厳しい評価
ハスキー先輩がやって来た。
それも最悪のタイミング、最悪の展開で。
「おいそこの侍……俺の楓に何しやがった?」
「なにって……おしりに顔を突っ込んで匂いを……」
「……殺す」
完全に殺戮モードになってしまっているハスキー先輩に対して、侍はきょとんとしていた。
まるで自分が悪いことをしていないような拍子抜けな顔をしている。
「おとうしゃん、待って!! この人は……ひゃん!!」
「くんくん……」
「貴様ぁぁぁぁぁぁぁ!!」
その声と同時にハスキー先輩は、侍に向かって飛びかかった。
しかしながら、侍は楓に顔を突っ込みながらひらりと避けてかわす。
「ふむ、早いね……」
「も、もうやめ……ひゃん!!」
「ふんふん……」
「くぉぉぉらぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ハスキー先輩は再び加速し始める。
四方八方にすかさず動き、まるで影分身をしたかのように辺りにはハスキー先輩が複数人見えるほどの残像が残っていた。
「ふむ……確かに早いねけど……」
と、侍は懐にある刀をスッと手に持つ。
見ると、刀身が短く、とてもじゃないが太刀とは呼べない代物だ。
むしろ、包丁……そんなレベルのサイズだった。
「狗狼流【初斬】」
そういって軽く刀を振り下ろすと、次の瞬間海が真っ二つに割れた。
というより、斬り分けられたのだ。
その波は、巨大なものとなってハスキー先輩の分身を次々に飲み込んでいく。
そして、最後に残ったのは波から逃げ切ることができたハスキー先輩だけだった。
「はぁ……はぁ……まさか、海まで使ってくるとは」
「まだ仕置きが足らないなら……」
「お待ちなさい!!」
二人を静止をさせたその声は天より響き渡った。
そして、その声の主は天空よりふわりと舞うように着地を決める。
片手に輝く本を持ち、独特の服装と宝石が装備された黒い帽子を被っている黒猫。
そう、白魔導師シロンだ。
「シロンさん!!」
「やあ、迅雷くん。 以前僕がアドバイスした魚料理を会得するためにここに来るってのをオーナーから聞いていてね、様子を見に来たんだが……」
と、ちらりと現状を見て全てを悟ったようにため息を溢す。
「冷血の狩狗くん。 レストランの休憩時間、そろそろ終わるよ」
「えっ!! あっ、やばい!! 急いで戻らないとオーナーに犯される!!」
どんなレストランだよ、と言いたいところだが……これが、迅凱仙流なのだよな。
「それとシバくん……その楓くんはザ・ナイトメアの子供なんだから、むやみやたらに……」
「いい匂い……」
「ひゃん!!」
「はぁ……楓くん。 その男にひれ伏せって命令して」
「ひゃん!! えっ、えっと……ひ、ひれ伏せ!!」
すると、シバは先程から続けていたセクハラ行為を即座にやめ、刀を納め、楓に向かって頭を垂れるように膝をついていたのだ。
「主からの命令を絶対聞くこと……それが、彼の家の教示であり幼い頃からの躾でもあるみたいだからね」
「って、シロンさん……この人と知り合いなの?」
「うん。 シバくんは、僕の大学の同級生……つまりは、吹雪や楓博士とも面識があるんだよ」
「へぇ……じゃあ、お父さんとも面識が……」
「ねぇねぇ、シバくん」
と、シロンさんは頭を垂れているシバの頭に足をのせてグリグリとしている。
ひ、ひどい……と思ったがシバは気持ち良さそうに声を漏らしている。
え?
