第四十話 眉毛のお手入れ
いつもの通り起きてから庭に出て顔を洗っていると、セバスチャンが声をかけてきた。
「おはようございますギンジロー様。突然で申し訳ないのですが、本日マインツ家に来ては頂けませんでしょうか?」
突然の申し出に驚いたが、朝市が終わってからで良いとの事なので了承する。
どうやらマインツの虎が呼んでいるらしい。
一気に目が覚めたがソフィアにも会いたかったので、二つ目の鐘が鳴る頃に大聖堂前広場まで迎えに来てもらう様にお願いする。
セバスチャンが朝市まで送ってくれると言ってくれたので、急いでモーニングをたべてハリーと馬車に乗り込む。
あっという間に大聖堂前広場に着くと、セバスチャンにまた後でと伝えて別れる。
そのまま人の少ない奥の方へ行くと、野菜売りのお婆さんとエデルが待っててくれた。
「今日も楽しみじゃわい」
お婆さんは昨日休んだおかげか元気だった。
エデルとは昨日も会ったが、アドバイス通り今日はメロンも持って来ていた。
屋台や長テーブル、ゴミ箱などを出して準備を進める。
もちろんクーラーボックスに板氷と水を入れて氷水も作る。
今日もハリーはお婆さんに捕まって、野菜ステックを作ってる。
恨めしそうにこっちを見ていたが、ハリーの事はスルーしておく。
エデルの屋台には、もう常連さんになった教会の方がマンゴーを買い付けに来ている。
もちろん全部お買い上げだ。
エデルはメロンもどうぞと試食してもらっている。
冷えたメロンは極上の甘さとジューシーさで、見事お買い上げになった。
その後また教会関係者の常連さんが、メロンを追加購入していたので今日も良い売上になっただろう。
もちろん今日も暑かったので、かき氷も売れた。
お婆さんの野菜ステックも、ハリーの活躍によりお昼前には売れ切れになった。
片付けをしてハリーには、お婆さんの息子さんが迎えにくるまで一緒にいてもらう様お願いする。
かき氷の売上の半分と、冷やしたメロンが入ったクーラーボックスを渡す。
これを商業ギルドに持っていって、ミリアとお茶して来なよと言ったら喜んでた。
ちょろいよハリー。
今日も頑張ってくれたから、ご褒美をあげないとね。
みんなと別れて大聖堂前に行くと、セバスチャンが待っていてくれた。
そのまま馬車に乗りマインツ家に向かった。
マインツ家のお城というか家に着くと、すぐさま客室へ通される。
椅子に座って待っていると、マインツ家の虎が部屋に入ってきた。
「今日は急にお呼びしてごめんなさいね。氷菓子の屋台がうまく行ってるって聞いたわよ。他の屋台も手伝ってるって」
どこでそんな話を聞いたのだろう。
肌艶が出会った頃より輝きを増し、五人の子供がいるとは思えないくらい若返った虎が笑顔で挨拶のジャブを打つ。
「えぇ、屋台を通して色々と学ばせてもらっています」
とりあえずジャブをかわして、間合いを取る銀次郎。
それは良かったですわと微笑む虎だが、目は笑っていない。
セバスチャンが紅茶を淹れてくれたので、喉の渇きを潤す。
「今日来てもらったのは、夏祭りの翌日にお茶会をするからギンジローさんにも来て欲しいの」
ジャブで距離を測った虎が、強烈な右ストレートを放ってきた。
「それで私はお茶会で何をお出しすれば宜しいでしょうか?」
銀次郎はお茶会の依頼だと思ったが、そうではなくお茶会への出席だった。
「ところでギンジローさんは、ダンスは踊れるのかしら?」
右ストレートを喰らってヘロヘロになっている所に、今度は左アッパーが炸裂だ。
ダンスを踊った事がないと伝えると、ソフィアに教えてもらいなさいと微笑む虎。
