絶望の復活
楓の死体……流石に傷による損傷は激しいが、それ以外は年月を感じさせないほどに新鮮な状態だった。
そんな彼の肉体の前に自然と俺の足は歩み寄っていた。
「さあ、迅雷。 楓の肉体に……」
「う、うん……」
容器の中に手をやり、楓の頭に触れる。
その瞬間、まるで身体に電撃を浴びたような衝撃が突き抜けた。
「ぐっ……!!」
思わず声が漏れるほどの激しい痛み。
というか、足が……痛い……。
「あ……ぁぁぁ……」
頭の中に次々と流れ込んでくる。
過去の記憶、過去の痛み、過去の知識、過去の苦しみ……過去の癒し……。
膨大すぎる楓の記憶や知識はとてもじゃないが普通には受けきれないほどの量だった。
でも、俺は楓の生まれ変わり……この知識や記憶は全て受けきれる。
「そ、そんな……そんなことまで……」
辛い感情が流れ込んできた。
楓はそんな悲惨な過去が……。
心に鍵をかけて、必死に耐えてきたんだと感じるほどの出来事が脳内に再生されていく。
「うあぁぁぁぁ!!」
すべての記憶が流れ込み終わった直後、俺は高熱に晒された。
俗に言う知恵熱だろう。
倒れ込む俺を、先程まで泣いていた紅葉はしっかりとキャッチする。
「迅雷、大丈夫?」
「う、うん……熱はあるけど……はぁ……はぁ……なんとかね……」
頬を赤くし、汗が頬を伝っていく。
それほどまでに楓の知識は尋常じゃなかった。
「こ、これで楓の記憶は完全に継承された……から、完全な生まれ変わりは成功なのか?」
ハスキー先輩は死体と俺を交互に見ながら問いかけた。
いや……まて。
楓の知識が言っている。
その肉体をそのままにしておくのは危険だと。
「ハスキー先輩!!今すぐ、楓の前の肉体を焼却してください!!」
「え? お前……何を言って……」
「いいから、早く! 彼岸!! このままじゃあの身体【憑依】される!!」
自然と俺の口は動いていた。
そして、知らないはずの単語を述べていた。
だが、彼岸は俺の言葉を聞いて目の色を変えるように札をもって楓の肉体を消滅させようとする。
「やめろ、彼岸!! 嫌だ!! 楓の身体は……」
「だめですハスキー先輩……迅雷が言ったことが正しいのなら、そのままにするわけにはいかないのです!!」
そう言って楓の肉体を消滅させようと札を投げつけるが、ハスキー先輩がとっさに地面の砂を手に握り、札を迎撃してしまう。
「だめですって!!」
「嫌だ!!」
「冷血の狩狗、いい加減にしろ!! 事態は一刻を争う」
「嫌だ!! 楓の身体は……俺の……」
ドクン……と、俺の心臓の音は心拍数をあげていく。
これは、戦闘に高鳴るものではない……なにか、なにか来る。
不安感が襲う時の心臓の脈動だ。
「こ、紅葉。 お願い。 今すぐお兄さんの前の肉体を消滅させないと……あの身体に良からぬ者が……」
「!! 分かった!!」
悟ったように紅葉は俺を雷オーナーに預けると、紅葉は首をコキコキと鳴らす。
そして次の瞬間、目にも止まらぬ速さでハスキー先輩の腹に一発拳をいれたのだった。
「ガハッ!!」
完全に防御にも入っていなかったハスキー先輩にとって、その一撃は衝撃的だった。
というか、えっ?
「紅葉ってあんなに戦える子だったの?」
「当然ですよ、迅雷くん。 紅葉は私が直々に戦闘のいろはを教えましたし、今では私ですら足元に及ばないほどに強いですよ」
「雷オーナーより強い!?」
えっと、雷オーナーは冷血の狩狗……つまりは、ハスキー先輩の師匠だよな?
