第八十話 左手は添えるだけ
閉店後のマリアさんのお店。
店内に居るのはエルヴィスと酔っ払った銀次郎。
そしてマリアさんと支配人の四人だ。
マニーさんは一人で先に帰っている。
当然だが指名した女の子のお持ち帰りは出来なかった。
「ギンジローどうすんだ?」
エルヴィスは心配しているが、今日は楽しく酔っ払って気分が良い。
異世界に来て不満に思っていた事の解消と、マリアさんにご馳走になったエール代分の恩返しを始める。
「私は故郷で紅茶やお酒を提供するお店をやっていました。マインツの街に来てずっと思っていたのですけど、椅子って木の椅子しか無いんですか?」
何を言っているんだと顔を見合わせるエルヴィスとマリアさん。
支配人の男性は、一歩引いた位置で話を聞いている。
「石の椅子もあるけど、大抵椅子って言ったら木で出来てるぞ」
この時のエルヴィスは、銀次郎が珍しく酔っ払っているな。
ただ悪がらみはしていないので、後でハングリーベアーまで送ればいいかなと思っていた。
「マインツのお城でも椅子は木だったから、やっぱりそうなんだ。教えてくれてありがとう。支配人さん申し訳ないんですが、ここの椅子と机をちょっとどけてもらえますか?」
支配人はマリアさんを見る。
マリアさんが頷いたので、支配人は木のテーブルと椅子をどかしてスペースを作った。
「私のお店で使っていた思い出の物なので、これは差し上げられませんが見て下さい」
銀次郎は喫茶店で使っていたテーブル、そしてソファーをアイテムボックスから取り出す。
「マリアさんのお店だと、木の椅子よりこっちの方が良いと思うんですよね」
エルヴィスとマリアさんがソファーに座ると、柔らかくて腰が沈む感覚に驚くが、座り心地が良くて気に入ってくれた。
「ギンジローこれ凄いな。ふわふわだぞ」
「お客さんと親密感が増えそうだわね。ただ酔っ払ったお客さんが勘違いするかも」
なるほど。確かにそうだ。
「それなら奥にこの小さいソファーを置いて、女の子はこっちのソファーに座れば、今までと同じ距離感になりますよ。あとは聞いた話ですけど、触ってくるお客さんには、男性の利き手に左手を添えて下さい。手が触れ合ってると男性は満足して触ってこないみたいです」
銀次郎はエルヴィスを奥のソファーに座らせて、マリアさんには右側のソファーに座ってもらう。
エルヴィスの右手にマリアさんは左手を添える。
「あぁなるほど男は気分がいい。利き手が抑えられているから、左手で触ろうとしても届かない」
マリアさんがこっちを見つめてきたので、少しドキドキする銀次郎。
「身体を触ってくるお客さんには、二度と来ない様にお金を吹っかけてたけどこの方法は良いわね」
さらっとマリアさんが怖い事を言ったので、少し酔いが醒める銀次郎。
このソファーは譲れないが、似た様なソファーなら用意出来ると伝える。
マリアさんも気に入ってくれたが、女の子の反応もあるので取り敢えずこの席だけソファー仕様に変更する事になった。
「次はお酒とグラスです。支配人さんはお酒呑めますか?」
普段お店では呑まないが、お酒は好きらしいので、お金持ちのお客さん役になってもらう。
銀次郎は甘口のスパークリングワインと細長いフルートグラスを取り出す。
「このガラス製のグラス、実は今度ある所に売るのですが、そこ以外はまだ出回らないグラスです。木の樽のジョッキも味はありますが、マリアさんのお店の様な高級店は、このグラスを使うと特別感が出ると思うんですよね」
透明なガラスは無いこの異世界。
どこまでも透き通るグラスに、三人は目を奪われる。
「耳を澄ましてよく聞いてくださいね」
銀次郎がポンとコルクを抜くと、その音に驚く三人。
その反応が面白かった銀次郎だが、みんなの目が真剣なので黙っておく。
支配人さんは恐縮していたが、グラスにスパークリングワインを注ぎ四人で乾杯する。
「プロージット」
グラスを合わせると、チンと音が響いた。
甘口のスパークリングワインだから女の子も呑みやすいし、他には無いお酒だから高く売れる。
本当は冷やして提供したいが、氷はエデルだけに売っているので話はしなかった。
銀次郎は最後に、アイテムボックスからある物を取り出す。
「マリアさんが屋台に来てくれた時、カットした果物を隣の屋台で売ってたの覚えてますか?」
「えぇ美味しかったのを覚えているわ」
エルヴィスも同意する。
冷えてはいないがパイナップルとメロン、リンゴとマンゴーを取り出してカットする。
「フルーツの盛り合わせです。一口サイズにカットしていますので、フォークでたべれますし女の子受けは抜群です。このシルバーのプレートで提供すれば高級感も出ますし、果物は女の子達のお肌にも良いですよ」
実際はお酒を呑むので、お肌うんぬんは分からないが、酔っ払っている銀次郎は舌が回った。
さっきの身体を触ってくるお客さんがいたら、フルーツの盛り合わせをおねだりして売上を稼ぐ。
フォークでたべさせてあげたら、お客さんも喜ぶ。
男性の利き手の上に手を置くのもそうだが、女性主導で場を進めると、男は知らないうちに支配されていて、心理的に身体を触りにいく事が少なくなると伝える。
本当かどうかは分からないけど、プレゼンは成功したみたいだ。
フルートグラスと甘口のスパークリングワインはその場でお買い上げだ。
フルーツの盛り合わせについては、明日エデルを紹介して開店前に話し合う約束をする。
銀次郎は楽しかった。
気を許せる仲間とお酒を呑んで、こうやって異世界で生きてる。
今日は呑み過ぎたのか、久しぶりにソファーに座ったからなのか分からないが、そのまま寝てしまうのであった。
「ギンジロー様、着きましたので起きて下さい」
何度か身体を揺らされて起きる銀次郎。
気がつくと、宿屋ハングリーベアーの前だった。
「すみません。いつの間にか寝ちゃっていました。送ってくれてありがとうございます」
支配人さんは優しく微笑み、大丈夫ですよ。
おやすみなさいと言ってくれた。
エルヴィスとマリアさんは? と聞くと
支配人さんはさっきよりも優しく微笑むだけだった。