第百八十五話 入場
今日は社交ダンスの発表会だ。
朝早く起きて食堂に行くと、出発前の冒険者達がモーニングをしていた。
パンとサラダとスープの無料モーニングセットを注文。
エデルとハリーはすでに市場に行ってジャム用の果物をルッツに渡して、そのままお得意さんのところへ納品に出かけたようだ。
「ジャム作り頑張ってね。ちなみに昨日のご婦人方にはいくらぐらい貰ってたの? えっ銅貨1枚? パンだけの料金でジャムはサービスか。紅茶付きならいくら出せるか聞いてみなよ。ご婦人方もその方が気楽に来れると思うし」
食後にルッツと話をしているとセバスチャンが迎えに来てくれたので、馬車に乗ってマインツ家へ。
「門番と兵士の皆さん、今日は宜しくお願いします」
声をかけてアンパンとクリームパンを大量に渡しておく。
マインツのお城の中に入ったら、馬車隊の皆様にもアンパンとクリームパンを。
商業ギルドとマインツのお城を往復する馬車と、大聖堂とお城を往復する馬車に箱ごと詰め込んでもらった。
「すげぇ〜」
思わず銀次郎が口にしてしまったが、玄関からダンスホールまで豪華な赤い絨毯と花が飾られており、壁にはマインツ家歴代当主の肖像画が並んでいた。
「ギンジローさんおはようございます」
「ミリアおはよう。準備はどんな感じ?」
商業ギルドには受付と馬車の送迎、開会式と表彰式を手伝ってもらうがすでに準備は完了しているとの事だった。
エミリアはギルド長と同僚を迎えに、一度商業ギルドに戻ったそうだ。
また後でとミリアに伝えダンスホールに入る。
ホール内は魔道具の照明で明るく照らされており、綺麗に整備されたフロアがキラキラと輝いていた。
「おはようございます。準備はどうですか?」
コーエンさんは、問題ございませんとメガネをクイっ。
エルザさんと同じブランドの靴を履き、完璧な仕事でキャリアウーマンみたいだ。
そのままオリバーのいる厨房に行こうとしたら、強制的にエルザさんの元へ連れて行かれる。
「エルザさんおはようございます。レイチェルさんと一緒にお茶してたのですね」
レイチェルさんの旦那さんはマインツ家で文官をしていたので、天国で今何をしているのだろうと話をしていた。
挨拶を済ませて厨房に向かう銀次郎。
「皆さんおはようございます。今回は協力してくれて、本当にありがとうございます」
「なに言ってんだ坊主。オレ達仲間だろ? そんなのいいから早く食材出してくれ」
オリバーに仲間だと認められて嬉しいな。
まずはサンドイッチに使う食パンを出していく。
取り急ぎ必要なのは競技者用の軽食分だが、アイテムボックスから全て出したらとんでもない量になっていた。
食パンは袋に入っているので問題ないが、パンの山が出来ていたよ。
今までに溜め込んでいた牛タンも今日は大量放出。
焼肉用のお肉も取り出して、バーベキューの準備をお願いしておく。
魔道具の冷凍庫には大量のアイスクリームを。
冷蔵庫にはケーキを入れるが、買いすぎたので中に入りきらない。
親方とハリーに業務用冷蔵庫でも作ってもらうかな?
