泣きたいだけ泣いたら
珍しく晩御飯を食べている最中に、亮ちゃんからLINEがきた。既読して思わずニヤつく。
「愛してるよ」
最近様子が変で心配していたけど、なんか立ち直るキッカケでもあったのかな?
ウキウキしながら私は返信を打った。
「私の方が愛してるよ!ずっと愛してるよ」
そのLINEはすぐに既読になり、そしてそれっきりもう2度と既読がつくことはなかった。
彼が自ら命を絶ったとわかった時、私はそれを受け入れる事が出来なくて2日間吐き続けた。
田中亮と私は会社の同僚だった。
3つ歳下の彼は、無口で極度の人見知りだった。顔がよく仕事も出来るのに極力目立つことは避けていた彼は、飲み会やイベントでもほとんどいるのかいないのかわからなかった。
付き合うようになったキッカケも、激務の中でお互いやっと取れた休みだから楽しもうと当時流行りのイベントに行こうと話が盛り上がり、その帰りになんとなくキスしたことだ。
その時、彼は言ったのだ。
「遅すぎるよ」
その時は、出会ってから何年も経っていたから、もっと早く付き合えたんじゃないの?という意味で言ってるのだと思っていた。
彼女と付き合えるようになった時思わず
「遅すぎるよ」と口から出てしまった。
彼女は不思議そうな顔をして
「遅すぎるなんて事は人生にはないよ」
と言った。
彼女はいつもそうだ。明るくて前向きな彼女の周囲はいつも人がいてなかなか彼女と話す事は難しかった。
だから、突然、彼女と付き合えることになって少なからず狼狽えた。もう人生を終わらせる計画を立てていたのに。
「人はね、光に向かっていけば間違いないんだよ。だからうつむかないで空を見上げて」
僕がそんな事を考えているのを知らないはずなのに、彼女は時々そんなふうに言った。
僕にとっては、君そのものが光だった。
だから、僕は君ばかり見ていた。僕にとっては生きていく事は大変で、一歩踏み出したら真っ逆さまに落ちていきそうで足がすくんだ。
朝が来る事が苦痛で、日が暮れると今日一日生き延びた事にホッとした。
今思えば彼とのデートは目標をクリアしていく日々だった。
星を見る、夕焼けをみる、神社仏閣をめぐる。
絶景の雑誌を買って一つずつクリアしていく。それを私と二人でできる事が楽しいと彼は言った。
ただ、雨が降って星や夕焼けを見る事が出来ないだけでビックリするほど落ち込んだ。
「また何度でも観にきたらいいじゃん」
そう慰めてもなかなか浮上できない彼を不思議に思う事もあった。
きっと、それは彼にとっての人生の思い出づくりだったのだと思う。そして彼の中には『いつでも何度でも』という時間はもうなかったのだ。
人生を終わらせる気でいた僕に彼女は神様からのプレゼントのような気がした。
そんな彼女といると不思議な事によく出会った。
例えば人も車も滅多に通らない田舎の道を歩いていた時の事だ
彼女が「もー疲れた!バスに乗りたい!」とつぶやいた。
「いやいや、そもそもこの道バス通りかどうか」と言った俺に
「あっ、でもあれバス停じゃない?」
彼女の指差した先に見過ごしてしまいそうなほど小さな停留所がポツンとあった。そして後ろを確認した彼女が
「きた!」
と声を弾ませた。
「嘘だろ…」
今まで車どころか人一人通っていなかった道の先にバスが突如現れてこちらに向かってくるのがみえる。
唖然とした俺とは対照的に彼女は至極当然のように来たバスに乗り込んで
「よかったね、バスが来て」と俺に笑いかけた。
そんな嘘みたいな事が彼女といると何度もあった。
驚くのは、彼女がそれをまるで当たり前のように受け止めていることだった。
「幸せすぎて怖い」
なにかいい事があるたびに彼はそう言った。
それは最上級の喜びではなく、本当に将来の不安を口にしているのだと分かった時にはびっくりした。
「いい事があるのと同じだけ絶対悪い事がおきる!こんなにいい事が起きたらどれだけ悪い事がおきるか」