「ねぇギンジローさん、コーエンがお化粧の事で悩んでるみたいなの。少し様子を見てもらえないかしら?」
正直、化粧の事なんて分からないがそんな銀次郎でもなんとなく分かるのは眉毛のお手入れである。
奥様とコーエンさんに少し時間をもらって、眉毛のお手入れセットを購入。
ついでにネットショップからおすすめされた手鏡と、お化粧用のスタンドミラーも購入。
奥様とコーエンさんの待つ部屋に戻り、コーエンさんの眉毛をお手入れしていく。
この世界に鏡はある事はあるが、ここまで綺麗に映る鏡は無いそうだ。
鏡に映る自分の姿に驚いていたが、面倒なのでお手入れを進める。
銀次郎がやった事は、眉毛をカットして整えただけだが、それだけでも印象が変わった。
鏡に映る自分の顔をコーエンさんは嬉しそうに見ている。
それを見た奥様もお手入れをして欲しいと言ってきたので、緊張しながらも眉毛をカットして整える銀次郎。
「眉毛を整えるだけでもだいぶ印象が変わるんですよ」
奥様はそうねと頷き、コーエンさんもそれに同意する。
「これさえやっていれば基本問題ないのですが、人によっては眉毛が薄かったり少ない方がいます。そんな時にこの化粧品を使って、化粧をしていくのです」
今度は化粧品を使って、眉毛を描いていく銀次郎。
眉毛の太さや濃さ、長さによって更に印象が変わるので、そこはコーエンさん頑張って研究して下さいと伝えてこの場は終了。
●● ●● ●● ●● ●● ●● ●● ●● ●●
「この間は屋台に来てくれてありがとう」
濃紺のワンピースに、髪はストレートのソフィアが笑顔で迎えてくれたのでお礼を伝える。
「お母さんのお茶会に誘われたんだって? お母さんがお茶会って珍しいけどダンスも踊るお茶会って何なのかしら?」
聞かれても全く分からない銀次郎。
ダンスを踊った事が無いと伝えるが、すでに聞いていたらしく私が教えてあげるって別室に連れていかれた。
そこにはすでに、セバスチャンが手配していた音楽隊の方が待機している。
ダンスの基本は四拍子、1、2、3、4のリズムでステップを踏むの。
右、左、右、左、1、2、3、4
「そう上手だよギンジロー」
褒められて嬉しかったが、足の運びの練習の後いざソフィアの正面に立って手を取ると、心臓のドキドキが止まらない。
セバスチャンが合図すると、音楽隊の方々の演奏が始まった。
バイオリンの音色は小刻みに刻まれて、まるで馬の足音のようだ。
教えられた通り、右、左、右、左、1、2、3、4と足を運ぶと、ソフィアが合わせてくれる。
最初は足の運びに集中していたが、こっちを見てと小声で言うのでソフィアの方を見る様にした。
足の運びと、すぐ近くにいるソフィアになかなか慣れなかったが、曲の終盤になると銀次郎も落ち着いてきた。
するとソフィアが気づいたようで、優しく微笑んでくれる。
曲が終わってダンスを止めたが、何故だか手が離せない。
「ギンジロー、ねぇギンジローってば」
ハッとして、握っていたソフィアの手を離す。
「ごめん」
「何が?」
ソフィアは気にしていないようだ。
ちょっと休憩するため、椅子に座るとすぐにセバスチャンが紅茶を淹れてくれた。
「ダンスって楽しいね」
「楽しいよね、でもギンジローと踊ったからドキドキしちゃった」
「俺もドキドキしたよ」
たぶんセバスチャンにも、音楽隊の皆さんにも聞こえているけど、ダンスで気分が高揚したのか別に構わないと思った。
「この曲って、皇帝ベッケンバウアー三世の曲だよね?」
「そうね、この国で一番有名な曲だよね」
その後、何回かダンスを踊って今日は解散となった。
明日は別の曲を練習する約束をして、ソフィアとは別れた。