ラーテルさんの想い
ラーテルさんの実家がある「ウグル」の町は、王都からだいぶ西。森林を抜けた後に広がる草原地帯にあるそうだ。
織物が有名なだけあり、昔はほぼ全員がケナガヒツジや、モアモアヤギをたくさん飼っていて、牧草を求め馬に乗り、草原を転々とする遊牧民だったんだって。
伝説でもネオテールの王様がある山の絶壁で、悪魔に追い詰められピンチに陥った時、敵の背後から馬を狩り、ウグルの騎馬隊が押し寄せ、蹴散らしたっていう逸話が残っているぐらいだ。
でも、今は大きな町ができて、王都と似たような都市生活を送る人が増えたそうだ。でも、古くからのしきたりについては、なおも続いているようで……。
「遊牧の民の男性は生まれてすぐ、騎馬技術を叩き込まれます。武に長けた者が尊ばれる。ですから、昔から男尊女卑と申しますか。「弱者は強者に従うべき。故に、家長である父の発言は絶対」という古い風習が未だ根強く残っているのです。そして家長は妻を一人ではなく、一夫多妻、つまり複数持つことが許されています」
ラーテルさんのお父様は、伝説に残る、悪魔の背後から奇襲をかけた騎馬隊長の子孫に当たるらしい。な〜るほど。ラーテルさんが強いのはそういった理由もあるのかもだね。
「私の母は歳若く嫁ぎ、父にとって最後の妻となりました。優しくて温和で刺繍が上手で、大好きな母だった。でも、年若かったせいか何かと理不尽な目に合うことが多くて……母が早逝したのはそういった事の積み重ねが原因に違いありません……」
ラーテルさんが俯いたまま、膝に置いた手を強く握りしめる。私の両親はどちらも学者で、互いに意見をぶつけ合う姿はよく見かけたけど、仲は良く、相手の話を聞かない、ということは無かった。辛い思いをしているお母様を、お父様が助けてくれない。そんな中、大好きなお母様が亡くなられて……その気持ちを思うと、胸がギュッと締め付けられる。急いでベッドに走り寄り、彼女の隣に腰掛けた。
「勿論黙っておられず、私は度々父に掛け合った。しかしあの人は「女」である私の意見を聞かず、何もしてくれなかった。いつの間にか私は父とウグルの慣し。古い慣しの上に胡座をかき続ける男性を憎むようになっていったのです……」
ラーテルさんが前を向く。瞳を潤ませながら、紫色の瞳で空をきっと睨む。
「そして。母が亡くなり、荼毘に付されたあの日、私は心に決めました。この町を出ようと。力が全てだというのなら、強者にならねばならない。それ故、この村の誰よりも強くならねば、と」
右手を開き、目の前で強く握りしめる。
「それから私はある人に教えを乞い、秘密裏に馬術等を戦術を学びました。そうしてついに父を打ち負かし、王都へ上る事を許されたのです」
いつもか細く見える腕に力を込めると……彼女の腕がひとまわり太くなり、筋肉がくっきりと浮き上がる。私は驚き瞬きしてしまった。あの瞬発力はこの筋力によるものだったんだ……。ふっと息をつくと、張り出していた筋が白い肌の奥へとすっと嘘のように消えていった。
「とはいえ、場所は違えど、男の本質は変わらない。私はそう信じ、王都へ参りました。しかし、それは間違った考え方だと教えてくれた人がいました」
ラーテルさんの頬が赤く染まり、さっきまでとはうって変わって、眼差しが柔らかくなる。
「オウルさんは男性でありながら、優しく、心静かで、己の意見を押し付けず、我々の話に耳を傾けてくださいました。決して奢る事なく真摯に疑問に答えてくれた。……だから、少しずつ、信用することができて」
その時にあの事件が起きました、と、肩を落とす。あの事件、とは前回の冒険でのオウルさんとの言い合いに違いない。私は二度、大きく頷く。
「はじめ私はまた裏切られた、と早とちりし、怒りに任せ糾弾してしまった。でもそれは誤解で、あの方には理由があった。その上自らの命を懸け、嘘付き呼ばわりした私を助けてくださったのです。それで……」
そこまで話して、口ごもってしまった。でもその先は言わなくてもわかる。私は何度も頷いて、両手を伸ばし、彼女の肩を後ろから抱きしめる。
「そうだったんですね……話してくれて、ありがとう、ございます!」
オウルさんは、とっても優しい。その温かい人柄がラーテルさんの凍りついた心を少しずつ溶かしていった。だから、エルクさんと戦ってまでオウルさんを助けに行こうとしていたんだ……! そんなふうに悩んでいたのに、気付かなくて。どんなに苦しくて、辛かったことだろう。一番近くにいたのに……サクヤの言う通りだ。