そう言って彼は怖い怖いを繰り返した。
まるで、自分が幸せを受け取る資格がないかのように。幸せになってはいけないかのように。
そんな風に自分に価値がないみたいに言って欲しくなくて
「幸せになりたいと思っている人だけが幸せになれるんだよ!それだと不幸になりたがってるみたいだよ!楽しい未来を想像しなきゃ!」
何度注意しても、結局彼は『そうだね』とは最後まで言わずじまいだった。
そして半年ほど前から彼はひどく塞ぎ込むようになった。
居場所がどこにもない気がした。
自分の発言や行動に自信がなくて、悪循環に陥って、やっぱりどうやってもダメなんだと思った。
何が正解なのかわからなくてただ苦しくて。
この苦しみを誰にも理解してもらえないことが辛かった。
そう、どんなに愛していても彼女とはわかりあえるはずがなかった。
ずっと過去を振り返っている僕と未来だけを見ている彼女とは
一度交差したとしても後はすれ違っていくだけだった。
でも、愛してしまったのだ。いつか、別れが必ずくる。僕はそれを受け入れる事ができない。不安とともに生きていく事はもう出来そうもない。彼女と出会う前ならまだ耐えられたかもしれない。でも出会って幸せを知ってしまった。
ごめん、自分勝手で本当にごめん。
そして僕は空へ飛んだ。
彼が亡くなったと聞いて私を心配した親友の真由美がマンションまで様子を見に来てくれた。
何年も引きこもっていたのに私を心配して見に来てくれた事がありがたかった。
「息が上手く吸えない。どうしたらいいのか分からない。
なんにも出来なかった!そばにいたのに気が付かなかった!
言えない人だって分かっていたのに!なんの役にもたたなかった」
私は嗚咽しながら真由美の前で泣き崩れた。
真由美は私の背中にそっと手をあてた。その手が優しく背中を上下する。
「それは違うよ。自分が生きるか死ぬかだけは唯一自分で決定出来るって事にすがって生きてる人もいるんだよ。いつでも死ねる。だから今日だけは頑張って生きようって。間違ってるって思うよ。でも、分かってあげてほしい。そして自分も彼も責めないであげてほしい。」
私は泣きながら首を振った。
全部無理だ。私にはわからない。ただ、言葉もなく泣くだけの私の背中を真由美は後は何も言わずにそっと撫で続けてくれた。
あれから1ヶ月。朝起きて夜眠るまでずっと彼の事だけ考えていたいのに、否応なく日常生活が始まり終わっていく事が不思議な気がした。
喉の奥に何かが詰まってふとした事で涙がこぼれていた日々から気づくと目の前の仕事に追われて、その事だけを考える時間がある事に愕然とする
「亮ちゃん。りょうちゃん。リョウちゃん。」
返事がないと分かっていても1日に何度も名前を呼んだ。
忘れてないよ。忘れたくないんだよ。
それなのに、どうしよう。私の中の亮ちゃんが少しずつ消えていく。
昔、誰かが言っていた。
『人間は忘れるように出来ている。そうじゃないと生きていけないから。忘れていい』
忘れていいはずない。誰にも看取られる事なくたった一人で逝ってしまったのに、残酷すぎる。
だから私は名前を呼ぶのだ。何度でも。
「亮ちゃん…」
僕がそばにいることなんて分からないはずなのに、いつも彼女は突然僕の名前を呼ぶ。
思わず、はい!と返事をしてから聞こえないんだったと苦笑してしまう。
それでも1日に何度も彼女は僕の名前を呼んだ。
そしてぽろぼろと涙をこぼす。
それは彼女も意識している訳ではないようで、ある時は電車のホームだったり、ある時は仕事の帰り道だったり、残業中だったりした。
ひとしきり涙にくれると、くいっと顔をあげて口角をあげる。
彼女は今までそうやって前を向いてきたのだと思う。
いつも笑顔の彼女が一人の時に泣いている事があるなんてあの時は思いもせずに俺はずっと彼女をうらやんでいた。
