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「目標に向かっている時は少し周りが見えなくなるところがあるし、家でも騎士団の中でも男ばっかりに囲まれて育ったから女の子の気持ちがわからないこともあると思うわ。それでもリンのことよろしくね、ヨワちゃん」
オシャマは護衛ではなく恋人関係と思って話しているようでヨワは言葉に詰まった。
「リンもヨワちゃんのこと気に入ってるみたいだし」
「ええっ!?」
ヨワは熱くなる頬を押さえた。まさかと思うが母親の目はきっと誰よりも鋭い。ぬか喜びは禁物だし、スオウ王の命令にはやっぱり従えないけれども、ヨワは素直にうれしかった。
「オシャマさん、包丁はどこにしまいますか?」
ていねいに水滴を拭き取り、これで洗い物はおしまいだ。オシャマはお礼を言ってヨワから包丁を受け取る。すると目の前で一瞬にして包丁が消えた。
「え?」
「あら。私だってブラックボア家の人間なのよ。ブラックボアは魔剣の使い手だってこと忘れてないかしら」
いたずらが成功したと言わんばかりにオシャマは満面の笑みを見せた。彼女の言う通り名家ブラックボアがその名を馳せたのも、数多くの騎士を輩出している理由もコリコの民なら誰もが知っている。彼らが魔剣の名手だからだ。
だがヨワはいつしかその常識を忘れてしまっていた。それはいつも身近にいたブラックボア家の者が肌身離さず普通の剣を持っていたからだ。
「お風呂沸いてるわよ。入っていくでしょ?」
「えっ。あの、リンに相談してからでも」
「わかったわ。稽古部屋は玄関からまっすぐ突き当たりの部屋よ」
ヨワはオシャマに一礼して、逸る気持ちを抑えてキッチンをあとにした。
稽古部屋はすぐにわかった。廊下に出ると剣と剣を打ち合う音がよく響いていた。ヨワは引き戸を少しだけ開けて様子をうかがった。




