜も更けた。家に帰ろうか。私は人工の光に包まれながら考えた。私は夜の雰囲気が好きなのであって、夜遊びの為にここにいるわけではない。朝が早い彼の為にも、早く帰ってあげたほうがいい。

 

【D】 200X年11月12日(水) 午後5時36分


 俺は帰宅途中に繁華街を通る。

 俺は昔から賑やかな街が好きだ。だが、昼間の街は只のゴミ溜めだ。何をしているのか知らないが、若い奴らがたむろし、生活に疲れたサラリーマンが吹き流される枯れ草のように通り抜ける。

 この場所が本当の美しさを持つのは今ではないのだ。

 いけないな、彼女の口癖が俺にも移り始めている。俺は教師……人を導くのが仕事だ。彼女のように自由を愛する浮浪の民じゃない。

 ……しかし、今日は疲れた。副校長の野郎、人の方針に口出ししやがって、何年も現場に立っていない奴に何がわかるっていうんだ。

 ああ、苛々する。こんな日は早く帰るに限る。

 彼女の待つ部屋に、早く帰りたい。 


【C】 200X年11月12日(水) 未明


 私の知る限り、彼女の一日の行動は夜に始まる。午後8時以降になると彼女は外出し、何処かへと向かう。通常数時間、遅い時でも夜明け前にはアパートに戻る。昼夜の逆転した生活を送っている為か、昼間は出てこない。

 外出先は近くの繁華街と考えられるが、そこは区域『α』の範囲外であるので私には監視不可能だ。通信機器も彼女は使用しないので、私が得られる彼女の情報はあまりに少ない。如何に計画初期段階とはいえ、私の監視システムに集められぬ情報があるとは思ってもいなかった。

 いや、これまでの作業には少しの不備もなかった。私は流れる情報を監視し、危険思想を持つ人間、または社会的に害をなすと考えられる人間がいないかを常に調査し続けてきた。だが、彼女に関しては何もわからない。

 これは奇妙な事実だ。本当に知りたいと願う者に関してのみ、何も知ることができないのだから。

 ただ、彼女に関して、私が知りえたことがもう一つある。

 彼女の部屋には男が住んでいるのだ。男は彼女とは逆に朝早くアパートを出て、大体夕方に帰ってくる。男の身元はわかっている。このアパートの借主だ。彼に関しては容易に調べがついた。

 何故なら、彼は公務員だったからだ。


【F】200X年11月12日(水) 午後10時56分


 壇上で演説している男は、とある大学の名誉教授。そしてまた、とある政府機関の顧問でもある。下っ端の公務員とは言え、仕事を円満に行うにはお偉方の名前くらいは覚えておいたほうがいい。雑用係のような俺の仕事では尚更だ。

 男の話は大幅に予定時間を超過し、それでも続いた。長くなるにつれて口調は激しく、言葉は聞き取りにくくなっていく。先程まで熱心に聞いていた聴衆も、流石にうんざりし始めてきたようだ。

 別に俺が気にすることでもないのだが、自分が非難と冷笑の対象になっていることに気づいていないのを見ていると、こちらまで恥ずかしくなってくる。何より、男の話が長くなればなるほど、俺の仕事に皺寄せが来るんだからたまったもんじゃない。

 男の話は聞き取り辛いが、幾つかの断片が聞き取れた。


『情報化が進むことで、大衆が多くの情報に触れることになる』

『情報が適切なものであるかどうかを判断するのは、大衆には不可能』

『大衆は風見鶏のようにすぐに情報の変化に流される』

『政府が情報の流れをコントロールする必要がある』


 男はまるで心臓発作数歩前のような表情で話を続けている。もし今夜死んだとしても誰も疑わないだろうってくらいだ。

 一方の俺はだんだんと胃が痛くなってくる。無茶苦茶なことを喋りすぎだ。特に最後の言葉……政府が情報を管理すべきだ……だって? そんなこと人前で言うもんじゃない。こいつは今のところ知名度が低いからまだしも、政治家がそんなことを言えば大問題だ。少しは後でフォローする奴らの立場にもなってくれっていうんだよ。

 男の話はまだ続きそうだ。何人か席を立った者もいるが、俺は仕事なので動けない。

 真に情報化社会というものが存在するならば、個人が情報を選択する自由度も高まるはずだろうに。そんなことを考えながら、俺はポケットの中のイヤホンをいじくった。


【G】 200X年11月12日(水) 午後10時36分


 政府は我々の生活を監視している。

 私はその事実を明らかにすべく、日夜努力を続けてきた。だが、無知で利己的な国民は私の再三に及ぶ指摘に対し、無視し、或いは嘲ってきた。これは巧みに仕組まれた政府のマインドコントロールによるもので、国民は周囲を流れる情報を分析する能力を失わされ、実際に火の粉が降りかかるまで何の問題意識も感じなくなっている。見たまえ、その結果を。この国の民は自分の足下が火の海になった今でさえ、何の危機感も改善の意欲も持ってはいないではないか。

 だが私は事実を追求することをやめはしない。たとえどのような障害が立ちはだかろうとも、政府の陰謀を暴き、真実を明らかにするのだ。

 今、この国は狙われている。

 私の命が危険にさらされた時のためにこれを記すが、この国はS国に狙われている。S国は我が国にスパイを送り込み、我が国で破壊活動を行おうとしている。私は、そのスパイを見つけ出した。

