閑話 社交ダンス発表会の予行練習
「ハリーちゃん気をつけてねー」
冒険者に人気の宿ハングリーベアー。
その入り口には豪華な馬車と荷馬車が何台も停まっていた。
「はい。気をつけて行ってきます」
動き始めた馬車を見送りながら、クラーラは旅の無事を祈った。
ハリーを乗せた後、マインツ家の馬車が向かったのはミリアが住む商業ギルドの宿舎だ。
「おはようミリア。その荷物馬車に載せるよ」
「うん。ありがと」
ハリーは荷物を馬車に載せると、右手をゆっくり差し出した。
ミリアは少し頬を赤らめながら、差し出された右手を優しく手に取り馬車に乗り込むのであった。
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「あなた大変。ドレスが入らない」
今日はお城でダンスの練習が開催される。
旦那のカールが昨日持って帰ってきた、柔らかくて甘い牛の乳が入ったパンを食べすぎちゃったみたい。
お腹周りが苦しいレーア。
この間作ったドレスを着てみると、案の定きつくて動けない。
「母ちゃん食べ過ぎて腹が膨れてるな」
「うるさい馬鹿息子。エルヴィスさんに調整してもらいに行くわよ」
「えー。嫌だよー」
嫌がる息子を連れてやってきたのは、噴水広場にある仕立て屋さん。
「もちろん大丈夫ですよ。女性の身体は体調によって毎日変わります。ドレスの調整はあたり前の事ですから、また気になるところがあれば申し付け下さい」
冷静に考えればただの食べ過ぎなのだが、女性を傷つける事はしない金髪のイケメン。
胸元のボタンはざっくりと開いており、引き締まった身体が見え隠れしていた。
「これで大丈夫ですね。私もこの後お城に向かいますので、不具合があれば声を掛けてくださいマダム」
サラサラとした金色の髪が、お辞儀と同時に前に流れる。
その流れた髪をかき上げると、そのイケメンはにっこりと微笑む。
うちのとは全然違う生き物だねぇ。
レーアは頑張れとエールを贈る様に、隣にいる息子の背中をバシッと叩いた。
「母ちゃんなんだよ。痛いって」
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「こんな日が来るなんて夢みたい」
自身が経営するダンスホールで、目を閉じて深呼吸をするレイチェル。
ゆっくり目を開けると、壁に取り付けられている鏡で全身を確認する。
すると天国に行ったはずの夫が、見守ってくれている様に感じた。
「あなた……久しぶりに私と踊ってくれるかしら?」
レイチェルは懐かしむ様にゆっくりと足を運びワルツを踊る。
「あなたはずるい人ね。私だけが老けちゃったわ」
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「今日は早仕舞いなの。明日サービスするから絶対にきてね」
ここは問屋街にある人気の果実水のお店。
今日は出張営業を行うので、一つ目の鐘が鳴った後お店を閉めた。
「こんなにお給金もらってもいいの?」
幼馴染のベティーが小金貨をバッグにしまうと、心配そうに聞いてくる。
「それは領主様からよ。本番はもっと貰えるみたいだし、あなた達の子供は育ち盛りなんだから、貰える時に貰っておきなさい」
「助かるわヴェリーヌ。うちの旦那が最近噂のマインツハンバーグを、一人で食べてきたらしいのよ。家族でじゃなくて一人でよ。ひどいと思わない? 今度の休みにこのお金で、息子とマインツハンバーグ食べて贅沢してくるわ」
「ベティーはまだ食べてなかったの? お肉が柔らかくて美味しいんだから。あれって種類があるらしくて、この間食べたのはお肉の中にチーズが入ってたの。とろけるのよチーズが」
同じ幼馴染のカロリーナは、マインツハンバーグを食べた時の事を思い出す。
「カロリーナが食べたのはチーズインマインツハンバーグね。あれって食堂によって追いチーズが出来るの知ってた? まだだったらそっちも食べてみて」
「そんなのもあるんだ。でもよく考えたら私たち今日はマインツのお城に行くのよね。もしかしたら本家のマインツハンバーグが食べれるのかな?」
「お城に行ったらエミリアちゃんに相談してみたら? エミリアちゃん商業ギルドの現場責任者らしいわよ。何とかしてくれるかもね」
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「ほぇ〜あんたが料理長け? デッカイ身体じゃな。ギンジローからお願いされた野菜持ってきたぞい」
採れたて新鮮野菜を並べると、料理長のオリバーはニンジンの土を手で払いかぶりついた。
「婆さんこのニンジンは味が濃くてうまいな」
「ニッヒッヒそうけそうけ。デッカイの、このダイコンも食べてみ。甘くてうまいぞい」
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「エデル君もう始まってるよ。まだ教会にいても平気なの? 城まで送ろうか?」