「相変わらずドSだな、シロン」
「相変わらずドMだね、シバ」
「早速で悪いんだけど、その楓くんは僕たちの大切な友人の子供でね。 あまりセクハラするのをやめてもらえないかな」
「いや、しかし……」
「あと、こっちの狐くんは吹雪のまな弟子、こっちの人間は天野教授の息子さんだからね」
「ひぃ!! 吹雪と教授……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
そういってシバは泣きながら、俺と彼岸に土下座をする。
吹雪さんに、お父さん……彼に何をしたんだ。
海辺の料亭【狗狼】。
歴史的な和風な建物は、ほのかに優しい木の匂いがするどこか懐かしいと思ってしまう場所だった。
あの後、ハスキー先輩は大急ぎで迅凱仙へと帰っていった。
何せ休憩時間を利用してこちらに来ていたらしくって、本当に楓に対して過保護すぎるのではないかと思ってしまうほどに甘やかしすぎだと思う。
「今日からお世話になります、天野迅雷です」
「彼岸と申します」
「僕は楓です」
「「よろしくお願いします」」
そういって従業員の皆さんと軽く顔合わせをした。
楓くんは女将さんや、接客の女中さんたちにもはや人気で、一緒にくっついて接客業を学んでいる。
楓としては遊びたいのだろうけど、なにかしたいという気持ちがあったのだろう。
だからこそ、彼は今回ついてきたのかもしれないね。
「さて、じゃあ貴殿らも早速修業じゃ」
そういって板長のシバさんは先ほどまでとは別人のような目つきになり、ギュッと手拭いを頭につけた。
「さて―――雷オーナーから聞いている。 ここでは、魚介料理……それも海の幸を基本的に扱っている場所。 故に、山でレストランを営む貴殿たちはその料理の極意を学びたいと」
「はい―――その通りです」
「とは言っても、迅雷君。 君は料理に関しては素人同然だ―――だから、君には魚介出しを使った料理を中心に覚えて貰おうと思う」
「レストランで言う、スープ系って事ですか?」
「左様―――されど奥深い。 ラーメンや鍋にも使われる基本中の基本にして、進化し続けることが出来る料理だからな」
進化―――そうだ、俺は変わりたいんだ。
もう、ホールで掃除やブラッシングサービスだけじゃなく、料理を覚えたいんだ。
「分かりました。 よろしくお願いします」
「うむ、良い目だ―――さて、彼岸くん。 貴殿は、魚介料理はそこそこできると聞いている。 まずは、その実力を見せてほしい」
そういってシバは水槽を持ってきた。
その中には、色々な種類の魚が泳いでいる。
よくよく見ると、底にはホタテなどの貝類もいる。
「ここにある魚介を使って一品―――作ってくれ」
「は、はい」
「ただし―――制限時間は30分とする」
「さ、30分―――という事は」
「そうだな、煮つけやらは諦めなければならないだろうな」
「分かりました―――では、やりましょう」
「用意―――始め‼」
彼岸は早速調理にかかる。
素早く手を洗い、まな板を整備する。
ここまではいつも通り――――さあ、彼岸は何を選ぶんだ?
「―――よし、これだ‼」
彼岸が選んだのは、適度な脂身が乗ったかんぱちだった。
かんぱちは夏場が旬とされる白身の魚だ―――。
さて、彼岸はどんな料理を出すのかな。
彼岸はあっという間に三枚おろしにし、内臓を綺麗に取り除く。
水槽の水を少しだけボウルに入れ、そこで綺麗に洗っていく。
「うん、正解だね。 真水で洗うよりさっきまで泳いでいた環境で適度に洗う方が鮮度を下げることもあまりないからな」
シバさんは感心して見ている。
だが、彼岸がかんぱちの白身を捌き始めた途端、再び険しい顔つきになる。
その一つ一つの工程を見逃さず、観察している。
彼岸が次に取り掛かったのは、釜で米を炊いていた。
時間的に良い感じにぎりぎり仕上がると言ったところ―――。
そして、今度は白身のかんぱちを、醤油と日本酒と刻んだ小葱の入った容器の中で混ぜ込んでいく。
そして、それを容器の中に詰めて、氷の中に沈めた。
「さてと―――」
と、彼岸は今度はショウガ、それから柚子を取り出す。
それを刻み、2種類を混ぜ合わせていく。
ほのかに食欲をそそる香りが充満していく。
そして、米がぐつぐつと釜から音を立てていい匂いを放ち始める。
「よし、仕上げだ」
と、釜の火を止め、彼岸は少しだけ蒸らす。
その間に、残りの調理を済ませていく。
そして制限時間2分前に、彼岸の品は出来上がった。
「できました。 かんぱち丼です」
「ふむ、では実食―――」
「おっと、その前に―――」
と、彼岸はバーナーを取りだし、かんぱちを軽くあぶった。
その香ばしい香りと、先ほどの柚子の香りも相まってお腹が空いてしまった。
「では―――ふむ……美味しい」
「かんぱち本来の白身を生かすことも考え、あえて軽くあぶりました。 そうすることで、漬けた醤油の成分を少し飛ばし、かんぱち本来の甘さが際立ちます」
「うん、十分に美味しいと思うよ♪」
「あ、ありがとうござい―――」
「でも、悪いけど――――最低の品だね」
シバは冷淡にそう述べて、調理場を去っていった。
俺や彼岸は何故そうなったのか―――分からなかった。
そう、なぜシバがあんな行動をとったのか―――そして、最低の品と罵ったのかを。