 それは私の隣の部屋に住む男女だ。

 S国の諜報部は資金がないのか、それとも目立たない為のカモフラージュなのか、男女は非常に狭く、みすぼらしい部屋に住んでいる。どれくらい狭いかは、私の部屋を参照してもらえればいいと思う。恐ろしいことに、男は普通の会社員の格好で朝早くから勤めに出かけていく。家を出るのは早いが、帰ってくるのも遅い。恐らくS国諜報部は非人道的なまでのハードワークを強いるのであろう。

 男とは逆に、女の活動時間は夜に限られる。非常に派手な服装をしているところから見るに、繁華街で情報収集を行っているようだ。しかし、あの服装はいささか常軌を逸している。S国の諜報部員はセンスが悪い。

 最近になって、私はS国と我が国の関係が緊張しているとの情報を得た。新聞は外交会談成功とか、友好条約可決間近などと言っているが、あれらは全て嘘だ。事実はスパイが我が国に侵入していることからも明らかだ。


【C】 200X年11月12日(水) 未明


 彼女に関する情報は、あまりにも限られている。

 勿論、私は多くを望みはしない。私は観察者、彼女は監視対象だ。現実世界における交流などありえないことは理解している。

 しかし、こうも彼女の新規情報が少ないのではストレスが溜まる。一日一度でも彼女の姿が見ることができれば、私はそれで満足だ。だがこの1週間、彼女の姿を見ていない。見るのは同居している男の姿ばかりだ。携帯電話などの通信機器においても、彼女の声を聞かない。聞くのは男の声ばかりだ。

 男の声を盗聴する時、私は非常に複雑な感情に捕らわれる。この男はどのように彼女と暮らしているのであろうか? 男は近辺の高校に勤める国語科の教師だ。今年の3月にこの地に転勤してきた。

 彼女のデータはない。データにない住民に関しては調査を行うべきであるが、行っていない……女々しいことだと思われるかもしれないが、彼女の全てを知るのが恐いのだ。私にも彼女の全てを知りたいという欲求はある。しかし、それを行うのが、何故か恐い。知りたいようで知りたくない。

 ただ、自分でも、この制限が長続きしないだろうとは自覚している。

 情報が足りないと言えば、男の情報にも奇妙な所がある。数カ所ブロックされているのだ。それほど厳重なブロックではなく、必要とあらば情報の検索も可能なのだが、彼女に繋がるこの男に関しても、多くを知るのが恐いというのが本音である。


【A】 200X年11月12日(水) 午後10時50分


「アンタって、結構わかりやすいよね」

 トモコが言った。

「何が?」

「考えてることとかさ」

「…………」

 私が睨むと、トモコは可笑しそうに笑った。

 今夜は最悪だ。一晩中一緒に遊ぼうって言ったのに、私とトモコを除いてみんな帰ってしまった。

 親がうるさい。朝から予備校。男とデート。お婆ちゃんのお見舞い。

 ……最後の理由はともかく、みんな友達よりもそんなことのほうが大事なんだろうか?

「みんな、いつも一緒にいるってわけにはいかなくなるんだよ。友達より楽しいことだってあるし」

「男?」

「それもある」

「……よくわからない」

「そんなに難しいことじゃないよ。単純すぎるくらいのこと」

「どんなこと?」

「他人は他人ってこと」

 トモコは立ち上がった。

「どうしたの?」

「悪いけど、今日は帰る」

「どうして?」

「男」

「…………裏切り者」

 私が恨めしそうに呟くと、トモコはまた笑った。

「そうだ、知ってる? あいつ明日がプロテストだって」

「どうしてそんなこと言うの?」

「知ってるよ。アンタが気にしてること」

「……早く帰れ」

「言われなくてもそうする」

 トモコはおどけて手を振り、小走りで雑踏に消えていった。

 私はコンビニの前に一人で座り、ふともうすぐ11時になることに気づいて、ポケットからイヤホンを取り出した。


【G】 200X年11月12日(水) 午後10時55分


 昨日、スパイの住む隣室に潜入し、盗聴器を取りつけた。潜入したと言っても、泥棒の真似事をしたわけではない。盗聴器を取りつけたのは違法行為だが、部屋に入ったのは合法的行為だ。

 私の仕事は電気技師だ。近くの工務店に勤めている。外回りの仕事で電化製品、空調機械などのトラブルを修理して回っている。盗聴器を探して欲しいと依頼されたことも何度かある。物騒な世の中だ。盗聴器を探す過程で、これに関する知識を身につけた。

 昨日は仕事が休みだったらしく、男が部屋にいて私を中に招き入れた。近所付き合いがないのと作業服を着ていたせいで、私が隣室の住人だとは気がつかなかったようだ。部屋の中はごく普通の質素なものだった。ただ、奥の部屋は閉め切られ、中を見ることはできなかった。

「彼女が寝ているんです」

 男はそう言った。

 そして今、私はあの女が帰ってきた頃を見計らって、盗聴器を作動させた。


【B】 200X年11月12日(水) 午後10時59分


 死んだじいちゃんのことを考えた。

 俺のじいちゃんは三味線の師匠で、結構有名人だった。何人もの弟子から『師匠』と慕われていたが、本人は若い女の子が踊るのに伴奏をつけてやっている時が一番楽しそうだったし、お座敷に上がるのが一番好きだと死ぬまで言っていた。

