夜の海のコクハク(1)
波の音って、どうしてこんなに優しいのだろう。
砂浜に、寄せて返す、ただそれだけ。でもこの営みは遥か昔から、絶え間なく繰り返されている。やむことのない波の音に耳を傾けていると、不思議と気持ちが紛れてくる。もし海が無音だったなら、私の胸はとうに立ち直れないほど酷く、張り裂けてしまっていただろう。
食事会の後、片付けも悪魔のメイドさんがしてくれる、ということで、私たちは明日に備え早めに横になることになった。ラーテルさんが気を遣って、今日の出来事について、明るい声で話しかけてくれたけれど耳に入らず、あいまいな返事ばかりしてしまった。
灯を消してラーテルさんと一緒にベッドに入る。でも寝れるわけがない。
何度も寝返りをうってラーテルさんの睡眠の邪魔はできない。
こっそりとベッドを抜け出して、ヘルマさんの別荘の下にあるプライベートビーチに、夜風にあたりに来たのだ。
『それでもみんなと一緒にダンジョンに行きたいと思います!』
あの後、私はジャンんさんに、そう答えた。
「ジャンさんのおっしゃる通りです。私は腕力もない。強い攻撃魔法も、役立つ特殊魔法を使えません。それでも許されるなら、みんなと行きたいです。期待される機転が活かせるかわからないけれどそれでも、仲間を守りたい、と言う気持ちは、誰にも負けないつもりですから」
ポツンと満月に近い白い月が夜空に上り、薄ぼんやりと砂浜を照らしている。いくあてもなく、とぼとぼと、自分の青い影を引きずり、歩き続ける。
靴底に砂が入りこみ歩きづらい。仕方なく脱いだサンダルを手にぶら下げ、数メートル先の手頃な岩の上に腰をおろした。昼の日差しのぬくもりが、いまだ残る白砂に足をうずめる。あったかくて心地いい……。顔を上げ、水平線を見やると、潮風が髪と耳をなでていった。
私、どうしたらいいのだろう?
魔力検査を受けたあの日から二ヶ月。なんの取り柄もない、村人の一人だった私の日常は、百八十度、変わってしまった。
逆らうこともできず、通達に従って王都にやってきた。言われるがまま冒険について学んだり、使ったことのない武器の扱いを学んだり、ダンジョンに潜ったり、ダンジョンに閉じ込められそうになったり、悪魔の眷属に襲われたり。
なんでこんな目に? って思うことも、もちろんあったけど、ラーテルさんやレト、オウルさん、サクヤに出会い、仲間が、みんなが大好きになって。仲間のために、強くなろう! 役に立ちたい! って決心して、自分なりに頑張ってきたつもりだった。
でも、ずっと心の中に、誰にも言えない、そして説明できないモヤモヤを抱え続けてきた。
私は、みんなに比べて飛び抜けた能力がない。つまり弱い。役立たずなんじゃないか……。
たぶん、劣等感、っていう感情なんだろう。すごくイヤな黒いもやが胸の中に充満し、自己嫌悪に苛まれてしまう。
私が弱くて役立たずというのなら、なんでこの場所に連れてきたの?
そんなふうに思っちゃダメだよ! 冷静な自分が、ヤケになった自分を止めようとした。でも暴走を始めた感情は、心の垣根からあふれ出し押しとどめられそうにない。
そっとしておいてほしかった! おばあちゃんと二人、カフェを営み、静かに暮らしていたかった! それなのに勝手に呼び出して、勝手に役立たず扱いして! もう全部捨てて、村へ帰りた……!
「ダメ!!」
叫んだ途端、大きな波が目前で弾けた。打ち寄せる一際大きな波の音に、私の悲痛な声はかき消される。ひざこぞうに強くおでこをつけて足を両手で抱える。
そんな卑屈なことを思ってはダメ! 仲間を置いてなんて帰れるワケないよ! 非力でもきっとできることがあるはず。エルクさんだって力を合わせることが、大切だと言っていたじゃないか!
みんなを守りたい、という気持ちはこんなにある! でも難易度の高いダンジョンに行って、私にできることってあるのだろうか? ジャンさんの言う通り、逆に迷惑をかけたりしたら?
それに何より、やっぱり。私、悪魔の眷属が怖い……。
潮が満ちてきたのだろう。打ち寄せる波の音が次第に大きくなる。周りには誰もいない。私だけだ。ひざから目だけのぞかせ、海を眺める。そのどこまでも大きな姿と、優しい音は、こんなちっぽけで惨めな私の姿を言葉なく受け止めてくれているようで、たまらなくなる。気付くと迷子の子供みたいに、声あげて泣き出してしまった。
と、その時だ。
「やっべぇ!! おばけ!? じゃねえや、アーミー!?」
声がした。
お、おばけ!?
おばけってなによ!? 失礼な! という気持ちと、感情をむき出しにして泣いているところを見られた! というきまり悪さに、戸惑いながら、恐る恐る顔をあげる。
う、うう。声でなんとなくはわかっていたけれど。
「いや! だってほらさ、ただでさえ白いのに、そんな色の服きてっから! って、アーミー、泣いてんのか?」
まあたぁ、なんでこのタイミングで、またこのヒトがでて来るのお?
そこには、言うまでもない。釣り竿とバケツを手に、黒のTシャツとハーフパンツ姿、金色の瞳を大きく見開き、心底驚いたように大口を開けたサクヤが、こちらを呆然と見下ろしていたのだった。




