第三話 「"レベル0"と失われた魔術」
俺たちを囲んでいるのは、ランクA指定の魔獣【シャドウ・ウルフ】。
こいつらはただの獣じゃない。高い魔力容量と鋭い牙による俊敏な攻撃、さらに遠距離からの闇属性魔術をも操る、ダンジョンでも厄介な存在だ。
奴らの鋭い瞳が暗闇の中で光り、獰猛な唸り声が静寂を切り裂く。四方から睨まれているこの状況――正直、逃げ出したい気分だ。
「おいイム……本当に、俺は魔術を使えるようになったんだよな?」
俺の声には少しだけ震えが混じっていた。そりゃそうだ。人生で一度も魔術を使ったことがない人間が、いきなりこんな修羅場に放り込まれたら誰だってビビる。
だが、隣の赤髪の少女――大精霊イムは、そんな俺の不安を気にも留めず、ニヤリと笑う。
「もちろん! 大精霊イムの契約魔術を甘く見ないでね?」
彼女の自信満々な態度に、少しだけ気持ちが落ち着いた。……大精霊ってのは、こんな状況でも余裕なんだな。
「……なら、やるしかねぇか」
深呼吸して、俺は【シャドウ・ウルフ】の群れに手をかざした。
体内の魔力がざわめくのを感じる――いや、これが魔力なのか?温かい何かが、身体の奥底から湧き上がる感覚。だが、その流れは不安定で、まるで暴れ馬を無理やり手綱で抑えているようだ。
「お、おい……魔力ってどうやって安定させるんだ?」
「感覚で!」
「感覚でって何だよッ!」
焦る俺をよそに、イムはケラケラと笑っている。
だが、【シャドウ・ウルフ】たちはこちらの隙を見逃さない。獰猛な牙を剥き出しにし、今にも襲いかかってきそうだ。
……やるしかない。
「《漆黒の……炎弾……》よ?」
恐る恐る詠唱する。だが、言葉に迷いが出た瞬間、魔力の流れが乱れた。
――バチッ!
掌の中で何かが弾ける音がした。強烈な熱と衝撃が指先を走り抜け、思わず顔をしかめる。
魔術は発動しなかった。
「いてて……くそ、どうすれば……!」
「フェイ!もっと魔力を“流す”感覚を意識して!貯めるんじゃなくて、自然に流れるままに!」
イムの声が飛んでくる。貯めるんじゃなくて、流す……?
もう一度深呼吸し、頭の中でイメージを膨らませる。水のように魔力を循環させ、スムーズに指先へと送り出す感覚――。
「《漆黒の……炎弾》!」
再び詠唱。今度は、魔力がスムーズに指先に集まっていくのがわかる。掌が熱を帯び、空気が震えた。
だが――まだ何かが足りない。
「くっ……!」
魔術の構成が不完全だったのか、炎弾は放たれる直前で消滅した。冷や汗が額を伝う。体力と魔力が削られていくのがわかる。
「もう少し……!」
それでも俺は諦めなかった。何度も何度もイメージを修正し、魔力の流れを調整する。詠唱の言葉に魂を込め、魔術の形を頭の中で明確に描く。
――そして。
「《漆黒の炎弾》ッ!」
三度目の詠唱。今度は完璧だ。
俺の掌から放たれたのは、深淵のように漆黒の炎弾。それは夜の闇を切り裂き、一直線に【シャドウ・ウルフ】の群れへと突き進んだ。
――ドォォォォォンッ!!
轟音とともに、群れは漆黒の業火に包まれた。灼熱の爆風が吹き荒れ、地面が裂け、砂塵が舞い上がる。
しばらくして煙が晴れると、そこには焦げた地面だけが残り、【シャドウ・ウルフ】たちの姿は跡形もなく消えていた。
「……おお、これが……魔術か。」
18年間、一度も使えなかった魔術。それが今、俺の手の中で形となり、世界を変えた瞬間だった。胸の奥に熱い達成感が込み上げ、思わず拳を握りしめた。
「ね? 使えたでしょ?」
イムが満面の笑みで近づいてきた。
俺は肩で息をしながらも、余裕の笑みを返す。
「……悪くないな。魔術を使えるってのも。」
「それにしてもすごいね。いきなり『二属性魔術混成』を使うなんて!」
「二属性……?」
イムの言葉に眉をひそめる。確かに、さっきの炎は普通の火じゃなかった。漆黒の色――つまり、闇と火の混成魔術。でも、それが特別なことだとは知らなかった。
「今の魔術師たちは誰もそんなの使えないよ。そんな高等魔術、もう忘れられてるからね。」
「……俺が特別ってことか?」
「もちろん! クレアの血が流れてる最後の一人なんだから!」
イムの言葉が胸に響く。
俺には魔女の血が流れている――そして、その力が目覚め始めている。
だが、その時だった。
「……ん?」
微かな魔力の気配が背後から迫ってくる。俺は素早く振り向いた。
そこには、先ほどの【シャドウ・ウルフ】よりも一回り以上大きな個体が、こちらを鋭く睨んでいた。その身体から放たれる魔力の圧は、さっきの群れとは比べ物にならない。
「グルルル……ガァッッ!」
次の瞬間、そいつは唸り声とともに闇魔術・中級【シャドウ・ブレス】を放ってきた。漆黒の波動が猛スピードで俺に迫る。
――だが、もう怖くはなかった。
「……遅いな。」
俺は余裕の笑みを浮かべ、指をパチンと鳴らした。
その瞬間、闇の波動は俺の目の前で弾け飛び、霧散した。
「この程度の魔獣なら、この程度の魔力放出で十分だな……反魔術を使うまでもない」
契約してからわずかな時間で、俺は魔術を自然に使いこなせるようになっていた。この感覚――まるで昔から魔術が俺の一部だったかのように。
だが、戦いは終わっていない。
【シャドウ・ウルフ】は魔術を無効化されたことに怯え、距離を取ってこちらの様子を伺っている。震えるその姿を見て、俺はにやりと笑った。
「どうした? 怖じ気づいたか? ……ちょうどいい。食べ盛りな妹が待ってるからな。今日の晩・御・飯・になってもらうぞッ!」
再び指を鳴らす。
火魔術・初級【フレイム】――だが、俺は魔力を緻密に制御し、炎の温度と範囲を調整する。焦がしすぎず、旨味を閉じ込めるようにじっくりと焼き上げる。
「グォォォォォ……!」
【シャドウ・ウルフ】の悲鳴が静寂の中に響き、やがて沈黙が訪れた。
「……さて、帰るか。」
「おっけー! 《転移》!」
イムが軽やかに転移魔術を発動し、俺たちは一瞬で帰宅した。
「お前、家で暮らす気か?」
「うん! だって契約者だからね!」
「まじかよ……あっ!」
呆れながらも、ふと大事なことに気づく。
「……明日からの仕事、どうしよう……」