第百六十話 しゃぶしゃぶ
「親方いますかー? いますよねー? どうせ出てこないんだから勝手に入りますよー」
親方の工房に着いた銀次郎は、工房に入る呪文を唱えて扉を開ける。
工房内ではアントニオさんが馬車を作っており、親方は他のお弟子さんと一緒に別の仕事をしていた。
「なんじゃ?」
相変わらず無愛想な親方に、この間はマインツのお城で開催したバーベキューに来てくれた事に感謝の気持ちを伝える。
「そんなのは別にいらん。酒はあるのか?」
「ありますけど、今日はお願い事をしにきたから、話を聞いてもらえますか?」
銀次郎の言葉など興味のない親方は、棚からグラスを取り出した。
「呑むか?」
呑むかじゃないよと思ったが、親方が持ってきたグラスは少し色味がかかっているグラスだった。
「こんなグラスありましたっけ?」
「作ったのじゃよコイツでな」
親方は亀甲ボトルを指でコツンと弾いて、ドヤ顔をする。
ボトルを溶かして、自分用のグラスを作ったのだと。
親方らしく少し大きめのストレートグラスだったが、香りを閉じ込めるチューリップ型をしており、呑み口の部分は極限まで薄く作られていた。
「良いグラスですけど、喉がカラっからなんで一杯目はハイボールで良いですか?」
「ハイボールってなんじゃ? 酒か?」
親方には故郷でウイスキーの需要を伸ばす為に作られた、酒精の低いお酒だと説明をする。
「今から作りますんで、これを火で炙っといてもらえます?」
親方に鮭とば界のスーパースターとば次郎を渡すと、これじゃこれじゃと口の中へ。
「ちょっと……」
親方の事を白い目でみるが、早く酒を出せとばかりにこっちを見てくる。
「アントニオさん達はコーラでいいですかね?」
アントニオさんは親方が持っている鮭とばを受け取り、火で炙ってくれた。
銀次郎はアイテムボックスから氷とグラス、それにカクテルセットを取り出して、亀甲ボトルのハイボールを作る。
「プロージット」
右手にハイボールのグラスを持ち、左手は腰に添えるストロングスタイルの銀次郎。
一方の親方は小指を立てて呑む、オールドスタイルで対抗してきた。
銀次郎はハイボールに集中すべく目を閉じ、ゴキュッゴキュッと喉を鳴らしながら液体を流し込む。
炭酸とレモンの酸っぱさが喉を締め付けてきてサイコーだ。
「ぶはぁぁっ。染み渡るぅ」
声を出して力を解放し目を開けると、親方がグラスを突き出しておかわりを要求してくる。
「ハイボールおいしいでしょ? 今度は期間限定の亀甲ボトルのシロで作りますね」
炙った鮭とばを噛んで旨味を口の中に広げた後、ハイボールでキメる銀次郎。
親方がさらにおかわりを要求してきたが、酔っ払う前にお願いをしなきゃ。
「親方また屋台を作ってくれませんか? こんな感じのやつで」
親方に新しい屋台のイメージを伝える銀次郎。
孤児院で使う屋台なので、持ち運びの良さと火を使うので安全性を重視した屋台を依頼する。
「そんなのはすぐに作っちゃるが、スキヤキが食べたいのぅ」
「親方はすき焼き好きですね。でも今日はしゃぶしゃぶにしましょう。そんな気分なんです」
すき焼きは好きだが、今日はしゃぶしゃぶだ。日本にいるときは豚さんのしゃぶしゃぶが多かったけど、今日は牛さんのしゃぶしゃぶだよ。
親方が屋台を作ってくれてる間に、しゃぶしゃぶを準備していた銀次郎だが、大きな失敗に気がつくのであった。
「どうしたんじゃ? 屋台は出来たぞ」
相変わらず仕事が早いなと思いつつ、しゃぶしゃぶが出来ない事を伝える。
「親方に言っても分からないと思いますが、スライサーが動かないんですよ。凍った肉の塊を薄く切りたいのですけどスライサーが動かなくて。包丁じゃ切れないし困ったな」
喫茶店で使っていたスライサーは電動なので、コンセントがないと動かない。
どうしたものかなと悩んでいると、親方が肉の塊を薄く切れば良いんじゃろと言って、細い片手剣を持ってきた。
「わしは料理はできん。これで肉を切れ」
無茶を言うなと思った銀次郎だが、凍った肉の塊に片手剣の刃を入れると、嘘でしょってくらいスーッと肉が切れたのだった。
「親方これ凄くないですか? 力を入れてないのにスーッと切れちゃいましたよ」
「ふん。わしが作ったからな。これで肉が食えるんじゃろ? 早く頼むな」
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「それでは説明をしますね。まずはこのすり鉢に胡麻を入れて、ゴマだれを作ります。ゴリゴリとかき混ぜて下さい」
すり棒とすり鉢を持った親方。
この粒々はなんじゃと騒いでいるが、早く手を動かして欲しい。
銀次郎はゴリゴリやっていくと、胡麻の良い香りがしてきた。
調味料のさしすせそである砂糖、塩、酢、醤油、味噌で味を整えてゴマだれの完成だ。
次に人参と大根をおろして、ポン酢と合わせる。
ゴマだれは濃厚で、ポン酢はさっぱり味なのでお好みでたべて下さいね〜
「では主役のお肉について説明します。皆さんはフォークでお肉を取って鍋の湯にくぐらせて下さい」
「おい。いま湯から取ったそれはなんじゃ?」
「これは昆布といって、いい出汁が出るんですよ。たべてみます?」
ネットショップで取り寄せた利尻昆布を密かに銀次郎は楽しみにしていたのだが、親方に出汁をとった昆布はあげる事にした。
「それでは改めてお肉の説明です。お肉を取って湯にくぐらせます。しゃ〜ぶしゃぶっておいしくなる魔法を唱えて、お肉に少し火が通ったらたべれますよ」
銀次郎はゴマだれ派なので、ゴマだれで肉に喰らいつく。
「うまっ」
A5ランクの松坂さんが育てたお肉。は、口の中でとろけていった。
しゃぶしゃぶは飲み物ですって言ってた人がいたけど、本当だったんだな。
銀次郎がお肉の余韻を味わっていると、親方に邪魔をされる。
「おい。肉を湯に浸ければ良いんじゃな?」
「ちゃんと、しゃ〜ぶしゃぶって言うんですよ。親方駄目ですよ。お肉は一枚ずつですからね」
親方がズルをしてお肉を二枚で攻めていったので、注意する銀次郎。
アントニオさんはポン酢が気に入ったみたいで、お肉、野菜、お肉、野菜と交互に攻めていく。
銀次郎も肉厚の椎茸とエノキをポン酢で攻めると、日本にいた時の事を思い出して何だか急に寂しくなった。
「どうしたのじゃ?」
「故郷はとっても遠いのでもう帰れないと思います。そんな事を考えちゃったらちょっと寂しくなっちゃいまして」
「そうか……」
「なんかすみません。お肉はまだまだありますからたべましょう。親方はウイスキーストレートで良いですか?」
「そうじゃな……」
しゃぶしゃぶをたべながら、商売の話や仲間達が最近王都に行ってしまって寂しい事を話す。
親方はずっと自分の話を聞いてくれていた。
銀次郎の話の後はアントニオさんの馬車がそろそろ出来上がる話や、コーラはいかに素晴らしいかをお弟子さんが語ったりと、楽しい時間を過ごすことができた。
締めには鍋に残った出汁をポン酢と合わせてスープを作る。
もみじをたっぷりと入れた特製のポン酢スープは、とても温かくて優しい味がしたのであった。