[1,051文字]少年誌の悪役
描き上がらない原稿を前に、湿布を貼りながら瞑想に耽る。
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少年だった私達は、友情とか努力とか勝利とか愛とか絆とか道徳とか、そういった正義を無邪気に信じていた。
私も無邪気であった。
社会は、無邪気さに水を差した。
社会は、少年のランチプレートに、正義が悪に屈する瞬間を、正義が悪に、悪が正義になる瞬間を、正義が正義を喰う瞬間をこんもりと盛り付けた。
社会は、少年に矛盾を差した。
青年になった私達は、正義の矛盾への対処を求められた。
矛盾と闘う者、矛盾に目を覆う者、矛盾から逃げる者、矛盾だと気付かないフリをする者、人によって対処の仕方は分かれた。
私は、矛盾を表現する者になった。
大人である私達は、正義の矛盾について語らない。
語っても無意味だと知っているからだ。
人類が誕生してからその矛盾は解決されておらず、人類が滅びるまで解決することはない。
ソクラテスも、孔子も、キルケゴールも、ベーコンも、ウィトゲンシュタインも、ベンサムも、誰1人として解決できなかった。
そんなことを語ることを、青臭く、恥ずかしいことだと共有しているからだ。
私も社会を前には語らない。
しかし、原稿を前には語らなければない。
語りたいとさえ思う自分がいることを恥ずかしいと思っている。
悪役を登場させ、主人公と戦わせる。
主人公は悪役を倒す。
主人公が必ず勝ち、悪役が必ず負ける。
主人公は、正義を無邪気に信じていた頃の私。
悪役は、正義の矛盾を語る私だ。
悪役こそが今の私なのだ。
歳を経ていく私達は、正義の重要さを感じずにはいられない。
先生が重要なことを教科書にまとめて少年に学ばせることが重要だと言っていた。
だから、少年誌に漫画を描く理由が、意味が、意義があるのかも知れない。
だから、私は、少年のランチプレートに正義の矛盾をこんもりと盛り付ける。
だから、いっぱい食べて、いっぱい遊んで、いっぱい学んで大きくなれよと悪役は主人公を描く。
だから、私達は、邪気を持って正義を信じていく。
だから、
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「先生、」と呼ぶアシスタントの声が私を原稿の前に引き戻す。
さて、締め切りを倒そう。
私が必ず勝ち、締め切りが必ず負けるだろう。
しかし、締め切りがなければ、原稿が描き上がらない矛盾にはまだ対処しきれていない。
嗅ぎ慣れたはずの湿布の匂いが鼻を差した。