 俺の親父は若い頃に家を飛び出したので三味線が弾けない。それでじいちゃんの跡は一番弟子の人が継いでいる。親父とじいちゃんが仲直りしたのは、俺がだいぶ大きくなってからなので、俺も三味線は習っていない。


「俺も習えば良かったな」

「ん?」  

 じいちゃんは三味線の弦を弾きながら俺に目を向けた。

「三味線、習っとけば良かったかな」

「何だよ、いきなり」

 じいちゃんは目を細めた。皺だらけの目元の奥から、吃驚するくらい若々しい瞳が覗く。

「俺、上手くなるかもしれないぜ?」

「かもな」

「でも、やっぱり、小さい頃から続けてねえとダメかな?」

「やってみなけりゃ、わかんねえだろ」

「そうかな?」

 じいちゃんは三味線の音を合わせながら、ニヤリと笑った。

「何考えてんだ。言ってみな」

「俺さあ、毎日ダラダラ生きてるのは嫌なんだ」

「ほお」

「楽しければそれはそれでいいかもしれないけどさ、それじゃ何か嫌なんだよ」

「ほお?」

「一つのことを極めるってかっこいいと思うんだよな。何て言うか……世界の深いとこまで知ってるって感じがするじゃないか」

「それで、三味線か?」

「俺、じいちゃんの孫だから才能あるかもしれないなって思ってさ」

「そんな甘いもんじゃねえぞ」

 そうなのか? と尋ねると、そんなもんだ、とじいちゃんは答えた。

「まあ、若いうちは手っ取り早く道を見つけたいと思うもんだ」

 黙ってしまった俺に、じいちゃんは言った。

「一つ、話をしてやろう。俺が三味線を始めた頃の話をな」

 そしてじいちゃんは語り始めた。

「俺が三味線を始めたのは五つの頃だ。親元離れて師匠の所に弟子入りした。家が貧乏でな、俺を養っていけなくなったんだ。まあ、腹空かしてたのはそこでも一緒だったがな。雑用やって、やっと三味線に触らせてもらった。心構えも何もあったもんじゃねえ、ひたすら技術を叩き込まれた。しごきが酷くてな、いつも逃げてやると思ってたよ。それでも腕が一人前になるまで何とか我慢した。お前と同じでよ、自分には誰にも負けないものが必要だと思ったんだ。勿論、欲しかったのは生きてくための技術だがな。

 俺は昔から要領だけは良くてな、兄弟子や師匠の技はぜんぶ真似できるようになっちまった。それに何の意味があるのかなんて考えたことはなかったけどな。とりあえず、客に受けるものができるように努力した。兄弟子だろうが何だろうが全て蹴落とした。いつの頃からかなぁ、師匠が手のひら返すみたいに俺をちやほやし始めんだよ。どうも跡取りにしたくなったらしくてな、師匠は俺に『上手くなったな』っつったんだ。そんで俺はそこを飛び出した。

 それから三味線持ってあちこち回った。昔は芸者の数も多かったし、新しく出来た所だったら、腕のいい三味線弾きは不足してた。要領だけは良かったから、その土地で受ける節回しも簡単に覚えられた。……相変わらず俺にとって三味線は只の技術だったが、お座敷に立つのは好きになったな。流派から離れて1人だったから気楽だったし、騒ぐのは好きだった。それに女に不自由したことはなかったしな」

 そこまで言って、じいちゃんはニヤリと笑った。

「色々回ったもんよ。戦前や戦争中は大陸の方にも行った。昔は今より日本人がいたからな。あそこは妙に賑やかで楽しかったよ。ま、戦争が終わった時には苦労したがな……それでも何とか帰ってきて、ここに落ち着いた。昔はここももっと華やかな所だったんだ。だが腕のいい三味線弾きがいなかった。皆おっ死んじまってたからな。俺も落ち着いていい頃だと思って、ここにいることにした。長く続けてる内に『名人』なんて言われるようになった。まあ、俺はそこまで真面目にやってたわけじゃない。……だが、長いことやってると、それなりに自分の型が出来てくるのがわかる。自分に何ができて何が出来ないのかもな」

「道を極めたわけ?」

「馬鹿言え、まだわかんねえことばかりだ」

 じいちゃんは怒ったように言い、そして目を細めた。

「でもな、最近ちょっとわかってきたんだ。三味線を弾くってのはどういうことかってな」


 じいちゃんが呆気無く死んだのはそれからすぐだった。

 そして今、俺はトレーニングウェアに身を包んで河原の道を走っている。

 前に見える道は真っ暗だ。


【コマーシャル】


 ジョージ   「どうしたんだい? ハニー?」

 マーガレット 「ソースをテーブルクロスにこぼしちゃったの。昨日買ったばかりなのに大変だわ!」

 ジョージ   「心配無用さ、ハニー。ここにどんな汚れでも落とせるマジカル・クリーナーがあるんだ」

 マーガレット 「ジョージ、素敵!」


【ラジオ4】 200X年11月12日(水) 午後11時


「グ~ット・イブニ~~ング(チャッ、チャ)レ~ィディオ・フォ~~」

 今月のアレンジはブラジル・サンバ風。

 そして毎週水曜日、11時からはジョニーのミュージック・サテライト。


「さあ、今週も始まったミュージック・サテライト。今夜もノリノリの(死語)ロックンロールをガンガン(死語)かけまくるぜ、ベイビー(勿論、死語)。まずは1曲、AC/DCの《ハイウェイ・トゥ・ヘル》、その後はリクエストいってみよ~! 携帯でもメールでもオッケイだぜ! 携帯番号を教えてくれた子にはジョニーが直接リクエストを聞いちゃうよ! カモン! リクエスト! カモ―ン! ・・・・・・あ、個人情報はバッチリ保護するぜ?」


