第四十一話 社交ダンスの女王 レイチェルさん
やっぱりコーヒーは美味しい。
場所はいつもの厨房の休憩スペース。
厨房の風景を眺めながら立ってコーヒーを飲む二人。
もう見慣れた光景であり、料理長のオリバーはよくそんな苦いもん飲んでるなとからかってくる。
「奥様のお茶会ってどんな服装で行けばいいんですか?」
よく分からなかったので、素直に聞く。
「エルザ様のお茶会自体珍しいですし、誰が来られるのかも聞いておりません。ダンスを踊るという事ですのでタキシードが宜しいかと思います。ギンジロー様のご友人のエルヴィス様のお店で仕立てたら問題無いかと」
他にお茶会に必要な事を聞いたけど、特には無いらしい。
ただソフィアからもらった、マインツ家の紋章が入ったハンカチだけは持って来てくれとお願いされた。
セバスチャンとコーヒーを飲む至福の時が終わり、そのままエルヴィスの店まで送ってもらう事になった。
店の前で降ろしてもらい、別れの挨拶をして店に入る。
エルザさんのお茶会に参加する事になったから、急ぎでスーツを仕立てて欲しいとエルヴィスに伝えると、友の頼みなら問題ないと言ってくれた。
オーダーでタキシードとシャツを購入。
靴はサイズがあまりしっくり来なかったので、後でネットショップで買おうと思う。
結構良い生地を選んだのでいくらするんだろうと思ったら、代金はマインツ家で支払い済みですってセバスチャンいつの間に?
「詳しく相談に乗るから少し店を出ようか」
わざとらしすぎてお母さんにはバレていたが、高い生地を買っているのでお咎めはなかった。
最近エルヴィスのサボりに付き合わされてるなぁ。
そう思いつつも、異世界での友達は少ない銀次郎はエルヴィスを連れ出すのであった。
お茶会でダンスがあると伝えると、ギンジローは歌は下手だがリズム感はあるし大丈夫だろって。
ダンスを踊るって日本じゃ無かったから心配なんだよなぁ。
エルヴィスに不安だと打ち明けると、ちょっとついて来なと街の中心地の方へ歩き出した。
「ここは大人の社交場、レイチェルさんのダンスホールだよ」
そう説明されたのは、えらく豪華で大きくて広い建物だった。
重そうな扉を開けると、中には大きなピアノと木の床のフロアが広がるダンスホールだった。
「あら珍しいわね。今日はどうしたの?」
背筋がピンと伸びたドレス姿のマダムが、エルヴィスに問いかける。
「隣にいる親友のギンジローがね、今日ダンスを初めて踊ったらしいんですよ。その話を聞いたらレイチェルさんに会いたくなって来てしまいました」
「冗談でも嬉しいわ。きっとこのドレスが魔法をかけてくれたのかしら」
歳は重ねているが、それ故の美しさがあるマダムが微笑んでいる。
そのマダムに促されて、ダンスフロアの横にあるテーブル席に着く二人。
しばらくすると陶器のカップに入った、爽やかな香りのするお茶を用意してくれた。
味はミント系の葉がブレンドされていて、夏にぴったりのお茶だった。
「これ美味しいですね」
暑い中歩いて来たので、このミント系の葉が入っているこの温かいお茶が涼しさを身体に与えてくれる。
「まだ自己紹介をしていませんでしたね。私はレイチェル。夫が旅立ってしまってからここを改装して、社交ダンスをみんなに教えてるの。この素敵なドレスはエルヴィスが特別に作ってくれた物なのよ」
なんかこの人いいな。
安心感があって一緒にいるだけで心が落ち着く。
こっちの自己紹介もすると、レイチェルさんは黒目黒髪が素敵ねと褒めてくれた。
異世界に来て珍しいと言われる事はあったが、素敵と言われるのはなんだか嬉しい。
せっかくだから踊りましょうとレイチェルさんから申し出があったが、流石に初心者で自信がないのでエルヴィスに踊ってもらう事にした。
周りのお客さん達と一緒に、踊り出すレイチェルさんとエルヴィス。
エルヴィスの胸元がざっくり開いた白シャツと、マダムの上品な光沢のある紫色のドレスが一見ミスマッチにも思えるが、優雅なダンスと相まってとてもエロティックに感じる。
たぶん周りのお客さん達もダンスは上手いとは思うが、二人のダンスというか存在感が異次元である。
銀次郎は二人から目が離せないでいた。
演奏が終わると、自然と拍手が起きる。
そう、周りのお客さん達からだ。
男性も女性も、年齢も関係なく、ただ目の前の二人のダンスに心を撃ち抜かれたんだろう。
もちろん銀次郎もその一人だった。
「ねぇ今度は私と踊ってくださる?」
「もちろん、私でよろしければ」
エルヴィスはいつものかっこいいお辞儀をして、マダムの手を取る。
レイチェルさんは、別の男性のお客さんと一緒にダンスを踊る。
こんな風にダンスを踊りたいなぁと、強く感じた銀次郎であった。
曲が終わり小休憩になる。
先程淹れてもらったミント系のお茶が全員分出てきたので、お礼にアイテムボックスからクッキーとお饅頭を出して、みんなのお茶請けにしてもらった。
「前に聞かれたことがあるけど、このドレスを作ったのはエルヴィスなのよ」
レイチェルさんがエルヴィスを紹介すると、エルヴィスの元に女性陣が集まり、私にもドレスを作って欲しいとお願いされている。
エルヴィスはどの年齢層にもモテるなと横目で見てると、助けろの合図が飛んできたがスルーだ。
「このお菓子は貴重なものではないのでしょうか?」
突然だったが銀次郎は、ご夫婦でダンスホールに来ていたお客さんから声を掛けられる。
そんな事ないですよと答えたが、今までで一番美味しかったと言ってくれた。
話を聞けば木材を扱う商会を経営していたが、息子が成長して任せられるようになったので引退したご夫婦だった。
仕事一筋で生きてきたので、引退したら何にもやる事が無くなってしまった。
そこで見つけたのが社交ダンス。
夫婦揃って週二回はダンスホールに来ているとの事だった。
夫婦二人で趣味が見つかって良かったですねと伝えると、今日はダンスの他にこの様にみんなでお茶をする機会があって、引退した身としては充実した1日になっていると満足げだった。
「ギンジローちょっと来て」
エルヴィスを放置していたら、さすがに厳しかったのか声がかかる。
「どうしたの?」
エルヴィスの元に行くとこのクッキーとお饅頭は銀次郎が用意したもので、奥様方がもう少し楽しみたいからもっと出して欲しいとお願いされた。
「レイチェルさん、ちょっとお湯を沸かしてきてもいいですか?」
もちろんよとOKをもらったので、銀次郎はお客さん達の分の紅茶とお菓子を用意するのであった。