ノビル村
馬車の速度が落ちました。
「着いたのかしら」
前の席のお母さんが窓の外を見ながらつぶやきました。
「見せて、ボクにも」
子どもが母親にすがって声を上げました。馬車がゆっくりと止まり扉が外側から開きました。
「ノビル村到着です。馬を替える間休憩します。村内で自由にしていただいて構いませんが出発の合図が聞こえる範囲で行動してください」
案内があり馬車から降ります。ずっと座っていたので体が固まってしまいました。背伸びをしながら景色を眺めます。村の周りは低い木の柵で囲われ、畑と草原が広がっています。柵の周辺には雑草が白い小花を咲かせ風に揺れていました。柵に近寄って小花を観察します。ノヂシャという名の草だったと思い出しました。とても懐かしい気持ちがします。何故なのかよくわかりません。
伸びをしたり屈伸したりと体を動かしていると菫色の服のお姉さんがスタスタと村の中へ入っていきました。木戸のところで身分証を見せています。なるほど。村内に入るには身分証が必要なようです。
子どもとお母さんが顔パスで木戸を通過しました。子どもは「とーさーん」と言いながら男性のところに走っていきます。どうやら二人はノビルの村人だったようです。
きょろきょろしていると護衛の女性が声をかけてきました。
「トイレをお探しでしたら厩の隣にありますよ。少し臭いますけどね。きれいなトイレは村の中まで行けば借りられます」
トイレを探していると思われたようです。確かに借りたほうがよさそうですね。厩の隣に行ってみますと、かなり臭います。
こんな時こそ洗浄ですよ
《あらあら不思議。体の中から水が湧き出してトイレの中についていた汚れと一緒にバシャンと下まで落っこちました。そしてたちまち乾いてしまいました。》
例によって精霊の声が聞こえます。その後ですっきりさっぱり用事を済ませました。
木戸の辺りで売り子の声がします。昼食用の弁当やスープを売っているようです。売り子は村民の方々なのでしょう。服装がダース商会で購入した例の衣類に近くて親しみを感じてしまいました。携帯食は持っているのですがお弁当も気になって買ってしまいました。一つ銅貨30枚でした。中身はお肉と野菜を挟んだ黒いパンでした。売り子が菓子のようなものも勧めてきます。
「乾燥スライムはいかがですか。ノビル村名物乾燥スライム。一袋銅貨5枚。美味しいですよ」
「えっとスライムって食べられるのですか?」
思わず聞いてしまいました。
「食用に育てているので美味しいですよ。試食してみてください」
黄色くて半透明な飴玉くらいの大きさの物を差し出されたので、受け取って恐る恐る口に入れてみました。甘酸っぱい柑橘系の味と香りがします。クラゲのようなキノコのようなニュルリとしてコリコリした食感です。勧められるまま一袋買いました。
お弁当と乾燥スライムを抱えて馬車の近くに戻ると乗客や護衛の人々が食事を摂っていました。簡素な椅子がいくつか置いてあります。空いている一つを借りて私もお弁当を食べました。食後のおやつに乾燥スライムを口に入れコリコリコリコリ。これ癖になりますね。もう一袋買ってこようかな。
少し離れたところで護衛の女性が何かをやっています。女性の側には服を汚して顔色の悪い男性が座っていました。車酔いでもしたのでしょうか。
「洗浄」
女性が唱えると男性の頭の上に水球が現れザバッと降り注ぎます。
「治療」
再び女性が唱えると別の水球が現れ男性の頭の上から足の先までゆっくりと滑っていきました。男性は水浸しです。でも顔色は良くなったみたいです。護衛の男性が椅子から立ち上がり水浸しの男性に向かって
「乾燥」
と唱えました。つむじ風が起きて水浸しの男性は乾きました。
精霊の声は聞こえてきません。あれは魔法を使った人にしか聞こえないのですね。
治療の魔法ですが何となく私にも使えそうな気がします。機会があったら確認してみたいです。
ところで、洗浄と乾燥は別々に使う魔法だったようです。乾燥まで含めて洗浄の魔法だと思っていました。私の加護は水の女神と風の精霊の二つでした。だからセットで使えたのかもしれません。
騒々しい声が聞こえてきました。お婆さんが菓子のようなものを配っています。同じ馬車に乗り合わせたおしゃべりなお婆さんです。
「まあまあ遠慮しなさんな。あたしの故郷ではこうして振舞って食べてもらうのが決まりだよ」
乗客に手渡したり御者の人に押し付けたり。護衛の皆さんは断っていましたが最後には受け取りました。あのお婆さんに勝てそうな人はそうそういないと思います。菫色の服のお姉さんは嫌がっていましたが口に押し込まれたようです。気の毒に。
私にも配ってくれました。これは赤い色の乾燥スライムでしょうか?
「さあさあ食べて」
と勧められましたが黄色の乾燥スライムを食べている途中だったのでこれはおやつに取っておきましょう。
休憩が終わり馬車に乗り込みます。親子がノビル村で降りてしまったので同じ馬車の乗客は三人です。菫色の服のお姉さんは早々に目を瞑ってしまいました。客室が広く使えるようになったので足を組んでも大丈夫そうです。お婆さんは三人掛けの椅子を広々と一人で使っています。体を丸めて横になって寝ていくつもりのようですね。静かにしてくれるならありがたいです。
窓の外を見ると護衛の男性が一人馬車の屋根に登っていくのが見えました。午前中も頭の上に護衛の人が居たのでしょうか?気が付きませんでした。
座ったまま同じ姿勢でいるのが辛くなりました。背中や腰が痛むのでカバンの中に座布団にしていたスカートを詰め込みクッション代わりに抱きかかえてみました。前かがみになって背中を浮かせます。少し楽になったようです。馬車はガタゴトと揺れます。日差しが温かくて柔らかくてお腹が一杯で眠くなりました。ウトウトとしていると不意に馬車が止まります。
「襲撃だ!」
頭の上から護衛の声が聞こえました。
びっくりして目を見開きます。向かいの席のお婆さんが跳び起きて風の刃で天井を切り裂きました。天井からぼたぼたと血の雫が落ちてきます。そしてドサリと音がしました。