【A】 200X年11月12日(水) 午後11時20分


 ぼんやりとラジオを聞いていると携帯電話が鳴った。


【ラジオ4】 200X年11月12日(水) 午後11時20分


「グット・イブニング。こちらラジオ4。番組聞いてたかな?」


【A】 200X年11月12日(水) 午後11時20分


「勿論よ。ジョニー」

 私は言った。


【ラジオ4】+【A】  200X年11月12日(水) 午後11時21分


『少し聞いていいかな。……えっと、何て呼べばいいかな?』

「そうね……」

 私は近くの電光掲示板を見上げた。今はテレビのコマーシャルをしている。


【コマーシャル】


 マーガレット 「どうしましょう! 3キロも太っちゃったわ」

 ジョージ   「心配無用さ、ハニー。このマジカルシェイプアッパーさえあれば、1週間でたちまちスリムボディさ」

 マーガレット 「ジョージ、素敵!」


【ラジオ4】+【A】  200X年11月12日(水) 午後11時21分


「……マーガレットって呼んでよ」

『マーガレットかい?』

「今夜はなんとなくマーガレットなの」

『OK、ジョニーとマーガレットだな?』

「その通りよ、ジョニー」


【E】 200X年11月12日(水) 午後11時2分


 部屋に戻り、コートを脱ぎ捨てる。次第に暖かくなる部屋の空気。それでも、私の心は何処か凍りついたままだ。町を流離い、暗闇に身を溶かそうとも、この冷たさだけは変わりはしない。

 ラジオをつけるとハードロックが流れた。今の気分とは合わない曲だが、たまにはこういうのも悪くない。ふざけた内容の相談が読み上げられた後は、ラジオのDJとリスナーの女の子が話していた。素朴な青春時代の悩み……こういうのも悪くない。私にも昔、こんな頃があった。

 奥の部屋に彼がいる。今日も彼は私のために働き、クタクタになって帰ってきた。

 彼は言う。

 私といる時が一番、心が安らぐと。


【G】 200X年11月12日(水) 午後11時2分


 隣室の女が帰ってきたので、盗聴器をつけた。

 今日も我が国を偵察したというわけか? 私は女と男が会話し、今日の活動を報告するのを待った。今はラジオから流れてくる音しか聞こえない。だが、辛抱強く待てば、今日こそ彼等の活動内容が明らかになるはずだ。

 しかし、その夜に聞こえてきた会話の内容は、私の予想を遥かに越えたものだった。


【ラジオ4】+【A】 200X年11月12日(水) 午後11時24分


『マーガレットは今幾つだい?』

「17よ」

『毎日、楽しいかい?』

「別に? いつも同じような毎日よ」

『楽しいことを探さないのかい?』

「探してるわ。でも、見つからないだけ」

『なるほどね』

「ねえ、ジョニー。こんな時はどうすればいいのかな?」

『何がだい?』

「どうすれば、毎日を楽しめるの?」

『う~ん。これは俺の経験だけどさ。君は完璧を求め過ぎてるんじゃないかな? 本当に何かを得るためには、面白くないことをすることも必要さ』

「説教臭いわよ。ジョニー」

『そいつはすまない。でもよ、君の周りでそんな風に生きてる奴はいないかな?』

「いるわよ。今どきボクシングなんてやってる勘違いな奴が」

『そいつは周りからどう言われてる?』

「プロボクサーになんかなれっこないって」

『まあ、そうかもしれないさ。世の中そう上手くいくもんじゃない。でもさ、結果はどうであれ、そいつは君より多くの物を手に入れるのさ。……だって、そいつは自分で選んだ自分の役を目指して生きてるからさ』

「自分の役?」

『そうさ。人間は自分の生きていく方向を自分で選んで進んでいくもんなんだ。平凡な人生って言うけどよ。結局それはそいつがそれを自分で選んでるのさ』

「私は何を選んでるのかな?」

『さあな、でも聞いてる限りじゃたいした役を選んでるようには思えないな。陳腐でも『プロボクサー』のほうがまだましだ』

「ジョニーも選んでるの?」

『俺はこの仕事が気に入ってる。だから、代わりにラジオの時間以外はどうということのない人間でも構わないのさ』

「そうなの?」

『そうだよ、例えこの世界の中での俺の役割が『ラジオのD.J.』それだけでも俺は別に構わない。それは俺が選んだ役割だから、俺は自分の世界を貫くだけさ。説教臭いかな?』

