迅凱仙のオーナーと宴会事件
獣人たちが営む隠れ飲食店【迅凱仙】。
そこは、官能的なまでな甘さを誇る料理が提供される店で、とある山奥の特殊な場所に所在する知る人ぞ知る店だ。
俺はそんな店の常連客……と言いたいところだが、まだ数日しか通っていないので常連と言えるかは微妙なところだ。
今日も俺は狼獣人のシェフである紅葉、狐獣人である彼岸……そして、犬獣人のハスキー先輩に会いに、そして料理を食べに行くために山へと向かう。
山道を軽く進み、いつもの店に辿り着くと、なにやら今日は様子が違った。
なんというか、店の準備に大忙しと言わんばかりに紅葉や彼岸は店の前であわただしくしていた。
「おーい、紅葉~彼岸くん~」
何気なく俺は彼らに声をかけると、紅葉と彼岸は急いで俺の方に走ってきた。
「迅雷。 よく来てくれたね……と言いたいところだが……申し訳ないけど、今日は帰った方がいいよ」
そう少し残念そうに紅葉は言う。
「え?どうして?」
「今日は団体のお客様が来る日でね……それも全員が獣人なんだ」
「あー団体さんの予約入ってるんだ……じゃあ、席が埋まっちゃってる感じかな?」
「いや……席は余ってるんだけどね……」
「ちょっと怖いおじさんたちだから、刺激が強いかもよって話なんだよね~」
紅葉と彼岸は、少しだけ怯えている。
そんなに怖い人……もとい、獣人たちなのか。
「大丈夫大丈夫。 カウンターの隅っこに大人しく座ってるから」
「で、でも……」
と、紅葉たちが渋っていると、お店からすっと黄色い影が出てきた。
若々しくも、凛とした表情の虎の獣人だ。
虎獣人は、にこにこしながらこちらに向かってあるいてくる。
「おや?紅葉、彼岸……そちらのお方は誰かな?」
「「あ、オーナー」」
紅葉と彼岸は声を揃えて虎獣人のことを呼ぶ。
え、オーナー?
「初めまして……私、こちらの迅凱仙の代表を務めております、雷と申します……以後お見知りおきを……」
ペコリと雷と名乗るオーナーはこちらに向かって頭を下げる。
つられて俺もペコリと頭を下げた。
「初めまして。 俺の名前は迅雷……天野迅雷といいます。 先日、そちらの紅葉くんに危ないところを助けていただいてから、こちらの方には何度か訪れているのですが……今日、初めて貴方にお会いしました。 どうぞよろしくお願いします……」
一般的な返答としてはこれが最善の模範解答に近いはずだ。
雷さんは、にこりと微笑んでいる。
第一印象はこれで大丈夫だろう。
「あはは。 人間であるあなたがこんなところにおいでになるとは驚きでしたが、なるほど……紅葉たちの顔見知りですか。 お恥ずかしながら、私ここ……数日、風邪で寝込んでしまっていて中々こちらにこれなかったのですよ。 いや、ようこそお越しくださいました。 どうぞ、店内へ案内致しますよ」
「え、でもオーナー……」
「紅葉。 それに彼岸もよく聞きなさい。 来てくださったお客様を気遣うことはとても大切です。 あなたたちは、それは出来ていると私は思っています。 でもね、来てくださったお客様を追い返すようなことはしてはダメですよ。 彼は君たちに会うこと、そして我々の作る料理を楽しみにやってくれたのですから、なにもしないで帰すのはマナー的にもよくありません。 我々は料理人、彼はお客様……ならば、やることはひとつです。 おもてなし……それが、我々ができることでしょう?」
紅葉と彼岸はさすがに言い返せなかった。
正論でもあるが、なにより彼らが間違ってはいないことまで肯定した会話だった。
なるほど、流石はオーナー。
経営の手腕も中々のやり手だろう。
「ささ、迅雷殿。 どうぞ店内へ。 先程紅葉たちから団体のお客様の話があったかと思いますが、気になさらずにごゆっくりお楽しみください」
雷オーナーに案内されるまま、俺は店内へと進む。
それに合わせて紅葉と彼岸も後ろからついてくるのだった。
店内は、これから来るお客のために食器やグラスが並べられており更にカウンター席の間にしきりが張られていた。
俺はカウンター席の奥へと通され、ちょこんと座っている。
