第百三十五話 すき焼き
「お疲れ様でした。まずは冷たいおしぼりをどーぞ」
作業を終えた親方が庭へとやってきた。
おしぼりを受け取ると冷たさに少しビックリしている。
首筋や顔を拭うと気持ち良いですよと教えると、冷たいおしぼりを満喫する親方。
アントニオさん達も庭にやって来たので、同じ様に冷たいおしぼりを渡すと一気に顔が綻んだ。
真夏に火を扱う仕事をしているんだもん。
仕事終わりの冷たいおしぼりなんてサイコーでしょ。
日本流のおもてなしが、異世界でも通用して何だか嬉しい気分になった銀次郎。
今日は贅沢するって決めたから、これで満足してもらっても困るけどね。
七輪を囲んで男だけでの晩餐が、いま始まるのであった。
「みなさんにはコーラを出しますね〜」
アントニオさん達あまりお酒を呑まないので、グラスに氷とレモンを入れてコーラを注ぐ。
しゅわしゅわと泡の弾ける音で喉がゴクリと鳴ったけど、我慢をして親方と自分のお酒を作り始める。
クーラーボックスに仕込んでおいた亀甲ガラスのウイスキーを取り出し、底が厚く心地良い重さのオールド・ファッションド・グラスに氷を入れる。
「親方、今日のウイスキーはこの魔法の氷で凍らせています。香りは閉じこもりますが、暑い日にはこの呑み方もおいしいんですよ」
本当ならばハイボールにする方が夏っぽくて良いのかもしれないが、親方はいつもロックだ。
ソフィアに作ってもらった魔法の氷をクーラーボックスに入れて、極限まで冷やしたウイスキーで今日は呑る。
「プロージット!!」
アントニオさんが乾杯の音頭を取ると、親方はすぐにグラスを呑み干しおかわりを要求してきた。
クーラーボックスにあるんだから勝手にやって下さいと伝えると、グラスにウイスキーを並々と注ぐ。
嬉しそうにウイスキーを注いでいる顔を見ると、何だか憎めないんだよな。
普段は無愛想なのに、こんな時だけ笑顔を見せる親方が大好きな銀次郎。
七輪の上に鉄鍋を置き、牛脂で表面を馴染ませていく。
「今からお肉を焼いていきますので、皆さんは玉子を割ってかき混ぜておいて下さい。一応クリーンの魔法は掛けましたけど、気になる人は自分で掛け直して下さいね」
生玉子をたべる習慣が無いので戸惑うかと思ったが、素直に玉子を割ってフォークでかき混ぜていく。
「親方……殻が入ってますから取った方が良いですよ」
人間国宝なんて呼ばれている親方も、中身は玉子もちゃんと割れない人なんだなと思うと、何だかほっこりとしてきた。
ちなみにこの後で酔っ払った銀次郎が揶揄うと、親方は本気で悔しがったのだった。
「なんじゃその薄い肉は?」
親方が聞いてきたのは、すき焼き用のお肉だ。
透明なシートに一枚ずつ包まれている高級肉だが、異世界では薄切りのお肉は珍しい。
説明するのがめんどくさいので、まぁ待ってて下さいといなしておく。
用意したお肉はKOBEの霜降りだ。
もちろん最高級A5ランクである。
ちなみに銀次郎が日本にいた時に、こんなお肉をたべた事はない。
菜箸でお肉をとって焼いていくと、親方からは器用に二本の木を使うのだなと言われた。
銀次郎は久しぶりに持つ菜箸を問題なく動かせる自分に、やっぱり日本人なんだと異世界に来て改めて思うのであった。
「ジジジ」
「ジュジュジュジュ」
脂がとけ出して肉色がつき始めたので、お肉を裏返しにする。
すぐさま砂糖をこれでもかと乗っけて、醤油を垂らす。
「ジュワ〜」
あ〜醤油の香りだ。
すぐに取り出して、それぞれの器にお肉を取り分けていく。
「すき焼きです。生玉子を絡めてたべて下さい。みんなの口に合うと良いんですけど」
アントニオさん達は、フォークでお肉を刺して生玉子を絡ませていく。
そして口に入れると、美味しいと言ってくれた。
親方を見ると幸せそうな顔をしていたのだが……
「どうしました?」
銀次郎が親方に聞くと
「口の中の肉を奪ったな」
どうやら高級なお肉すぎて、口の中で溶けてなくなったらしい。
もう一枚焼くとすぐに口の中からなくなる。
仕方なくもう一枚お肉を焼くが、それもすぐに無くなりチワワのように見つめてくる親方。
「いや親方のお肉はもうないですよ。あとはうちらの分だけですから」
「もう一枚……」
「ダメです」
「あの〜ギンジローさん。私のお肉を親方に焼いてもらっても」
「アントニオさんが言うなら仕方がないですね。人のお肉をもらうなら、なにか対価を出して下さい」
他のお弟子さんも親方にお肉を分けると申し出たので、対価として親方がお弟子さん三人に対して仕事道具のハンマーをプレゼントする事になった。
なんとなくチャンスっぽかったので、銀次郎はソフィアが作った溶けない氷を使って、冷蔵庫と冷凍庫を作ってくれないかお願いする。
どんな物なのかを説明すると、作っても良いが二つなので肉も二枚だなと、銀次郎分のお肉残り二枚を要求されてしまった。
「お肉一枚で二つ」
「いや、一つ肉一枚じゃ」
後で冷静に考えたら、お肉で冷凍庫と冷蔵庫を作ってもらえるなら安いもんなのだが、たぶんウイスキーで酔いが回っていたのかもしれない。
とにかく親方にお肉を全てたべられるのが嫌だった銀次郎は必死になって抵抗した。
結局アントニオさんがもう一枚のお肉を親方に提供し、銀次郎はアントニオさんに今度対価を払う事で話が落ち着いたのだった。