ってことは、その師匠よりも強いってことは……。
「迅凱仙最強の獣人……それが、紅葉なのです」
「あ~でも納得」
普段からハスキー先輩をげんこつで黙らせたり、雷オーナーに強気な姿勢も頷けるわけだよ。
「さあ、彼岸!! 今のうちにお兄ちゃんの肉体を……」
「やめろぉぉ!!」
ガシッと紅葉を取り押さえ、ハスキー先輩は彼岸に吠える。
流石の彼岸も、ハスキー先輩の圧倒的な威圧感に動けないようだ。
「だめですって、ハスキー先輩!!このままにしておくと、お兄ちゃんの身体は……」
「ダメだ!! 楓の身体は……もう誰にも……」
「だめ……ハスキー先輩……」
「迅雷くん!?」
雷オーナーから降りて、俺はハスキー先輩に駆け寄る。
あの威圧感のままじゃ、彼岸が動けない。
何とかしなきゃ……。
……。
バンッ……。
あれ?
「え……なにこれ……」
腹部に赤い液体がついていた。
そして、それはじわじわと染み広がって行く。
あー、そうか……これは……。
「撃たれ……」
ドサッと、俺は花畑に倒れ混んでしまった。
美しい花弁たちは俺の血で赤く染まっていく。
獣たちは目を見開きこう叫んだのだ。
「「迅雷!!」」
そう、俺の名を彼らは叫んだのだった。
花弁が散りゆく最中、俺は舞い上がる花の匂いに心地よさを感じていた。
でも残念ながら、それはすぐに腹部の痛みによって悲痛な顔へと変わっていく。
「彼岸、急いで回復の術を!!」
「はい!!」
「じ、迅雷……嫌だ……嫌だよぉ……」
「俺の……俺のせいで……」
二人の獣人たちは慌てていた。
だからこそ、俺は二人の頭を優しく撫でた。
「だ、大丈夫……大丈夫だから……」
俺の震える手をそっと二人は握りしめ、強く願っていた。
助かりますように……と。
「陰陽術【浄身の光】!!」
彼岸の札から出る優しい光が俺を包み込む。
そして、みるみるうちに傷が治っていく。
すごい……。
「彼岸、腕あげたな」
「まあ、自己鍛練は怠っていませんからね」
「ありがとう、彼岸……」
ついでに熱まで引いてくれた。
あー、よかったよかった。
「あれ?でも、さっき誰が俺を撃ったんだ?」
「「!!」」
俺が問いかけた否や、辺りから殺気と憎悪がひしめいていた。
そして、黒い服の男達がズラリと辺りを囲うように並んでいる。
「こいつらは……あのときの!!」
彼岸の目に怒りがこみ上げていた。
そして、ハスキー先輩の目にも……。
「これはこれは、皆さんお久しぶりですねぇ~♪」
「そうね、ずいぶんとご無沙汰になっちゃったわね~♪」
ずいぶんとテンションの高い声が響き渡った。
なんだろう、この感じ。
聞いていてすごく不愉快だ。
「なぁなぁ、零ちゃん。 そろそろ出てあげないと、バカな獣たちは僕たちのこと分からないよ」
「そうねぇ、秀ちゃん……。 私たちもそろそろ登場しないとね~♪」
そう言って出てきたのは、小さな男の子と女の子だった。
紫色の髪色に、なんだろう……あの邪悪な目付きは。
「「水無月!!」」
彼岸とハスキー先輩は声を揃えて、その子供たちに言う。
え?あれが水無月?