「ううん。格好いいわよ。ジョニー」

『それじゃあ、そろそろリクエストにいこうか? 長く話し過ぎてさっきからディレクターが鬼みたいな顔で怒ってるんだ』

「わかったわ……そうだ、忘れてたわジョニー」

『何だい、マーガレット』

「さっきの殺し屋さんの話。私、いい台詞考えたの」

『どんなのだい?』


「これがお前の世界への最後のキスだ」


『悪くないね』

「そう?」

『・・・・・・意味がわからないけどな』


【ラジオ4】 200X年11月12日(水) 午後11時12分


「それじゃあ、遅くなったがリクエスト。バングルズで《メディア キルド レディオスター》……俺、こういうセンス好きよ」


【D】 200X年11月12日(水) 午後6時7分


 今日も彼女の待つ部屋へと帰る。彼女は俺の全てだ。彼女との時間、その時だけ俺は本当の自分になれる。

 確かに職場が変わったのは彼女が原因かもしれない。それでも、俺は彼女を捨てることはできない。彼女は俺の半身。俺の一部なのだから。


【E】 200X年11月12日(水) 午後11時26分


 奥の部屋に彼がいる。毎日の仕事で疲れ果て、本当に思っていることも言えず、望みも実行できず、人に嘲られる毎日。だから、彼は私を求める。私は彼の不満の捌け口でしかないのかもしれない。でも、それでも構わない。彼の幸せが私の幸せ。

 私と彼は一心同体なんだから。

 私は眠る彼を呼び起こす為、奥の部屋へと向かった。


【G】 200X年11月12日(水) 午後11時26分


 隣の部屋で女が動いた。恐らく男は奥の部屋にいるのだろう。いるはずなのだが、物音が全く聞こえない。奥の部屋も恐ろしく狭いはずなのに、数時間前からそこに閉じ篭ったままだ。

 まあ、それはそれで構わない。私は更に注意深く、隣室の物音を探った。


【C】 200X年11月12日(水) 午後11時17分


 何かを知るということは、どういうことなのであろうか? 何故、私は何かを知りたいと願うのだろうか? 結局はそれが手に入らないものだとわかっていても、どうして?

 私は観察者で、彼女は監視対象だ。だが、私がもし彼女と同じ世界に生きる存在だったとしても、完全な解決にはならない。何故なら一つの存在が他の存在の情報をどんなに集めても、自分以外の存在になることは出来ないからだ。結局の所、人もそれぞれの存在から自由になることはできない。

 それならば何故、人も私も自分ではないものを知りたいと願うのだろうか?

 ああ、リミッターが外れ、私を構成するものが崩壊していくのがわかる。

 願うのは唯一つ、彼女について全てを知りたいということだけだ。


【D】 200X年11月12日(水) 午後6時8分


 毎日、疲れ果てて部屋に戻る。がらんとした室内。彼女は奥の部屋にいる。奥の部屋は4畳半の狭い間取りだ。その狭い部屋の中は彼女の服で埋め尽くされ、大きな鏡台が立っている。

 俺は彼女の部屋に入った。


【E】 200X年11月12日(水) 午後11時28分


 鏡の前に立ち、その表面に頬を近づける。

「ああ、私達は一つになることが出来ないのね」

「寂しがることはない。俺達はいつまでも一緒だ」

 鏡の中で彼が優しく微笑む。


【D】 200X年11月12日(水) 午後6時9分


 俺は鏡台の前に立ち、服を脱ぐ。そして化粧道具を取り出す。化粧を念入りに施し、カツラを被る。そして選んだ服を身に纏う。

 鏡を見る。

 彼女が微笑んでいる。


【D】+【E】 200X年11月12日(水) 午後11時28分


 どんなに望んだとしても、私達はお互いに抱き締めあうことはできない。そして、肉体を共有していても、一つになることはできない。私と彼は遠い昔に引き裂かれ、そして共に生きてきた。彼は私で私は彼。

 鏡に頬を寄せ、私は呟く。

「これが貴方の世界への最後のキスよ」


【G】 200X年11月12日(水) 午後11時28分


 これが貴方の世界への最後のキスよ……間違いない。これは彼等の暗号に違いない。恐らく、彼等の計画が次の段階に移ったことを示しているに違いない。

 スパイ活動が直接的なテロ活動への移行するのだろうか? 何にせよ、S国がついに我が国に対し、直接的な危害を与えようとしていることは間違いない。

 そんなことはさせるものか!

 私の頭に血が昇った。今まで奴らがこの国にいることを黙認してきたが、ついに我慢の限界に達した。これ以上、1秒たりとも長く、奴らをこの国に存在させるわけにはいかない。そう、S国への見せしめの為にも、ここで奴らの野望を撃ち破り、我が国への侵略が不可能であることを示さねばならない。

 私はかねてより準備していた自作の武器を戸棚から取り出した。

 自作と言っても、市販されている製品に少し改良を加えただけの、特に際立ったところのある武器ではない。チェーンソーに、ガスバーナーを取りつけた程度の代物だ。ちなみにバーナーからは数メートルの火炎が吹き出るように改造してある。


【あるアパート側に取りつけられた監視カメラ(非公認)が写した映像】

200X年11月12日(水) 午後11時30分


 一階に住む1人の男が窓から庭に降り立ち隣室の窓を破壊、手に持った火炎放射機のようなもので室内に放火。驚いた住民(女)が廊下に逃げ出すと、その後を追って侵入。


【G】 200X年11月12日(水) 午後11時30分


 私は改造したチェーンソーを抱え、室内を見回した。チェーンソーの横に設置したバーナーには、点火用の火種が灯っている。室内にはけばけばしい服が山積みになっており、それらが燃えている。服は合成繊維のものが多く、それらが燃えることで、鼻にくる匂いが室内に充満していた。

 男は何処に行った? まさか、私が侵入した瞬間に外へ逃れたというのか? ……何という運動能力! 戦慄を覚える一方で、私は女に目を向ける。部屋を出たところで倒れ、青ざめた顔でこちらを見つめている女……さて、焼き殺すか切り刻むか、どちらの方法で殺されたい?

