アクマとトラウマ
言いたいこと、聞きたいことは、たーんとあるのだけれど。ヘルマさんの気迫に押され、私達はキッチンに背を向けた。
『め、メイドってこうじゃないだろう』……とかなんとか文句たらたら、お尻をさすりつつサクヤも私達の後ろを付いてくる。
いつの間にやらリビングは、天井に備つけられた木製のシーリングファンがゆっくりと回転していて、涼しくて気持ちいい風が流れ、居心地のいい空間になっていた。
あのメイドさんが準備してくれたのかな……? 長テーブルにはすでに、クッキーの入った木製ボールが置かれており、初めて嗅ぐ、甘い香ばしい匂いがふんわりと漂っている。はぁ〜。緊張でカチコチだった身体と心が、ゆっくりとほぐれていく。
「ココナッツクッキーじゃ。食べてとりあえず落ち着きなさい」
ヘルマさんが上座にすわり、私達は男女に分かれ、それぞれ向かい合って席に着いた。
「アイツはのぉ、オウルが昔ダンジョンで見つけ、ヤツが家事専用として、手を加えたものなんじゃ。それをワシが安く貰い受けた、というそういうワケでなあ」
席に着いてすぐ始まる説明に、度肝を抜かれてしまう。オウルさんってそんな事も出来るの!? 私たちが色めきだってる間に、キッチンから件のメイドさんが姿を現した。
安全とわかったものの、つい厳しい視線を向けてしまう。でもそんなのどこ吹く風。知らん顔で彼女(彼?)は、キコキコ歯車を回し、トレーの上のアイスティーの入ったグラス配り始める。ヘルマさんが軽く手を上げ礼をした。
「悪魔のオウルさんが悪魔を直したという事ですか?」
ラーテルさんがすかさず尋ねる。言われてみれば、前のダンジョンで「悪魔の動きを封じる魔法」を使っていた。同じ悪魔に何かしら影響を及ぼす能力を、何種類か持っておられるのかもしれない。
「悪魔には階層、タイプがあってのう」
メイドさんは、順に私達にもアイスティーを振る舞ってくれる。冷たいグラスの中で涼やかな音を響かせる氷。薄くもなく、濃くもなく、ぴったりな分量で注がれた紅茶。シトラスの香りが上品に漂うフレーバーティー……元カフェでお手伝いしていた私がみても、完璧なアイスティーだ。
「あ、ありがとうございます」
お礼を言って頭を下げる。でもメイドさんは反応を返さず、そのままプイっとラーテルさんの給仕に入ってしまった。
うーん……丁寧で落ち着いた仕草、仕事を見る限り、危険はなさそうだけど。やっぱり、生きている感じがしなくて……コワイなぁ……。なんて考えつつ、気になるキーワードが出てきて、私は慌てて聞き返した。
「階層、ですか?」
ヘルマさんは腕組みし、眉間に深いシワを寄せ目を閉じる。
「そうよ。このタイプは上位のものに言われた通りにしか動かん。自我を持っておらんのじゃ」
言葉一つ一つ、選んで発言されているのが伝わってくる。オウルさんが前言っていたけれど、私たちが変な誤解をしないよう、気を遣ってくれているのだろう。
そして今の発言! 聞いたよね!? やっぱり、自我を持っていないんだ。つまり心を持っていないってこと。でも……。
「王都に向かう途中の馬車で、私たちは、メイドさんと似たような悪魔に出会って襲われました。それってもしかして……」
言ってて、ドキッと嫌な予感が胸をかすめる。それは怖い思いをしたのう、と心底同情した目で、ヘルマさんはアゴを撫でた。
「誰かの指示を受けて動いていたんじゃろうが。指示したものが死んでおる場合もあるでなあ」
ラーテルさんが、眉を顰める。
「生きてる場合もある、と言うことですね」
ラーテルさんも同じことを考えていたんだ! 命令した誰かがとうの昔に死んでしまっていたなら、不運な事故だけれど。
ーーもし今も生きている誰かが命令したなら、私たちを殺そうとした人が、この世界のどこかにいるって事になる……!!