「私……自分のことばかりで、一番近くで悩んでいたラーテルさんの気持ちや想いに気付かず、すみませんでした」
ラーテルさんが紫色の目を丸くして、慌てて首を振る。そのきれいな瞳から視線をそらさず、今の自分の気持ちをちゃんと話す。
「応援します、ラーテルさんの想い! あ、あの、私、男性とお付き合いしたことが、一度もないので、その頼りになるかわからないけれど」
実を言うと、ないんだよね。あはは。でも、お付き合いのアドバイス以外にも出来ることはあると思うんだ。それと、それ以外に。あの夕食会の時からずっとため込んでいた言葉を伝えたい。
「それと」
あれ? もしかして、泣いている? 内心驚き慌てながらも冷静を装い何度も背中をさする。誰かに恋する苦しさだけは、私も知っている。共感して声が詰まりそうになってしまう。でもなんとか元気付けたい! 逆に不安にさせないように、しっかりしないと。
「昨夜の夕食会の後、伝えようと思っていたのだけれど、遅くなってしまって。あの。私も、ラーテルさんを守りますから! もちろん自分の身も守れます。だから全部やらないとって、背負い込まないでくださいね」
ラーテルさんの握りしめたままの手の甲にそっと手を置く。
「約束です」
念を押し、彼女の顔を見上げると、こぼれ落ちた温かい涙のしずくが、頬を伝い、形の良いアゴから滑り落ち、私の手の甲にポトリと落ちた……でもこちらを振り向き、微笑む表情はさっきよりもずっと明るい。よかった。少し、気持ちが楽になったかな。ホッとした途端、彼女の大きな手が私の手を包み込んだ。
「ええ、ありがとうアーミー! 私もあなたの恋を応援しています。そして、サクヤをはじめとする邪な者たち、待ち受ける危険からこの力を使い守ります。一緒に頑張りましょうね。……約束です」
私たちはお互いでお互いの手をぎゅっと握り合う。いつの間にかラーテルさんも、ニッコリ笑顔になっている。いまだまつげに残る涙がキラキラ輝いて、すっごくキレイな笑顔だ。それが心の底からうれしくて、私も笑い返す。分かり合えて、よかった。ラーテルさん、サクヤ、レト。もちろん、私もオウルさんにまだまだ色々教えてもらいたい! 遺跡調査課全員のためにオウルさんを助けないといけない。不安はもちろんあるけれど、一緒に頑張ればきっと大丈夫! エルクさんや、ウルカスさんも太鼓判を押してくれたんだもの! 私たちはいいチームだものね!
二人で一息付き、ラーテルさんも大剣を部屋の隅に立て掛け、軽装のワンピースに着替えてから部屋を出ることにした。大人数で押しかけてしまったから、お茶を入れるぐらいのお手伝いはしたい。私が言うと、ラーテルさんも賛成してくれて、扉を押し開ける。廊下にはサクヤたちや、ヘルマさんの姿はない。でも、手すりから下をのぞくと、ホールの奥、キッチンへと繋がる扉のあたりから、カチャカチャと食器同士がこすり合う音が聞こえてくる。
いっけない! と、慌てて階段を駆け下りる。後ろからラーテルさんもついて来てくれる。最後の段をジャンプして飛び降り、ホールを横切って、扉を開け放したままのキッチンへ駆けこんだ。
「ヘルマさん、すみません! お茶を入れるのお手伝いさせてください!」
手前には出来上がった皿を並べる作りのテーブルがあり、奥は横長の窓が嵌め込まれ、下が炊事場になっていた。
石造りのオーブン、水が引かれたシンク、横の大理石の作業台が並び、広々と明るくて、気持ちの良いキッチンだ。でも……その右端、この穏やかで明るい場所に、似つかわしくない、真っ黒な影がうごめいているのを目の端に捉え、私は直立不動のまま言葉を飲み込んだ。
正面の窓から差し込む、強い太陽の光を受け、キッチンの隅に真っ黒な影を落とす不吉な存在。
四角い身体に半球のかたちの頭がのり、細長い腕をゆらゆらと動かす黒光りした金属製の……。
あれは……あの晩、初めてみたのとおなじ、悪魔!?
「き、きゃああ、あああああ!!」
フラッシュバックする、哀れな馬の悲しい死体。びっくりしすぎて、腰が抜け、へなへなとその場にへたり込んでしまった。背後に手をついたまま下がろうにも動けない。悪魔は開く点滅する目のような器官をこちらへ向ける。私は目を見開き、そしてぎゅっとつぶる。このままじゃ光線に焼かれてしまう! でも、逃げられないよ! 恐怖に震えて、全身に力を込め、激痛が走るだろうその瞬間を、ただただ待つしかなくて……。