 お前を殺しても俺は罪には問われない。何故ならお前達は国を汚すスパイで、私はその危機をいち早く察知し、国を守った英雄となるからだ。

 恨むんだったら自分の不手際と冷徹な同僚、化粧のセンスのなさを恨むんだな。

 女が甲高い悲鳴を上げてアパートの外へ逃げ出した。何て神経に触る音だろう。一刻も早くあの女の体を切り裂き、我が国の平穏を取り戻さなくては。

 チェーンンソーのエンジンを入れると、地響きのような音が鳴り響いた。


【C】 200X年11月12日(水) 午後11時32分


 何ということだろう。彼女に危機が迫っている。犯人は隣室の男。ごく普通の工務店に勤める男だと思っていたのに。

 だが、私は感謝する。自分が観察者であり、また法の番人であることを初めて感謝する。彼女を悪の手から守る手段を持っていることを感謝する。

 一切のマニュアルを無視し、私は犯人の男に最大の攻撃を加えることを決定した。これが本来のプログラムに反することだとはわかっていても、間違った判断だとは思わない。あの男は私の管理する世界の中で最も神聖な場所を汚したのだ。

 自分が社会の屑であること、身をもって知るがいい。


【F】 200X年11月12日(水) 午後11時30分


 俺がラジオに合わせて軽くメロディーを口ずさんでいると、携帯電話が低く唸った。

「何だい?」

『何をのんびりしているの? まだ仕事が終わらないの?』

 電話の向こうで上司の声が響く。

「いや、それがね。まだ終わってないんだ。あの爺さん張り切っちゃって、講演が伸びたんだ。その後、座談会とか言って料亭で宴会が始まっちゃって……ここまでは報告したよな? で、今ホテルに戻ってきたところだ。やれやれ、これでやっと仕事に移れるよ」

『いい、あくまで面会は丁寧にするのよ。丁寧に、丁重に……。貴方は妙に気取るから不審がられるのよ』

「俺がインタビューに失敗したことがあるかい? 黙って見てろ……じゃなかった、聞いてろよ」

 対象の男がホテルのロビーに入ってくる。さて、ここからが腕の見せ所だ。インタビューは相手の緊張が解けたときにするのが一番いい。勿論、相手によって臨機応変に対応しなければならないのだが。

「しっかし、公務員でインタビューなんかするのは俺くらいのもんだろうね」

『貴方こそ、少しは黙ったら?』

 上司が呆れた声で言った。


【G】 200X年11月12日(水) 午後11時40分


 女は川へと続く道を走り出した。逃がすものか、必ず息の根を止めてやる。

 通りがかった人間が、死に物狂いで走る女の姿を見て、そしてそれを追う私の姿を見て悲鳴を上げる。

 何も怖がることはない。真実がわかれば、きっと納得してくれるはずだ。


【C】 200X年11月12日(水) 午後11時41分


 すべてのプロテクトを解除し、必要な情報を集める。犯人と彼女は川へと向かっている。2人が川を越える前に……『α』の範囲内で、確実に犯人を仕留めてみせる。

 何も怖がることはない。私が必ず守るから。


【Cow13によってプロテクト解除された情報の一つ】


「殿上慶太。25才、男、独身。××高校現代国語教師。住居は雑居アパート△△。幼い頃より女装癖があり、以前勤めていた○○高校の女子トイレで女装しているのが見つかり、問題になる。今回の試験運用はシステムが監視のみで反社会的人物を発見できるかを問題としているため、犯罪者の情報は事前には提示しない。このデータはプロテクトをかけ、彼に関する詳細な情報が必要となった場合のみ閲覧可能なものとする」


 このデータはCow13に提示されたが、今回の事件には直接的な関係がないと見なされた。


【F】 200X年11月12日(水) 午後11時42分


 俺は男の部屋の前に立った。

 つい先程部下が出ていったのを確認した。今は部屋の中に1人のはず、インタビューにはちょうどいい。俺はドアをノックした。

「何か?」

 男が疲れた顔を出すが、ドアの前に誰もいなかったので戸惑ったようだった。

「何だ、酔っ払いか?」

自分も充分に酔っ払いだが、男は腹立たしげに言葉を吐き捨てた。男がドアを閉めようとした瞬間、俺は手に持った銃の引き金を引いた。銃と言っても高性能なパチンコのようなもので、発射音もしないし、飛ばすのも微小な針だ。男が首筋に手をやったので命中したとわかる。男は首筋をかきながらドアを閉めた。

 体内に打ち込まれた針はすぐに分解されるが、塗られていた薬品は体内を回り、風邪と良く似た症状を引き起こす。死にはしないが、数日は動けない程度の強さだ。

「これがお前の世界への最後のキスだ」

 俺は小さく呟いた。・・・・・・殺したわけじゃないけど。


 今回の目的は彼奴を明後日に開かれる会議に出席させないこと。他にも数人、同じようなインタビューを行った。政府では極秘にあるプロジェクトが進んでいる。人工知能搭載のコンピューターによる市民の監視という、とんでもない代物だ。

 身内の恥だが、政府のある部門が何人かの大物政治家を巻き込んで開発を進めているのだ。現在、極秘に試験運用までしているとか……かなり制限された規模と設備らしいが、それでもどれだけの金がかかったのやら。

 俺自身はこのプロジェクトに対して良くは思っていない。搭載されている人工知能は何処ぞの研究所が試験的に作った代物で安全性が確認されていないと上司は言っていたが、人工知能の暴走なんてSFじみた話に興味はない。