一体誰が!? 息を吸い込み、腰を浮かしかける。隣のラーテルさんもだ! しかしヘルマさんが、まあまあ座りなさいと、私達をなだめた。
「その件については、オウルも調査しとるハズじゃ。結果を聞くまで決めつけるべきではない。とりあえず」
すごく不安だけれど……ヘルマさんのおっしゃる通りだ。今はまだ何とも言えない。
「二人ともぉ〜急にどうしちゃったのお?」
レトが怯えた顔して、私達を交互に見つめている。一番年下のレトを怖がらせたくない。何も知らないならその方がいいもの。今は保留に、と、ラーテルさんとも顔を見合わせ、私たちは席に着いた。
「とにかく。こいつはワシの命令でしか動かん。ワシが命令するのは屋敷内の家事と、庭の手入れだけじゃ。だからこいつは危険ではない。後のことはオウルから教わりなさい」
うーん……。全っ然スッキリしない。でもオウルさんから「順番に話す」と釘をされている以上、そうするしかないんだろうけれど。
でもお、やっぱり気になる! だってほら、悪魔って言えば私の前にも……。
「え? オレ? オレはほら、前も言ったけれど、アーミーの言うことしか聞かないよ?」
自然とサクヤに目を向けてしまうと、両手を振り、髪をバサバサと振り乱して首を振り、なんとか無実を証明せんとばかりに早口でまくしたてる。ちょっとかわいそうになってしまって、慌てて付け加える。
「そ、そうじゃなくて。それに、その」
サクヤには勿論自我がある。なら。
ーー私の命令なんて気にしないで、サクヤは好きなようにすればいいじゃない!
って言おうとして、私は口を閉ざしてしまった。
な、なんで?? サクヤが私から離れてくれた方が安全だし、いいことづくめなのに。
……なんでそうハッキリと、言えないのだろう。
「悪魔について、私たちはもっと詳しく、今、知りたいです……」
頭を抱える私の横で、ラーテルさんが食い下がった。
オウルさんは悪魔だ。オウルさんのことをもっと理解したいっていう気持ちが伝わって来る。
私だって、サクヤの事があるからして、その不安は痛いほどわかる。できる範囲内でいいから教えてほしい、と、ヘルマさんを期待に満ちた目で見つめてみたけど。
「それはオウルの仕事じゃ。奴が話していないと言うことは、まだ機ではないと言うことじゃ。コヤツもおるのに」
ヘルマさんに、ピシャリと断られて話を切り上げられてしまった。指さされたサクヤは、オレ? と気まずそうな顔で自らを指差し、頭をかく。
「俺も言いたいのはやまやまなんだけどさあ。余計なこと言ったらまた眠ら……まあ、ダメなのよ。とにかく旦那を助けようぜ! そっちの方が手っ取り早いし。何より……心配だしさ」
ラーテルさんが、珍しくサクヤの発言に、同意し頷いた。そうだね。とりあえず、そこだよね。
「ワシは商人じゃからの。ダンジョンの場所、入口についての知識は全くない。しかし。恐らく町の観光名所に巧妙に隠されておるはずじゃ。まずは街を探索するのがよかろう。では、改めて場所の確認、そして、作戦会議を始めようかのう」
ヘルマさんが机の下から、ティーナの町の地図を取り出し机にばっと広げた。私達は席を立ち、それを覗き込んだ。
町の説明を聞きつつも、一人で黙っていると、なんだか落ち着かない気持ちで胸がいっぱいになってきてしまった。
個室でラーテルさんとお話をしていた時は、「やるぞ!」っていう気合いでいっぱいだったのに。キッチンでの出来事に、自分で思う以上に私は心の中を酷くかき乱されてしまった。
……だって。
あのメイドの悪魔に初めて出会ったとき、ラーテルさんも、サクヤも私を助けようとしてくれた。レトだって尻餅つきながら、私のそばに這ってきて傷を治そうとしてくれた。
あそこで何もできず震えていたのは私だけだった。
理由はなんとなくだけれど分かっている。前のダンジョンで、一人で悪魔に襲われた時の事が思った以上にショックだったらしく、私はあの後、数日間夜寝れなかったり、寝ても悪夢で目が覚めてしまったり、精神的に不安定な時期があった。仲間が励ましてくれて、七日も経たず落ち着いたから、もうすっかり治ったと思っていたんだ。
……でも。そうじゃなかったみたい。今もまだ、胸の奥でトラウマになっていて、キッカケがあればよみがえってしまうんだ。足がすくんで、怖くて、震えるだえで、何もできなくなってしまう……。
これじゃ、ダンジョンに潜って何かあった時、私はみんなを助けられないかもしれない。それどころか役立たずの、足手まといになってしまうかもしれないじゃないか!
そんなの恥ずかしくて、誰にも言えない! もし言おうものなら、レトはドクターストップとか言い出すだろうし、ラーテルさんは力づくでダンジョンに来るなって、私を置いて行ってしまうに違いない。
そんなのは絶対イヤ!!
……私。一体どうすればいいのだろう……。