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「感謝なんて。私のほうこそ感謝しているのよ」
不思議そうに聞き返すヨワに、キラボシはにっこり笑った。
「まずは採血しましょ」
十分な量の血が溜まったことを確認して、キラボシはそっと針を抜いた。ガーゼをヨワに渡して少量の血がにじむ腕を三分ほど押さえているように指示する。
つい数日前はリンとこうして向き合って、三分を待つ間に話し込んでいた。キラボシはリンを思い出したついでに口を開いた。
「彼、何度口説いても血の研究をさせてくれなかったの。騎士の鍛練が忙しいってその一点張り。いくらなんでも限度ってものがあるわよね」
苦笑を浮かべ理解を示していたヨワの表情が、次の言葉で固まった。
「だって彼の真価はそこにないもの」
「え?」
「身体機能を活性化させ、自己治癒能力を高める力が彼の血にあると見込んでいるわ。それに似た新薬を作り出せればどんな傷や病にも応用できる。素晴らしいでしょ?」
対面に座るヨワの顔さえキラボシには見えていなかった。ここ数十年、目覚ましい進歩を得られなかった治癒魔法界。そこにリンの血が一滴で色を塗り変えるほどの可能性を秘めている。
キラボシは高鳴る胸を押さえた。
「騎士なんかするよりたくさんの命を救えるのよ。むしろリンには早く騎士をやめて欲しいわ。死なれたらコリコ国、いえ、世界の損失よ」
「損失……」
「そう。わかるでしょ? だからあなたは身を引いてちょうだい」
「な、なにを言ってるんですか」
「簡単な計算よ。新薬を作るには一朝一夕じゃとても叶わないわ。リンはこれから何年も私とともに歩むことになるの。騎士を辞めて、レッドベア家に婿入りしてくれれば経済面も精神面でも私が支えてあげられるけど、どうしても騎士をつづけたいなら門番くらいなら妥協するつもりよ」