ただ、自分は政府に属する人間で、だからこそ政府に監視なんぞされたくないだけだ。

 

 政府内ではこのプロジェクトの是非に関して議論が巻き起こっている。幸い、俺の属する機関と、それに関係する政治家は反対の立場を取っている。だが、推進派にはお偉いさんがいるので、プロジェクトを止めるのは困難だ。

 で、俺の出番というわけ。

 トイレで変装用の眼鏡とメイクを外した。いつまでも現場に長居する必要はない。……それにしても。

「かっこいい決め台詞だぜ。マーガレット」

 呟き、俺はイヤホンを耳につけた。

 ……意味はよくわかんないけどな。


【H】より【F】 200X年11月12日(水) 午後11時50分


『F、聞こえる?』

「聞こえてるよ」

『任務は完了したの?』

「ああ、終わった。今から建物の外に出る。しかし、こんなことをする必要があるのかね? いくらあのプロジェクトに賛成だからって……」

『たった今情報が入ったわ、非常事態よ。すぐに次の任務に就いて頂戴』

 有無を言わせぬ口調でHが命令する。

 ……今度は横暴な上司についてラジオに投書しようか。


【A】 200X年11月12日(水) 午後11時55分


 私はイヤホンでラジオを聞きながら、夜の川岸を歩いていた。繁華街もいいけど、たまにはこんな所に1人でいるのもいい。でも、1人で夜の川を眺めていると色々と考えてしまう。学校のこと、明日のこと、あいつのこと。

 私はそんなに学校が嫌いなわけじゃないし、勉強も好きなほうだ。親に言われたからとかじゃなくて、大学進学も考えている。でも、それ以上先のことになると……この川と同じで、全く先が見通せない。

 こんな風に迷っている間に時間はドンドン流れていって、私はおばさんになってしまうのかもしれない。迷っているよりは進んだほうがいい。たとえ、どんなに馬鹿らしいことだとしても……ジョニーだってそう言っていた。

 プロボクサーになろうとしている男を知っている。目立たない男だ。あいつじゃ奇跡でも起きない限り無理だろうって友達は言う。でもみんな、彼について何を知っているんだろう。

 私は何も知らない。あの澄んだ瞳以外は。


 その時、妙な物音が聞こえた。イヤホンを外し、何気なく振り返った私が見たものは……とても形容できない光景だった。


【B】 200X年11月13日(木)

 午後11時57分に起きた事件に関する板東一路への事情聴取

 彼が収容された病院で担当の刑事が質問。


「ええ、その時僕は川辺を走ってました。……あ、いつものトレーニングです。普段はそんなに遅くまで走ってないですけど、昨日は気が立ってて……。

 最初に気づいたのは、物音です。叫び声……だったのかな? 妙な金切り声がして……あれ、先生の声だったのかもしれませんね。それで俺、走りながら考え事してたんですけど、我に返って……あの3人が走ってくるのを見たんです。先頭は桜坂さんで、次が先生でした。まあ、あの時はそれが殿上先生だってことはわかりませんでしたけど、桜坂さんだってことは一目でわかりました。……何でって、いや……同じ学校だし。

 それから、3人の上で何かが光ったのが見えたんです」


【A】 200X年11月13日(木)

 午後11時57分に起きた事件に関する桜坂彩子への事情聴取

 同じく、彼女が収容された病院で担当の刑事が質問


「はい、私はあの時、必死で逃げました。私の後からは殿上先生とあの男の人……権藤さんっていうんでしたっけ? あの亡くなった人……が追っかけてきました。私が逃げたのは先生の顔が物凄く恐かったからで……あ、いけませんよね、亡くなった方にこんなこと言っちゃ。

 それで、私は無我夢中で逃げたんです。横に曲がれば良かったんでしょうけど、その時はそこまで考えられませんでした。本当に恐くて、無我夢中であまり記憶がありません。……あの爆発の時までは」


【Cow13の装備およびその開発の歴史】


 市民に対する監視システムが計画されたのは、複雑化し個人化する凶悪犯罪を未然に取り締まるのが目的であった。善良な市民に紛れて反社会的な行為を企てようとする組織や個人をいち早く発見し、犯罪を未然に防ごうとするのが当初の目的だった。その為には個人の通信やプライバシーまでも場合によっては侵害するこの計画は、当然のことながら野党や市民団体の反対にあい、計画の実行は中断される。

 ……表向きには。

 いつの世の支配者も、自分の国民が何を考え、何をしようとしているのか……いや、結局のところ、自分に対して不利なことを企てていないかを知りたいと思うものである。それは自分の執政に自信がない裏返しであろうか? とにかく人の上に立ってしまった者は、自身の自由は主張しても国民の自由は心の奥では歓迎していない。例え、口ではどのように言っていたとしても。

 このCow13と名付けられた監視システムが立案されたのも、そのような動機によるものだ。表向きは中断した計画は、裏で多額の予算を吸い取りながら盲目的に成長を続けた。そして時を経て、政府内で極秘に公開された時、それは保守的な与党議員でさえも狼狽を禁じえないものに成り果てていた。

 勿論、それでも計画に賛成する者はいたが……高性能人工知能が独自に判断を下し、犯罪者と見なされた者に対して直接攻撃を加えることができるというのは、監視システムとしては行き過ぎたものだという意見が多かった。

