司祭
時間がちょっと遡ります。
「本日は、急な面会であったにもかかわらず時間を頂きましたこと恐悦至極に存じます」
レオニ司祭は頭を深々と下げて挨拶をした。王城を訪問するのにふさわしい白地に水色の刺繍が施された上等な司祭服を着用している。彼はにこやかで優し気な顔立ちと深みのある良い声で仲間内でも評判が良い。
「堅苦しい挨拶はいらないですよ。レオニ先生」
部屋の主である王太子は書類をさばく手を止めることなくそう言った。
「礼儀でございますから」
レオニ司祭はにこやかに言葉を返す。深みのある良い声で。
「司祭様、殿下が一区切りつくまでソファーに掛けてお待ちください。ただいまお茶を用意しましょう」
側近の若者が勧めてくれた長椅子に腰をかけ背筋を伸ばし両手を揃え軽く目を瞑り王太子が準備できるまで何も言わずに待っていた。しばらくすると前の椅子に腰を下ろす気配がした。目を開けると白いシャツに海老茶色のトラウザーズを履いた王太子が足を組んで座っていた。タイを外し、短い金色の髪はやや乱れ、切れ長の青い目は充血している。
「僭越ながら申し上げますがお疲れでいらっしゃるご様子。よろしければ回復魔法を…」
「いつもの調子で話してくださって構いませんよ。先生。回復魔法も不要です」
「既に教師の職は辞しております。それに、今は王太子の色をお召しになっておられます」
「この部屋に煩く言うものは居ません。いじめないでください」
王族にはそれぞれを象徴する色があって王太子の色は海老茶色と定まっている。公務中は決められた色を身に着けなければならない。現在海老茶色を纏っている王太子は当然公務中。だからそれにふさわしい態度でなければならないはずだ。
「眉目秀麗、文武両道、天才児と言われた殿下が情けないことです。御髪が乱れています。シャツもシワになっています。タイはどうしたのですか?」
「子どもの頃に天才と囃されていた者など大人社会にはゴロゴロ存在しています。今の私は一人前の仕事もさばけないひよっこです」
「まったくそのとおりに存じます」
「少しくらいは優しくしてください。ところで用件を教えてもらえますか?」
かつての師であった司祭が説教をしに来たのかと煩く感じた王太子は話題を変えようとした。
「セイラ嬢が教会に来ました。水の魔法を使いましたよ」
堅苦しい態度から一転、前置きもなくストレートに用件をぶち込んできた司祭に対し王太子は頬を引きつらせた。一呼吸おいてから口を開く。
「昨日の報告書にも同じような記述がありました。商人からの問い合わせがあったとの報告でしたが、彼女が洗浄の魔法を使ったと。魔道具でも使ったのだと思いました」
「魔道具を手に入れる術など無いのでは?本人の魔法によるものです」
「彼女の加護は火の神です。水の女神ではない。別人では?」
「加護を調べました。本人です。火の神の加護を失い水の女神の加護を得ていました。それよりもお尋ねしたいことがあります。セイラ嬢の髪の色は何時から赤でなくなったのですか?記憶も失っていました。教会の誰に対しても初対面のように挨拶していていましたよ。ショックでしたね。こんな風になるまでに 何か気が付くことがあったのでは?異変に気が付いた者がいれば直接話を聞きたいと思いまして」
「髪の色?加護を失う?記憶?」
王太子は驚いたように目を見開いた。
「殿下が一番近いところにおられたはずだと思っていましたが?」
司祭は静かに聞き返した。
「申し上げたく存じます。差し出がましいことをお許しください」
側近の若者が紅茶のカップをテーブルに置いてから声をかけた
「許す。何か知っていたのか?」
王太子の返事に側近は姿勢を正しゆっくりとした口調で話し始めた
「髪の色が変わり始めたのは小火の後と思われます。小火の翌日セイラ嬢担当の侍女から洗髪液を変えたのかと問い合わせを受けました。髪の色が抜けてしまうから前の洗髪液に戻してほしいと。髪の色については令嬢よりも侍女が気にしていたようです。背に垂らしていた髪を固く結上げリボンを付けて髪色が目立たないようにしたと話していました」
「その小火のことを詳しくお尋ねしたいのですが」
「それは…」
側近は王太子の方にチラリと視線を投げ口を閉じた。代わりに王太子本人が返事をする
「小火については調査中だ。今の時点では何も言えない」
「そうですか。仕方がありません。ところでセイラ嬢は加護精霊と対話できたと考えているのですが、ご存じですか?ジョージ殿下」
「加護精霊との対話など神話の話ではないか!」
思いがけない話の転換に王太子は声を大きくする。
「そんなことはありません。ある程度の魔力を持っていれば自分の加護精霊に限ってですが、視認することや声を聴くことが可能になります」
「馬鹿な、そんなことが実際にあるなど聞いたことがない」
「『政に係わるものは不確かな存在に耳を傾けるべきではない』王族はそう教えられているはずですがね。それはかつて加護精霊の言葉に振り回され国を乱した王が居たからですよ。少なくとも教会ではそのように伝えられています」
ジョージ王太子はぐったりとソファーに寄り掛かった。そして頭痛を耐えるようにこめかみを押さえた。
「人ではないものと対話している可能性など考えたこともない。だが、そうであったとすれば、あれは私に向けた言葉ではではなかったのか?焦点の合わないおかしな目つきで私を見るから腹立たしくなって。ならば私は勘違いをしていたのか?」
王太子の声はささやきのように小さなものだった。
「誤解があってもなくても彼女は王太子妃候補ではいられなかった。精霊の声が聞こえる者を王家に迎えるわけにいきませんからね。もっとも最大の原因は養父であるはずのドルマン・パトリック子爵が存在していないという事実。架空の人物にうっかり爵位を与えてしまったという王宮の誤りを隠すためセイラを王宮から出したのでしょう?責任を彼女に擦り付けて」
「そんなことは!」
語気を強める王太子。それに合わせるように側近が司祭に対して警戒態勢をとった。
「まあ、まて。侮辱された訳ではない」
王太子は片手を上げて側近を制した
「子爵の件は私だっておかしいと思っている。爵位は陛下と相対する形で賜るものだ。だが陛下も宰相もドルマンの顔を知らないなどと言っていた。養女の申請は家長自らが行わなければならないはずなのに王宮内のどの局でもドルマンを知っている者がいない。ドルマンは騎士団所属になっていて給与が支払われている。だが騎士団には彼が勤務した形跡がない。養女のセイラが父親の存在をでっち上げ王宮の権威を不当に貶めるなど出来るはずがない。どう考えてもおかしい判決を下している。ところが裁判記録も見当たらない。何がどうなっているのだろうかと今まで調べていたのだよ」
ジョージ王太子は疲れた様子でそう言った。
もう一話、今日中に投稿したいと思っています




