払鬼蘭
展望台から戻りました。騎士はテントを張り終え火を起こしているところでした。
ダムを眺めます。土砂崩れの堆積物が展望台で見たよりもはっきりと生々しく見えます。土と岩と木がごちゃ混ぜに重なり合っている物。コレを押し流したら下流の建物まで流れてしまうのでしょうか?
同胞を逃がすと婆さんは言っていました。なら工場で働く人たちは流されませんよね。でも蟻の集団のように見えた兵士達。あの人達は逃げないでしょう。大勢いました。100人くらい?1000人くらい?
体を鍛えている兵隊さんなら濁流の中でも泳ぎ切るでしょうか?なすすべもなく押し寄せる岩にぶつかって粉々になるのでしょうか?考えていたら怖くなって震えてきました。
今まで殺されるかもしれないと恐怖したことは何度もありました。でも自分が殺す側になるなんて考えたこともなくて。ダムを決壊させたら私は人殺しになるのでしょうか?
でもでも、帝国兵の足を止めなければ山脈を超えて王国に行くのでしょう。山を越えて最初にある集落はスイバ村です。私を診てくれたお医者様。人の好いおじさんやおばさん。食事を運んでくれた娘さん。面白がって石を投げてきた子ども達。
あの人たちが真っ先に襲われるのでしょうか?殺されるのでしょうか?村は焼かれるのでしょうか?
更に進軍したら?カンランはスイバ村から二日です。孤児院も襲われる?子ども達の笑顔が頭に浮かびます。
私は頭を抱えて蹲りました。
「おいおい大丈夫か?どうしたんだ?」
マイクの手を背中に感じました。掌の温もりが熱いくらいに伝わってきます。
「体冷たいぞ。冷えたのか?たき火の近くに行こうぜ」
マイクに抱えられるようにして立ち上がります。その時耳元でマイクが囁きました
「こいつらのいう事なんか聞かなくてもいいんだぞ。逃げるなら付き合う」
顔を上げるとマイクの顔が近くにありました。本気のようです。
『逃げたい』
でも何処へ?今逃げたら逃亡者になって王国にいられなくなるでしょう。王都から追われた時の不安を思い出します。あの時のような不安をもう一度抱えるのは辛いです。それをマイクにまで負わせるのは嫌です。
『「行ってきます」
「道中気を付けるのですよ」
「行ってらっしゃい」
「お土産は肉ねー」
「セイラー気を付けてねー」』
修道院の皆の事を思い出しました。私はあそこに帰るのです。約束しました。お土産を持って帰るって。
私はマイクに向けて頭を振りました
「ごめん。ちょっと寒くなっただけ。火にあたらせて」
ほぼ抱き上げられるようにしてたき火の近くに移動し地面に座りました。地面には周囲の藪を刈りはらった時にでた草の束が敷き詰めてありました。ちょうど手元にあった大きな葉っぱを手に取りました。マイクが隣に座ります。
「ああそれ、払鬼蘭だな。魔物除けの材料になる草。高く売れるかな。この辺りでしか育たないから払鬼蘭の採集依頼はカンランの組合に入って来ないけど。王国に持って帰ると密輸になるかな?」
「止めてくださいね。業務遂行中の泥棒は」
話を聞いていたらしいガーネット様がマイクに注意してきました。払鬼蘭の話ですよね。囁きは聞こえていませんように。
払鬼蘭を手にすると婆さんがひっきりなしにしゃべっていた話を思い出しました。移動中の馬車の中での話です。相変わらず一方的に話を聞かされていたのです。
帝国軍がモンステラ族に襲い掛かってきた時の事。集落を軒並み焼かれた事。住民が奴隷のような扱いで連れて去られた事。命からがら逃げたこと。魔物に襲われた事。払鬼蘭の群生地に逃げ込んだ者だけが生き残れたこと。払鬼蘭の群生地には魔物が寄り付かないこと。帝国軍が工場を作ったこと。払鬼蘭の採集をするために山に来る帝国軍から逃げ回ったこと。食料が無くて里に下りて調達したこと。
ここまで思い出してハタと気が付きました。里に下りて食料を調達って・・・盗賊をしたってことですよね。なんとまあ、役人のガーネット様の前で堂々と言ったものです。
帝国軍が払鬼蘭の栽培を成功させ、ようやく逃げ続ける生活が終わったこと。こっそり集落を作って隠れ住んでいること。こっそり魔物除けを作り王国に密輸を始めたこと。
婆さんに惑わされたくなくて耳を塞いで聞かないようにしていたつもりでした。それなのにすっかり頭に入っています。
王国はモンステラ族の集落から魔物除けを密輸入しています。だから盗賊の頭と知っているのに婆さんを捕まえることをしないのです。でもあの婆さんの話です。何処までが本当なのかわかりません。口先だけで言い包め詐欺のようなことを平気で行う人ですから。
私は指先でクルクルと払鬼蘭の葉を弄びました。
私は帰りたい。シスターテレサの笑顔のある場所に。子ども達がまとわりついてくる場所に。マイクが肉を抱えてやってくるあの場所に。皆でお茶を飲むあの食堂に。
空を見上げます。加護精霊が二体。フワフワと浮いています。
『雲を運んできて』
魔法を望むといつものように加護精霊の声が聞こえます。
ダムの上に雲が重なり静かに雨が降り始めました。