カウンター越しから、厨房を見ることができ、中にはずらりと豪華な食事が用意されていた。
「うぉ……すげぇ……」
と思わず声にしてしまうほどに豪華で、もう料理と言うより美しい宝石たちが散りばめられた芸術と言っても過言ではなかった。
あんなにも食材って変わるものなのだな。
「じゃあ、迅雷。 今日はなに食べる?」
「うーん……そうだな……って、そういえばハスキー先輩は? 今日はまだ見てないけど……」
「あー、ハスキー先輩は今は奥で寝てるよ~。 あの料理を一人で全部作ったから疲れちゃったんだって」
「あー、そうなんだ……」
「それで? 迅雷、今日はどうする?」
「えっと……じゃあ……」
とまさに俺がメニューから品を選ぼうとした時、店の扉はがさつに開けられる。
チリン、と言う音と共に扉が勢いよく開いた反動で壁に打ち付けられた音が響く。
「いらっしゃいませ……ようこそ、お越しくださいました」
冷静に厨房から出た雷オーナーは、来客を出迎え席へと誘導する。
カウンターからはもの見事に見えないし、向こう側からもこちらは見えないだろう。
ぞろぞろと入ってくる様子だけが見える。
影越しでも分かるほどに、がたいのよい獣人たちのようだ。
「迅雷。 ほら、メニューメニュー!」
そう言って視線がそれた俺の顔を紅葉は指でつんつんと触る。
おっと、いけねぇ。
「えっと、じゃあ……今日はシェフの気まぐれコースで」
「OK~」
そう言って紅葉はメニューを下げて調理を開始し始める。
一方、虎オーナーと彼岸は台車に料理をのせ、せっせと団体席へと運んでいく。
ビールの入ったチェイサーも乗っていた。
しかし、来たお客さんたち静かだな……。
さっきの扉が開いたとき以降、会話すら聞こえない。
一体、なんの集まりなんだか。
「では、ごゆっくりお楽しみください」
そう虎オーナーが言うと、彼と彼岸は急いで厨房に戻ってくる。
一体なにが……。
『かんぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!』
店が震えるほどの声が響いたと思ったら、先程の静寂が嘘のようにガヤガヤと獣人たちは話始める。
あー、びっくりした……心臓が止まるかと思った。
厨房にいた紅葉も驚いたようで、尻尾の毛が逆立っていた。
そりゃ、びっくりするよな……。
彼岸に至っては、驚いて尻餅をついていたし。
雷オーナーだけが、物怖じつかず凛とした表情を崩さなかった。
流石はオーナー……。
強い……。
団体できている獣人たちは、ガヤガヤと宴会を楽しんでいる。
一方、俺はと言えば紅葉が作ってくれたメニューを堪能していた。
「紅葉、美味しいよこれ~♪」
今回のメニューは、鮭料理がメインのようで、サラダやスープ、メインに至るまで全てが鮭だ。
今出されているのは、【鮭のちゃんちゃん焼き~3種のハーブ和え~】というやつだ。
ちゃんちゃん焼きといえば、北海道で広く愛されている郷土料理である。
野菜と鮭と一緒にバターや味噌などを加え、アルミホイルで包み焼きあげる料理だったかな。
今回は、その野菜たちに加えてコリアンダー、ローレル、タイムが入れられておりまったくといっていいほど魚臭い匂いが消されている。
更にはハーブの香りとバターの香りがいい感じに合わさっており、口当たりがとても良い。
「今回は自信作だよ♪ 迅雷はすごく美味しそうに食べてくれるから嬉しいよ♪」
「いやぁ、紅葉の料理美味しいもん♪」
「さて、んじゃそろそろデザートも……!!」
紅葉はふと厨房へと戻ろうとした。
が、その歩みを止める。
その前には1匹の大きな体格をした獣が立っていた。
それは先程の宴会客の一人だった。
酔ってトイレにでも行こうとしていたのだろうか、その顔は頬を赤めていたであろうが、今は違う。
紅葉を見ているわけでもなく、俺を見ていた。
大きく目を見開いて、こちらをじーっと。
「お、お客様。 トイレは向こうですが……」
と、紅葉は必死に目線を逸らそうとするが、もう無意味だった。
血相を変えた獣人は急ぎ宴会の席へと戻っていった。