 それ以来、与党内ではこのCow13に関する議論が続いた。勿論、野党や市民団体、そして国民が知らない所で。正常な感覚を持つ国民が加わればそうはならなかっただろうが、計画に対する『推進派』と『反対派』では、若干『推進派』の勢力が勝っていた。 

 Cow13は様々な通信機器を盗聴できる能力に加え、幾つかの監視カメラで市民を監視することができる。更には犯罪者に対する武装として、小型ミサイルが装備された。これは元々武装ヘリに装備される程のもので、某国から売りつけられて余った物を転用したらしく、明らかに威力の大きすぎるものである・・・・・・。

 ちなみに、そのミサイルは『α』と名付けられたテスト区域の電信柱上部にあるバケツ状の物(送電用の変圧器)の中にカモフラージュして配置されていた。


【200X年11月12日(水) 午後11時37分の出来事】


 午後11時37分、試作型Cow13タイプ『α』は反社会的犯罪者と見なされた権藤三郎(42才、独身、職業は電気技師)に向けて小型ミサイルを発射した。ミサイルはCow13によって制御され、目的地で爆発。権藤とその場にいた殿上慶太(25歳、独身、高校教師)を即死させ、また付近にいた高校生2名に軽傷を負わせた。

 尚、2名の死亡を確認した直後、Cow13は全ての回線を自らシャットダウンしている。


【B】 200X年11月13日(木)

 板東一路への事情聴取、その続き


「……咄嗟に、桜坂さんを抱えて川の方に飛んだんです。どうしてあんなことをしたのかわからないけど、危険が迫ってるって感じたんです。自分でも自分がやったことが信じられないですけど。とりあえず、彼女を助けないとって思って……あっ、こんなこと書かないでください。恥ずかしいですから」


【A】 200X年11月13日(木)

 桜坂彩子への事情聴取、その続き


「ええ、あの人が私を助けてくれたんです。あの人がいなかったら、私は爆発に巻き込まれていたと思います。……あのタイミングであの人がいたなんて信じられません。あの人のこと考えてたから、伝わったのかもしれませんね……あっ、こんなこと書かないでください。恥ずかしいですから」


【C】+【F】 200X年11月13日(木) 午前1時54分


『私は何ということをしてしまったのだろう』

 Cow13のモニターにそんな言葉が浮かんだ。

『私は何ということを……私は……』

「そう気にするなよ。間違いは誰にだってある」

 Fはキーボードを操作しながら言った。全てのプロテクトは既に解除され、最後のパスワードはCow13自身が教えてくれた。

 ……こいつは自殺をしたがっている。

『教えてください。私は何を間違ったのでしょうか?』

「何も間違っちゃいないさ。全てのことを知りたいと思うのは当然のことだ。でもアンタが間違ったのは、入手した情報を自分勝手に判断したことだ。そしてアンタは力を持ち過ぎてる。……ま、あまりいいことじゃない」

『そうかもしれません』

 電源を止めてくれ、とモニターに表示される。全てを忘れて眠りたい、と。

この人工知能の文章表現能力は中々のものだ。

「おやすみ、いい夢見ろよ」

 そう言ってFはCow13の電源を落とした。勿論、データをコピーした後で。


【ラジオ4】 200X年11月13日(木) 午前0時55分

 ミュージック・サテライト終了間際、1時から五分間のニュースと天気予報


「じゃあな、これが今日の最後の曲だ。曲はルー・リードの《サテライト・ラブ》……いい曲だ。おやすみ、いい夢見ろよ」


 ……放送終了。


【エピローグ】  200X年11月13日(木) 午前9時5分


「とんでもないことに巻き込まれちゃったね。でも、怪我がなくてよかった。……ええっと、桜坂さん」

「桜坂でいいよ」

 桜坂彩子は隣を歩く板東慶太に言った。

 2人は河原を歩いていた。あの爆発事故の後、たいした怪我のなかった2人はこっそり病院を抜け出し、2人で帰ることにしたのだ。勿論、これであの事件と関係が切れたとは思えない。あれは只の爆発事故なんかじゃない。誰に知らされたわけでもなかったが、2人とも、そのことを察知していた。

「殿上先生には女装趣味があったの」

「知らなかった」

「女子の一部で噂になってたの。前の学校辞めたのはそのせいだって。でも私は、それは先生の仕事とは関係のないことだと思ってたけどね」

「そうだね」

「皆、どうでもいいことは知りたがるけど……本当に大切なことは藪の中だって気がしない? たとえばアレも」

 桜坂は対岸の『爆発事故現場』を指差した。現場には何重にもフェンスが張られ、報道陣と警察がもめている。

「あれも『秘密のこと』になってしまうのかな?」

「そうかもしれないね。でも、私達には本当のことを知る権利があるわ。芸能人が誰と結婚しようが、総理大臣の息子が役者になろうが、私には知ったことじゃないけど。少なくともあのことについては知る権利があるわ……ううん、むしろ義務だと思うの」

「そうだね」

 板東は呟き……それから小さく微笑んだ。

「桜坂さんは難しいこと考えるなあ」

「意外?」

「少し」

「女には秘密の顔があるのよ」

 桜坂は微笑んだ。それから少し躊躇い……板東の手を握った。

「今日のプロテスト、頑張ってね」

「……どうして知ってるの?」

 驚いた顔で板東が尋ねる。

「それも秘密」

 桜坂綾子は微笑んだ。


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