第十三話 マインツの虎
「ギンジローさーん。起きてますかー?」
部屋の外から聞こえる声で、目を覚ませた銀次郎。
扉を開けるとそこには宿屋ハングリーベアーの息子ハンツと、その少し後ろにセバスチャンが立っていた。
「おはようございます。どうしましたか?」
するとセバスチャンが深いお辞儀をする。
「銀次郎様、急に押しかけて申し訳ございませんが、本日お時間を頂けないでしょうか?」
その顔を見る限り、ただ事ではない様子だ。
「どうしたんですか? 何があったんですか?」
寝起きなのであまり頭は回らないが、とりあえず何があったのか聞いてみた。
「実は、先日銀次郎様から頂いた化粧品の事で奥様が話がしたいと」
話を聞くとメイド長のコーエンさんのお肌が、基礎化粧品のおかげで潤い肌のプルップルに成ってるらしい。
その変化に気づいた奥様が基礎化粧品の事を知ったと。
しかもソフィアは、奥様にもプレゼントとして基礎化粧品セットを購入したのに、まだ渡していなかったらしい。
セバスチャンが慌てて奥様にプレゼントを渡し、コーエンさん監修の元、昨日の夜に基礎化粧品を使ったのだ。
すると奥様の肌が劇的に変化し、銀次郎と話がしたいと騒ぎになったのであった。
食堂に行って、クラーラさんに用事ができたので賄いは作れないと伝える。
「ギンジローさんいいのよ〜 なんだか大変そうだけど頑張ってね〜」
クラーラさんの笑顔に癒されながら、庭の井戸を使い顔と頭を洗って銀次郎は馬車に乗り込んだのであった。
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「ギンジローごめんね。こんな事になっちゃって」
銀髪のポニーテールを揺らしながら、緑色のワンピース姿で現れたソフィアが謝る。
その後ろには、お肌が潤いプルップルになったメイド長のコーエンさんの姿があった。
もともとお綺麗な方ではあったが、基礎化粧品で潤い肌を取り戻して自信が溢れ出ていた。
控えめなメイド服だが、なんだかコーエンさんが光り輝いて見える。
そのまま応接室に通され椅子に座って少し待っていると、ブロンドヘアーだが目鼻立ちはソフィアに似ている女性が現れた。
「急にお呼びして申し訳ございません。あなたがギンジローさんですね。私はエルザと申します」
そう言って綺麗なお辞儀をする。
たぶん年齢は40代半ばくらいだとは思うが、とても上品でお綺麗な方だった。
「こちらは素晴らしいですわね。コーエンを見た時若返っていてビックリしたの。すぐに聞いたらソフィアから貰ったと。基礎化粧品というのを初めて使ったけど、肌に潤いが出て嬉しくなっちゃった」
ちなみにこの場にソフィアはいない。
母にプレゼントを渡し忘れて、ちょっと気まずいらしい。
話が終わったら紅茶を淹れてねと言って、どっか行ってしまった。
「コーエンさんから聞いたかもしれませんが、本来は基礎化粧品でお肌を整え、もう一つの化粧品で綺麗に魅せていくものなんです。ただ私にその知識はないので、コーエンさんに研究をしてもらっています。そちらを使いこなせるようになれば、今でも十分お美しいですが、もっとお美しくなられると思います」
銀次郎は化粧の事はよく分からないと、ジャブを打った。
これで逃してくれれば良いのだが、女性は美容の事になると甘くない。
エルザ様は微笑みながらも、目は笑っていない。
獲物を捕らえる目をしていて、ゾッとする銀次郎。
「コーエンから聞いたのだけど、ギンジローさんは女性を綺麗にする方法をもっと知っているはずだと。そして私も会ってみて分かったわ。どうしたらその知識を教えてくれるのかしら?」
銀次郎の背中に汗が流れる。
ただ本当に何も知らないので悩んでいると
「ギンジローさんを困らせるつもりはないの。ただこの化粧品というものを知ったら、女性として聞かざるを得ないの。そこは理解してくれるかしらギンジローさん」
少しの沈黙の後
「はい。ただ先ほども申した通り、私には知識がございません。そこはコーエンさんに勉強をしてもらうしか……」
すると顎に手を当て少し考えるエルザ様。
そして微笑む。
「この化粧品は定期的に手に入るのかしら?」
「私が作っているわけではないので、何とも言えませんが、少量でしたらお分けする事はできると思います」
「月にどのくらいの数を?」
「先日ソフィア様に五セットお譲りしましたが、それと同じ数でしたら……」
この場から逃げ出したい銀次郎。
「あらそうなの♪では宜しくね」
「あの〜 お願い事があるのですが」
何とかこの場が収まりそうだったが、今後の事を考えてエルザ様に伝える銀次郎。
「私から化粧品を購入したという事は、内緒にして欲しいです。知識もないのに、他からも化粧品を売ってくれと言われたら困ってしまうので、売るのはエルザ様だけにしたいのです」
そうなの? と不思議がっているエルザ様。
「あとこちらは女性の肌につけるものです。人によっては合わないものもあります。初めて使用する際は、コーエンさんにも伝えましたが、まずは手の甲に少量つけて、何か反応するか確かめてからお使いください。赤くなったり、ぶつぶつが出来た場合は、化粧品は使用しない。こちらの徹底もお願いします」
「だからコーエンも手の甲に最初つけたのね」
大きく頷きながら、話を聞くエルザ様。
「他にも女性を綺麗にさせるものがあれば、教えてくださいねギンジローさん」
充分にお綺麗だと思うが、美容素人の銀次郎でも思いつく事はある。
伝えるべきか迷っている姿を見て、あると確信するエルザ様とコーエンさん。
そしてそれを逃す事もない。
「ギンジローさん?」
「はい。すみません」
「なぜ謝るのかしら?」
「はい…… すみません」
目の前にいるエルザ様が、虎に見える銀次郎であった。