「検体01号きゅん!おっひさぁ~」
「狐ちゃん、おっひさぁ~」
「水無月秀だよ~」
「水無月零だよ~」
「「二人会わせて、水無月夫妻だよ~」」
なんだろうか、このうざったいテンションは。
不愉快極まりない。
「あはは♪ みんなお元気だったかな? おじさんもすっかり生まれ変わったように元気さね♪」
「もうやだ秀くんったら……私たち、生まれ変わったんじゃないの!!」
「あー、そうだったそうだった♪」
ゲラゲラと二人で面白可笑しく笑っている姿にまた更にイラッとした。
「ねぇ、ダーリン。 知らない人がいるよ~」
「そうだな、ハニー。 おやおや?しかも、僕たちと同じ人間だよ~」
「えー、あら本当♪ でも残念ね。 人間の癖に獣人と仲良くしてるだなんて」
なんでバカにされなきゃならないのだ。
そう思って俺は言い返す。
「黙って聞いてれば……ずいぶんと好き放題に言うやつらだな」
「おやおや?あの子私たちに吠えてるわよ?」
「そうだね、ハニー。まるで獣人みたいだね♪」
「ブスでバカで能無しのガキどもがなんか言ってる~」
「「なんだと、こらぁ!!」」
うぉ、息ぴったし。
「まあいいや……目的の物は見つけたんだからね」
「そうね……さあ、それを寄越しなさいな」
そう言って楓の死体を彼らは指差すのだ。
「さあさあ、寄越せ~天才楓博士の肉体を……」
「そうよ、寄越しな……」
「「黙れ!!」」
グチャッ……と不気味な音をたて、水無月夫妻の頭は吹き飛んでいた。
ハスキー先輩の投石、彼岸の札による術……それぞれがヒットしたのだが。
「バカども!! それが、水無月たちの狙いだ!!」
雷オーナーの声は遅かった。
子供の肉体からなにやら、黒いもやのようなものが出ていき、楓の死体へ流れ込んでいった。
そして次の瞬間、死体だった楓の身体は目覚めたのだ。
ザバァッと、培養液から出た肉体は切り落とされた足が蜥蜴の尻尾のように既に回復しており、なによりあの強化された肉体は……。
「うははは♪素晴らしい……これが、楓博士の肉体か。 うむ、身体能力も申し分ないな……」
ぶん、と腕を払うと近くにいた黒服の男が風圧で飛ばされてしまった。
いったいどうやったら、そんなことになるんだよ。
「これで遺伝子知識は俺様のものだ!!」
「何がどうなっているんだ……」
「おやおや、おかしいですね……」
楓博士の身体を奪った水無月たちは首をかしげていた。
「肉体を奪ったのに……知識や記憶データが完全に消去されている。 というより、まるで転送されたように……あぁ……なるほど。 あなたが持ち去ったのですね……」
そう言って奴は俺の方を見た。
「きっとあなたは、楓博士の生まれ変わった姿なのでしょ? いやぁ、納得言った。 だからこそ、記憶もなにもかも脳に残っていないわけですね……」
にこりと微笑んでいる楓の身体をした水無月たち。
あの笑顔を俺は知っている。
あれは、良からぬ事を企んでいるときの笑顔だ。
「まあ、いずれ……あなたにはその受け継いだ知識を全て吐き出してもらう事にして……」
と、やつはハスキー先輩と彼岸を睨んでいた。
「君たちは一緒に来てもらうよ……」
そう言って一瞬の隙をついて二人の首筋に一撃を加えた。
一瞬の隙……とはいっても、二人とも全く油断していなかった訳じゃない。
呼吸を整えたほんの数秒を狙われたのだ。
「よいしょっと……」
二人を抱えあげた楓の肉体は、黒服の方へと歩いていく。
「では皆さん……ごきげんよう」
そう言って水無月は二人を連れ去ったのだ。
紅葉も雷オーナーも……あの肉体の威圧の前に動けなかった。
それほどまでの力を持ったと言うことなのか?
それとも……。
いや、それよりも。
「彼岸!! ハスキー先輩!!」
俺は誰もいなくなった通路に向かって叫ぶ。
だが、彼らは戻ってくることはなかったのだ。
「くそっ!!やられた……私としたことが」
壁を思い切り雷オーナーは叩いていた。
そして紅葉も同様に悔しがっていた。
「それにしても、死体に憑依するとあんな事になるのか……?」
これは楓の知識にすら無かったことだった。
いや、でも……あの肉体の強化具合は……。
「とにかく、二人を追わねば……」
「いいえ、オーナー。 追っても残念ながら、あの楓の肉体を奪った水無月をどうにかしないと……でもどうする? 獣人陰陽師である彼岸が連れ去られた以上……成す術はないような……」
「陰陽師がだめなら……別の人物を頼れば良いのですよ。 そう、例えば……魔法使い」
「魔法使い? そんなものがどこに……」
「あっ!!」
と紅葉はピンと来たようだった。
「そうか、お兄ちゃんの大学生時代の友達に居た居た」
居るんかい!!
そんな都合よく。
「でも、今行方わからないんじゃ無かったっけ?」
「分からなければ探すまで……私の情報網で必ず見つけますよ」
「ちなみに、その人ってどんな人?」
「名前はシロン。 黒い猫獣人で、聖なる白魔法を使う白魔導士だったかな」
黒い猫なのに白魔法って……。
いや、でもこうなった以上……俺たちは彼に頼るしかないのだった。
待っていてくれ、ハスキー先輩……彼岸。
必ず、助け出すからね。