第一話 異世界生活始めました
眩しい……
これは異世界に来て銀次郎が最初に感じた事だった。
草むらで寝ていた銀次郎は、ゆっくり身体を起こす。
野良猫のアオとの会話は夢だったのかなと思ったが、辺り一面広がる大地に、日本じゃない事が分かる。
喫茶店の制服に革靴で異世界にポツンと一人。
違和感が半端ないが仕方ない。
銀次郎は慢性的な腰痛持ちだったが、身体は軽くキレを感じる。
ふと手の甲を見ると、肌艶が良くなっている。
野良猫のアオが言ってた様に、健康な身体にして若返らせてくれたんだと思った。
健康を手に入れると人はポジティブになる。
店で倒れた事よりも、異世界でどのように生きていくかを考え始める様になった。
異世界に来たらこれでしょ!という事で周りを見渡した後、ステータスオープンと唱える。
何も起きない……
今度は少し大きな声で唱えてみるが、やっぱり何も起きない。
どうやらステータス的なものは見れないのかも知れない。
魔法は使えるのかな?
両手を腰の右側に持っていき、捻り出しながら
か〜○〜は〜○〜波〜と唱えてみた。
が…… またしても何も起きない。
魔法といえばあれかなと思い出し、エクスペクトパト□ーナムと唱えてみたが、やっぱり何も起きない。
うーん、とりあえず魔法は後回しにしとこう。
次にアイテムボックスと思ったら、急に頭の中にリストが浮かんでくる。
食材や飲み物にカップとグラス、その他喫茶店で使用していた備品が中に入っていた。
アオがお気に入りの猫缶も入っていたので、取り出して蓋を開け、またアイテムボックスに入れておく。
すぐに一個猫缶の数が少なくなったので、アオがたべたのだと思う。
お金はあるのかなと考えると、小金貨2枚、銀貨55枚、銅貨75枚のリスト表記がされていた。
確か売上と両替金で八万円程レジの中に入っていたはずなので、それが異世界のお金に変わっているような気がする。
小金貨が一万円で銀貨が千円、銅貨は百円の計算だな。
貯金がどうなったか気になる所ではあったが、考えても分からない。
異世界で無一文じゃないと、ポジティブに考える事にした。
お腹が減ったので何かたべたいと思うと、アイテムボックスの表示画面が食材リストに変わった。
どうやら全体のリストの他に、ある程度の分類に分けることも出来るみたいだ。
さっそく炭酸水とナッツを選ぶと、取り出す事が出来た。
異世界で飲む炭酸水は身体に染み渡る。
これがビールだったら、どうなってしまうのかと一瞬考えたが、ここは日本ではない。
安全が確保されて落ち着いてから、呑もうと決意する。
炭酸水で喉を潤しつつ、ネットショッピングが出来るか試してみると、目の前にタッチパネルのようなものが出てきた。
お腹を満たす為に、銅貨2枚の鮭と明太子のおむすびを購入。
炭酸水とおにぎりはあんまり合わなかったが、お腹を満たす事は出来た。
甘い物もたべたくなったので、こちらも銅貨2枚のいちごみるく飴を購入。
何にもない大地の真ん中でたべる、いちごみるく飴の甘さはとても官能的だった。
アイテムボックスに入っていた銅貨は69枚になっており、ネットショッピングでお金を使うと自動的にアイテムボックスに入っているお金が使われることを確認。
アイテムボックスの機能としては他にゴミ箱があったので、おむすびの袋を入れてみるとゴミとして処分された。
便利だなぁと思いながら、銀次郎は街を目指して歩き始めるのであった。
曲がりくねった山道を登っていくと、頂上に到達。
たぶん三、四十メートル位の高さの山というか丘だが、頂上から見渡す景色はサイコーだ。
大きな岩の上に立って遠くを見ると、うっすら街のようなものが見える。
「よっしゃぁ!」
銀次郎は喜びを抑えきれず岩からジャンプ。
だがしかし着地に失敗。
足首の捻挫である。
これが若さか……
心の中で呟くが完全に銀次郎の不注意だった。
痛さを堪えながら、アイテムボックスの中にあったロックアイスの袋を取り出す。
足首にあてて冷やしてみたが、全く痛みは引かない。
「まいったなぁ」
異世界の丘の上でそう呟く銀次郎であった。
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どのくらい時間が過ぎたのだろう。
遠くから物音が聞こえて来た。
何か来る、どうしようと焦る銀次郎。
ヒヒーンと馬の鳴き声が聞こえた。