先程までガヤガヤと騒いでいた宴会場からの声がピタリと止んだ。
「じ、迅雷!! 急いでこっちきて!!」
紅葉はそう言って俺をスタッフルームへと連れていくのだ。
部屋に入るなり、紅葉は自身の頭をかき、頭を抱えていた。
「しまった……見られた……」
「紅葉?」
「はぁ……」
まるでこちらの声が入っていないようだった。
こんなにも紅葉が慌ててるなんて、よほどのことが……と、考えているとスタッフルームの扉から不快な音がし始める。
物凄い力で扉を何かが打ち付けている。
「おい!!開けろ!!そこに人間が居るんだろ!!開けろ!!」
「いけませんお客様……他のお客様に危害を加えようとされるのは……」
「うるせぇぇ!!」
「ぎゃん!!」
扉の向こう側で彼岸の叫ぶ声が聞こえた。
そして再び扉はなり始める。
「うぅ……」
終始ビクビクと怯えている紅葉を、俺はそっと胸に抱き寄せる。
自身の心臓の鼓動を聞かせ、優しく紅葉の頭を撫でる。
確か、パニック状態の人を落ち着かせるにはこれが最適な方法だったはず。
「あ……じ、迅雷……」
ようやく紅葉は俺の方に目線をくれた。
まだ身体は震えているけど、先程よりはだいぶ良い。
「紅葉、どうしてこうなったんだ」
「……僕が今日、君を追い返そうとしてたよね?」
「うん」
「今日の団体さんたちがね……人間嫌いの獣人たちだったから……君に危害が加わるかもしれないから……だから、帰そうとしてんだ」
「うん……」
「もしも君がここで危害を加えられたら、君は獣人を嫌いになってしまう……かもしれないと思ったから……僕、嫌われたくなかったから……でも、オーナーが……」
「分かったよ、紅葉……俺の身を按じてくれてたんだね……ありがとう……」
「迅雷……」
その瞬間、扉はぶち壊されて開く。
俺と紅葉は互いを抱き寄せ、扉の方へと視線をやると、そこにはハスキー先輩が立っていた。
「おう、お前ら……無事か?」
気さくに微笑みながらそう言っているハスキー先輩の手には、目を回した彼岸を掴んでいた。
ハスキー先輩は、彼岸をこちらに向かって運んで、俺と紅葉の前に静かに彼岸を置いた。
「こいつ……おまえを守ろうとしてくれたみたいだぞ迅雷。 後で、お礼言っときな……」
ハスキー先輩は、優しく彼岸の頭を撫でた。
彼岸はそのお陰か、すこし穏やかな表情になっていた。
「は、ハスキー先輩……あの人たちは?」
「おう、迅雷。 心配するな!! 行儀の悪いお客様たちだったから、ちょっとのびて貰ってるわ♪」
「の、のびてもらってる!?」
ふと、ハスキー先輩の後ろを見てみると、スタッフルームの外側には屈強な身体つきの獣人たちが呻き声をあげながら、倒れていた。
「まあ、酔った勢いで暴れるとかはよくあるけど、別の種族が嫌いだからってことで危害を加えようとするのは流石に看過できなかったから、ちょっとお仕置きしてやったぜ」
いや、ハスキー先輩。
そんな笑顔で言われても……。
「う……うっ……ま、まて……」
苦しそうな声をあげながら、獣人の一人はこちらに向かってくる。
「お客様、まだなにか?」
「お、お前……何者だ?……仮にも俺ら傭兵部隊だぞ……酔っていたとは言え、一撃も攻撃を喰らわずに倒すだなんて……」
「へぇ……そうか、そうか……お前ら傭兵部隊だったんだな……じゃあ、裏社会とかにも精通してたりするのか」
「ふん……確かに……その通りだが……」
「じゃあ俺が昔、その業界で呼ばれてた名前を名乗っても別に大丈夫か……」
そう言ってハスキー先輩はその獣人に近づき、そっと耳打ちをする。
その瞬間、青ざめた獣人は腰を抜かし、地に伏せてしまった。
恐怖ゆえか、彼は失禁してしまっている。
「まあなんだ……お客様……そろそろ、お引き取り願いますかね?」
とハスキー先輩が笑顔で言うと、その獣人は急ぎ仲間を引き連れ早々に店を出ていったのだった。
「うっし、片付けするか。 すまねぇが迅雷もちょっと手伝ってもらえねぇかな? 何せ、彼岸がこれだからさ~」
そう言っていつものようにこちらを見て笑うハスキー先輩だった。