第百八十四話 前日
「ギンジローちゃんおはよー」
いつもより少し遅めの時間に起きた銀次郎は、庭に出て井戸水を頭からかぶる。
だんだんと気温が落ち着いてきたな。
今は過ごしやすいが、マインツは雪が降ると聞いている。
冬になったらどのくらい雪が降るのだろうか?
そんなことを考えながら食堂に行くと、いつもとは少し違う景色が広がっていた。
「今日は女性のお客さんが多いですね」
クラーラさんの笑顔に癒されながらも、この状況を確かめる。
食堂内には見たことのないご婦人グループが三組おり、それぞれ食事を楽しんでいた。
あれはルッツと一緒に作ったジャムだな。
よく見ると黒パンにジャムを塗ってたべている。
なるほどね〜 だからいつもと違うお客さんが来てるんだな。
「ねぇルッツ。今日は俺もパンでジャムも貰おうかな。バターもね。あとせっかくだから紅茶も貰っちゃおーかなー」
喫茶店をやっていた銀次郎の本能が、王道のモーニングセットを激しく求めた。
あっでも王道といったら、ゆでたまご必須か……いや目玉焼きダブルのベーコンか?
ソーセージも捨てがたい。
でもソーセージならスクランブルエッグだな。
ケチャップたっぷりで…… ってまたケチャップか。
なんだかネットショップでケチャップをお取り寄せするのは、負けな気がする。
オリバーの作るトマトソースもうまいけど、ケチャップではない。
ケチャップとトマトソースの違いが分からないが、手軽に自分自身の満足期待度を超えていくケチャップって、実は大物だったのかもしれない。
なくなって初めて気付くありがたさに、銀次郎の頭の中はケチャップでいっぱいになっていた。
「はいギンジローちゃんどうぞ〜 私たちもお腹へっちゃったから賄いをいただくわね」
クラーラさんは厨房内で、トーストした食パンにイチゴジャムをたっぷりでガブリ。
全身でおいしいを表現している姿に、なんだかほっこりとする銀次郎。
ハンツとフランツもよい表情だ。
ルッツはリンゴジャムか?
パンに少量のリンゴジャムをつけている。
「ルッツはリンゴジャム? 量少なくない?」
「ギンジローさん、このジャムの価値を分かっていませんね? ジャムは贅沢なんですから」
ふーん、意外とルッツって倹約家だったんだ。
まだ子供なのに偉いなぁ。
そんなルッツを横目に、銀次郎とクラーラさん、ハンツとフランツはおかわりパンにジャムをたっぷりでガブリ。
やっぱりジャムはたっぷりの方がおいしいよなー
「ルッツ悪いけど紅茶ももらえる?」
口の中の幸せ甘さ成分を流そうと紅茶をお願いすると、カウンター席の後ろ側から鋭い視線をいくつも感じた。
もしこれが戦場だったら、後ろから斬られていただろう。
油断してた……
鋭い視線を送っていたのは、カウンター席に座るご婦人グループだ。
「ギンジローさん砂糖はいらないんですよね?」
「う? うん。ねぇルッツ。あちらのお客さん達も食後に紅茶?」
「違うよ。あの人たちは友達のお母さんと近所の人。ギンジローさんと一緒に作ったジャムをお裾分けしたら、お金を払ってでも食べたいって来てくれたよ」
本当の大物はルッツだったか。
銀次郎は視線に耐えきれなくなり、ご婦人達に一緒に紅茶を飲みませんか? と声を掛ける。
「あら? 紅茶なんて素敵ね。あなたはどうする?」
ご婦人グループ達で話し合いの末、全員紅茶を注文。
ハングリーベアーの紅茶は銀次郎が譲ってるものだ。
今まで紅茶の販売もしていなかったので、今日の所は試飲としてサービスになった。
「紅茶なんていつ以来かしら?」
「えっ、お砂糖まで付いてくるの?」
「贅沢だわ〜」
「ウチの旦那が、いつも果実水のお店に仕事をサボって行くのよ。もしここで毎日紅茶が飲めるのなら、私も息抜きが出来るのに」
「そうなの? ウチの旦那も仕事をサボってばかりで仕方がないのよ。困った人だわ〜」
「ルッツくんありがとねー。こんな優しい子が、うちの娘と結婚してくれたら、おばさん幸せになれそうだわ」
「明日も来て良いかしら? 旦那を送り出したらこの時間自由に出来るし」
「そうね。そうしましょ」
ご婦人グループはそれぞれ紅茶を楽しみ、満足な顔でハングリーベアーを出て行った。
「食事の話と、旦那さんの悪口が止まらなかったね」
今の時間は、二つ目の鐘がそろそろ鳴る頃だから正午前だ。
ハンツとフランツはお昼寝に。
クラーラさんは空き部屋の清掃へ。
バーニーさんは夜の仕込みで、ルッツは食器洗って食堂内の清掃をしている。
「みんな楽しそうでしたね。ギンジローさんまた一緒にジャム作りましょうよ。そろそろなくなっちゃうので」
ルッツからの申し出に、少し考える銀次郎。
「ルッツ、内職しない? 材料はこっちで用意するからジャムを作ってよ。報酬はジャムの現物支給で」
ルッツからOKを貰ったので、砂糖と念の為紅茶セットを渡しておく。
果物はエデルに伝えておくので、明日の朝受け取ってもらう事に。
「それじゃぁルッツよろしくね〜」
手を振って別れた銀次郎は、大聖堂に行ってエデルに果物の注文をする。
明日は社交ダンスの発表会もあるから、大量に果物を仕入れる事になるけど頑張って。
ハリーもいるから大丈夫だろう。
レイノルド助祭に挨拶をして、野菜屋台のお婆さんのところに向かう。
明日のパーティーでは、またあの野菜スティックを作ってもらう。
お婆さんは稼ぐぞといっていたが、屋台販売はしないですからね。
明日はマインツ家の方が迎えに来るので、採れたて野菜で作る野菜スティック期待してますね。
その後はレイチェルさんと会って明日の荷物を受け取り、親方の工房へ向かった。
実はエミリアから社交ダンスの発表会に招待した方が良いと、怒られたんだよね。
パーティーでお酒が呑めますよって伝えたけど、発表会から参加するらしい。
親方ダンスに興味あるのかな?
大聖堂前から無料馬車が出てるから、お弟子さんと一緒に来てくださいね。
商業ギルドに行って、明日はよろしくお願いしますの付け届けをして最後はマニーさんとエルヴィスと合流。
かるく一杯のつもりが結構呑んだな〜。
明日は楽しい一日になりますように。
おやすみなさい。