銀次郎は痛みのない左足で立ち上がり、遠くを見ると馬車が何台も連なって見えた。
少し怖いけど話をして、馬車で街まで連れて行ってもらおうと待っていると、先頭で馬に乗った兵士が大きくて長い槍のような物を向け威圧する。
「ここで何してる!」
後ろの馬車も止まり、中から数名の兵士も銀次郎に近づいて来る。
遠くでは弓を構えている者もいた。
日本では感じたことのない殺意と緊張感に、声が出ない銀次郎。
距離がだんだんと縮まっていく。
両手をあげて戦う意思がない事を伝えるが、その歩みは止まらない。
背中に嫌な汗が伝うのがわかり恐怖を感じると、騎士の後ろから身なりの良い、若くて綺麗な銀髪ポニーテールの女性と、執事と思われる初老の男性が見えた。
「セバス、武器を下げさせて」
隣にいた初老の男性は合図を出し兵士達の武器を下げさせる。
「怪我してるの?」
銀次郎は恐怖でパニックになっていたが、何とか声を振り絞り答える。
「足首を捻って動けなくなりました」
怪我をした理由は銀次郎のミスだが、綺麗な女性に説明するのも恥ずかしいので、そこは黙って怪我をした事だけを伝える。
まだ若いが、将来とてつもなく美人になるであろうその女性が優しく微笑んだ。
「黒目黒髪は変わってるね。あとそれは何?」
銀次郎はゆっくりと腕を下ろす。
足元に転がっていたロックアイスの袋を破り、中に入っていた氷を見せる。
「怪我したので足首を冷やしてました」
「あなたも氷魔法の使い手なの? まあいいわ。セバス治してあげて」
セバスと言われた執事の男は、袋から小瓶を取り出す。
そして蓋を開けて、中の液体を銀次郎の足に振りかけた。
「痛みは取れましたでしょうか?」
銀次郎は立ち上がり足首を回してみるが、痛みは全くない。
ほんのり足首は温かく、痛みどころか疲労も無くなっていた。
異世界の凄さに感動した銀次郎だったが、まずはお礼を言うのが先だな。
深々とお辞儀をして、感謝の気持ちを伝える。
「あなた変な人ね。でも面白いわ」
これが銀次郎とソフィアの出会いだった。
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銀次郎は今、紅茶を淹れている。
相手はソフィアという美しい貴族のお嬢様と、執事のセバスチャンを相手に。
なぜこうなったかというと、銀次郎についてあれこれ聞かれた際、遠い国を出て旅をしていた。この場所で怪我をしてしまい困っていた。
仕事は喫茶店をやっていたと伝えると、お嬢様が異国の紅茶を飲んでみたいという話になった。
街まで馬車に乗せてもらい、マインツ伯爵家の厨房を貸してもらっているという現在に至る。
マインツ伯爵家の三女ソフィアお嬢様。
野良猫のアオと同じ、綺麗な青い瞳をしている。
貴族ってよく分からないけど、伯爵家って貴族でも上の方なんじゃなかったかな?
そんな事を考えながら、準備を終わらせてソフィアお嬢様の待つ部屋に通してもらった。
紅茶を淹れてクッキーと共にテーブルに置く。
相手は貴族なので毒見が必要かと思ったが、毒があるか見分けるスキルが、執事のセバスチャンにはあるらしい。
ソフィアお嬢様は青い瞳を輝かせながら、紅茶に口をつける。
「ギンジロー、こんな香り高い紅茶は初めてよ。もちろんお世辞とかではなくて本当に。このお砂糖も白くて雑味がなく、紅茶を引き立たせているね」
異世界の人の味覚がわからなかったが、どうやら日本と同じようである。
「ソフィアお嬢様の口に合って良かったです」
するとソフィアお嬢様は口を少し尖らせる。
「ソフィアと呼んでいいよ。私もギンジローって呼んでるんだから」
ふと隣で立っている執事のセバスチャンを見たが、黙って頷くだけだった。
「ねぇギンジロー、五日後にお茶会があるの。私を含めて三人。そこでギンジローの紅茶が飲みたいな」
優しく微笑む姿に少しドキッとした。
「ソフィアお嬢様の頼みでしたら何とでも」
「ソフィア、そう言ったでしょ」
「わかりましたソフィア…… さま」
「ソ・フィ・ア」
「はい、わかりました…… ソフィア」
顎に手をやりこちらを見つめてくる。
「んー硬いなぁ。でも今日のところは許してあげる。後はセバスと話をしてね。ギンジロー楽しかったわ。セバス、ギンジローの泊まる場所はあの場所ね」
そう言ってソフィアはギンジローに手を振り、部屋を出ていくのであった。