何も辛い事がない幸せを享受することを許された人間なのだと勘違いしていた。
そんな人間がいるはずもない事を僕は死ぬまで気が付かなかった。
2人で共通のカレンダーに2人で行く予定だった竹生島が消えずに残されている事に気がついてハッとした。
他の未来の予定は全部消されていたのに。
そして、私は一人で竹生島へと向かった。
神様の住む島と言われている場所だ。楽しそうな親子連れや手を繋いだ恋人達とともに私は船に乗り込んだ。
島にある宝厳寺というお寺で彼の冥福を祈る。そこから少し階段を登ると国宝の竹生島神社だ。
そこでふと引いたおみくじを開いて涙があふれた。
おみくじには
『悲しい事があっても七転び八起きという。転んでも立ち上がって希望を捨てずに生きなさい。この世限りの命ではなく幾千万年も続く魂の世界があります。道は希望と慈しみの光に照らされています』と書かれていた。
もう一度会えるって思ってもいいの?涙が後から後からあふれて私はその場にしゃがみ込んだ。
亡くなった人が現世から旅立つと言われている49日。私はその日仕事を休んで一人でお寺を予約した。
ご家族での法要は既に済んだと聞いている。でも、コロナでお葬式にも参列する事が叶わなかった私には、未だ亮ちゃんとの日々は現在進行形だった。
蝋燭と線香が灯され読経が始まると、枯れてしまったと思った涙が、とめどなくあふれた。
どうして?寂しいよ。会いたいよ。ごめんね。
封じ込めたと思っていた色んな感情が溢れて止まらなくなる。
読経を終えて、僧侶の方が静かにこちらを向いた。そして
「この方はもう悲しかったことや苦しかった事から解き放たれていますから心配しないで大丈夫ですよ。」と言った。
私にはどうしても聞きたかった事があった。
「自ら命を絶った人も…成仏できますか?」
「もちろんですよ。必ず成仏されます。」
「本当…ですか?」
「本当です。ただ、現世の私たちの悲しい淋しいという思いは負担になります。楽しかったねという思い出だけを送ってあげる事が一番の供養なんですよ。
そしてね、必ずまた出逢えます。縁を結んでいますから。
それがあの世か現世なのかはわかりませんが。」
僕のためにずっと祈ってくれてありがとう。こんなにも愛されていた事に気が付かなくてごめん。
君の言葉を信じきれてなくてごめん。
だって愛される価値なんて僕にはないと思っていたから。
こんな風に君を悲しませる事になるなんて思いもよらなかった。君にはずっと笑っていてほしかったから、僕はそばにいない方がいいと思い込んでいた。でも、間違っていたんだね。
今更後悔しても遅いけど。もう一度君と会えたらその時は、また思いっきり僕を叱って、そして笑いかけてほしい。
そのために頑張るよ。そして遠くから君の幸せを祈ってるよ
無愛想で秘密主義の亮ちゃんに私はよく質問していた。
気がつくと私は自分の事ばかり話してしまうから。
好きな色から食べ物、行きたい所、好きな言葉等々。
そもそもそうでなければ彼が自分から自身の事を話す事は無かった。
ある時珍しく彼が私に質問してきた事があった。
「君にとって愛って何?」
それに対して自分が何と答えたのかは全く覚えていないけれど、彼の答えは覚えている。
「僕にとって愛とは生きること」
彼はそう言ったのだ。
その時は突然哲学者みたいな事を言うなぁと茶化した。
でも、彼は必死に生きてくれていたのだと思う。
私だけでなく、彼を愛し彼も愛していた周囲の人達の為に。
彼がそう言ってから3年彼は生きようとしてくれていた。
偉かったね!頑張ってたよね!
抱きしめてそう言ってあげたい。
今ここで。でもそれは叶わない。
こうやって亮ちゃんの事を思い出しながら生きていくしかない。悲しくてもつらくても。それが私の「愛とは生きること」
なのだと思う。
泣きたいだけ泣いたら前を向く。彼と再び会える日まで。