「お母さんが転んで怪我したので、お城での手伝いは断りました。この後薬を買って家に帰ります」
「怪我って大丈夫? 骨は? 歩けるの?」
「骨は折れていないと思いますが、腫れが酷いのでしばらくは歩けないと思います」
エデルが清潔な布で皿を拭き上げて棚に置くと、レイノルドはエデルの手を掴む。
「お母さんの怪我を治そう。これでもボクは教会の人間だから回復魔法ぐらい出来るよ」
部下に指示を出して、急いでエデルの家に向かうレイノルドだった。
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「リンダちゃん今日も可愛いね」
お気に入りのリンダちゃんを連れ出す事に成功したマニー。
リンダちゃんとは歌のレッスンを始めたし、今日はデートみたいなもんだろ。
まあデートつってもお城で社交ダンスの練習があってそこで演奏をすると話したら、お城に行きたいってリンダちゃんが言い出したわけだが……
胸元に輝く金色のドラゴンネックレスを手に取り、運気を充電するマニー。
「今日はイケる気がするぜ」
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「商業ギルドからの馬車はこれで最後です」
長年マインツ家の門番を任されているベルントは、後輩から声を掛けられてお昼休憩を取る事に。
ソフィア様と親しい仲のギンジロー様から、最近よく飴玉をもらう。
暑い日には塩味の飴が良いらしいのだが、妻は甘い飴が好きだと話すと、イチゴミルク飴もくれる様になった。
飴を渡してからの妻は最近優しくなった気がする。
食事を取り終えて戻ると、えらく遅れた時間に教会の馬車がやってきた。
「念の為馬車の中を拝見させてもらいます。甘い香りがしますね。美味しそうな果物だ。それではお気をつけて」
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「クーノさん、やっと見つけた」
「えっ? リンダちゃんなんでここにいるの?」
マインツのお城でやっと獲物を見つけたリンダ。
お客のマニーは演奏中なので、太客のクーノを探していたのだ。
「クーノさん全然来てくれないんだもん。会いたくなったから来ちゃった」
胸に手をあてて視線を誘導するリンダ。
「えーこの前も行ったばかりだよ。ボクは毎日でも行きたいけど、妻にバレないようにするのは大変なんだよ」
「今日はお店でクーノさんに買ってもらったドレスを着て待ってるから」
「ほ……本当? 行けたら今日お店に行くよ」
「約束ですよ。クーノさん」
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「ねぇエミリア。あそこにいる人ってエカード司祭じゃない? 隣にはヴェルナー司祭もいるし、王都からわざわざ視察に来たのかしら?」
名簿を見返すがエカード司祭の名前はなく、お忍びで来ているのだと分かったグリゼルダ。
「エミリア少し休憩したら? 裏でお菓子やケーキも食べれるんでしょ」
「ん……そうする。ティラミス食べてくる」
「えっ? ティラミス? あれって本当に凄いのよ。うちの旦那がティラミスを食べた時だけ、私を愛してくれるんだから。エミリアには少し早いかな? あー顔が赤くなってる」
お菓子王子の説明通り、ティラミスには男性の夜の方を強くする効果があり、その効果を強く実感したグリゼルダ。
今日の仕事が終わったらティラミスを分けてもらうように、エミリアにお願いするのであった。
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「レイチェル夫人久しぶりに見たけど、若返ってる気がするんだよなぁ」
領主のレオンハルトは、ダンスフロアを見つめながら隣に座る妻のエルザに投げかける。
「そうね。昔から綺麗な人だったけど今の方が若く見えるわ。不思議よね」
エルザはダンスホールの端で待機している金髪の青年を見つけると、見た事のない靴が並べられているのに気が付く。
「ねぇパパ。あの靴を近くで見たいわ。一緒に来て」
「ダンス用の靴にしては派手だね。いいよ見に行こうか」
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「うるさい。あの背の高いねーちゃんにうまい酒ご馳走してやるからって言われて来ただけじゃ。おい酒はまだか?」
「ん……コレ」
今日はマインツの城に連れ出されたハートマン。
普段なら断るのだが、エミリアの言葉に思わず乗ってしまったのだ。
相変わらず商業ギルドのやつが何か言ってるが、見た事のないボトルに夢中で頭に入ってこない。
「えっと……17年のザスコッチ? ザ・スコッチだったかな?」
エミリアはグラスに琥珀色の液体をストレートで注ぐと、ギンジローから教えてもらった魔法の言葉を発するのであった。
「親方飲んでみな!飛ぶぞ!」