「ギンジローや。こんな服で大丈夫け?」
聞き覚えのある声に振り向くと、野菜屋台のお婆さんとその息子さんが。
畑で収穫した野菜は使用人さんが運んできてくれている。
「お婆さんおはようございます。服装は自由なんで大丈夫ですよ。その服初めて見ましたけどお洒落じゃないですか?」
「そうけ? 息子が買ってくれたかんな。似合うか?」
「似合ってますよー。千年に一度の美女かってぐらいに」
お婆さんは褒められて嬉しくなったのか、ほっぺにチューしようとしてきた。
必死になって抵抗する銀次郎。
「なんでじゃぁ、怒ったかんな」
息子さんがいる前でキスしようとしないで下さいよ。
笑っている息子さんに助けを求めて、なんとか逃げ切ることに成功。
その後は厨房で手伝いをしていると、ハリーとエデルが到着。
二人にお婆さんの手伝いをお願いして、控室へと向かった。
「よぉギンジロー」
控室にエルヴィスが来ていたのでハグで挨拶。
マニーさんのバンドは、別室で最終の打ち合わせをやっているらしい。
エルヴィスから預かっていた荷物を渡して準備をしていると、今日の主役であるダンス教室の生徒さん達がやってきた。
エルヴィスはこれからドレスの着付けなので、銀次郎は生徒さんに挨拶をして受付に戻る。
おっ? エミリアも戻ってきてる。
受付と入場案内が忙しそうだったので、銀次郎も手伝うことに。
レイノルド助祭が受付に現れたけど、あっちは教会関係者の接待? で忙しそうだ。
明らかにお偉いさん達が集まっており、その中心にはヴェルナー司祭とエカード司祭の姿が。
「本日は、社交ダンスの発表会にお越しくださいましてありがとうございます。馬車での送迎の他にエールやワインの提供本当に助かりました」
銀次郎がお礼を伝えると、お偉いさん達全員から握手を求められる。
「メガネをありがとう、ギンジロー殿。景色が……否、人生が変わった。ありがとう」
知らぬ間にお偉いさん達から人気になったようだ。
「なんか圧がすごいんですけど……」
小声でレイノルド助祭に伝える。
「この国の司祭が全員集まっています……全員です……」
何を言っているのか分からないが、レイノルド助祭が大変なことだけは伝わった。
「大変そうですけど頑張ってくださいね」
「ギンジローさん……明後日の孤児達の説明会に司祭全員参加しますので……ギンジローさんも頑張って下さいね……」
明後日に行う説明会に、この国の司祭全員が参加する!?
聞いてないしどう考えても厄介そうなんだけど。
レイノルド助祭は司祭達を連れてダンスホール内に入っていった。
大変なことになったな。
今日は忙しいから発表会が終わってから考えよう。
銀次郎は入場が落ち着くまで手伝ってから、控室に戻るのであった。
「ドキドキするわ」
控室に戻ると、レイチェルさんがドレスに着替えて待機していた。
カールさん夫妻は少し顔つきが硬い。
どうやら緊張しているようだ。
「レイチェルさん、今日は楽しい一日にしましょう。カールさんレーアさん、今日は晴れ舞台ですから楽しみましょ。エルヴィス〜ちょっとこっち来てー」
エルヴィスを呼んでレイチェルさんと二人で立ってもらう。
「少しの間動かないで下さいね〜」
銀次郎はインスタントカメラで二人の写真を撮る。
カシャヴィイイイーンと音が室内に響く。
「次はカールさんとレーアさん。ここに立って動かないで下さい。はい笑ってー」
エルヴィスに手伝ってもらい、競技者カップル全員分の写真を撮り終わる。
これは表彰式のサプライズ用なので、みんなには見せずにセバスチャンに渡した。
さぁレイチェルさんの社交ダンス発表会が始まる。
前室まで移動すると、扉の向こうで音楽が奏でられ始めた。
ゆったりとして優雅な演奏なのに、心臓の音が激しくて自分でも緊張しているのが分かる。
(落ち着け、落ち着け)
気持ちを落ち着かせようとした瞬間に、ダンスホールの扉が開かれた。
扉の向こうには眩しいばかりの照明。
歓声と拍手が波の様に押し寄せ、そして選手のコールが始まった。
「第一組、一番。マインツ第一級学校の名物先生だったパウル。そしてパートナーのアーデルトラウトのペアとなります。お二人の先生に教えてもらった生徒も多いと思います。二人に大きな拍手を」
手を繋ぎ、背筋を伸ばしながらホール中央へと進む最初のペア。
パウル先生、アーデルトラウト先生と掛け声がかかる。
司会進行役のミリアの声は、魔道具の拡声器によってこの騒ぎの中でもはっきりと声が聞こえる。
マインツ家とレイチェルさんの音楽隊、そしてマニーさんのバンドの音楽もよく聞こえる。
「第一組、二番。木材でお馴染みのカール商会のカールとパートナーのレーア。社交ダンスを習ってまだ三年ですが、この歳になっても成長できている事が嬉しいと、奥様のレーアさんはおっしゃっていました。素晴らしいですね。夫婦息の揃ったダンスにご期待下さい」
「第一組、三番……」
無事に三十二組全ての選手入場が終わると、ダンスホール内の照明が落とされた。
音楽も止まり、ざわつくダンスホールの観客。
「それではこれより、第一組目のダンスを開始致します」
司会進行のミリアが宣言し、競技が始まったのであった。