7 ニホンゴ
ドラえもんの英会話とか好きだった。
男が消えた。
カノンとアリシアの師匠であり、一年ほど指導を受けた人である。
男が住んでいた道場には争った形跡もなく、村人のだれひとりとして別れを告げられたものもいない。
忽然として村からひとりの男が消えたのだ。
「いたか?」
「いない」
「どこにもいない」
「だれか見てないか」
「あの日から見ていない」
「もっと探せ」
「よく探せ」
「山を」
「川を」
「彼には恩義があるのだから」
最初の数日ほどは村人総出で探索が行われたが発見はされず、事件とも事故とも失踪ともわからぬままに月日が流れた。
流れる時のなかで、少しずつ諦めの空気が村を覆った。
「見つからない」
「見つからない」
「死んだのでは」
―――ひと月後。
村にある道場の一室で、漫画を読むカノンの姿があった。
道場へと足を運んだ金髪の少女は、その姿を視界に入れると湧き上がる怒りに歯止めがかからなくなってしまった。
「……カノンさんッ!!! 何をしていますの!!!! 不貞腐れている暇などありませんわよ!?」
珍しく怒気の孕んだ声色で詰め寄るアリシアに、カノンは静かに顔を向けた。
アリシアにとってもまた、師匠はかけがえのない存在なのだ。
数日前まで同じように焦っていたカノン自身は、アリシアの気持ちが良くわかる。
傍から見ればこれだけ切羽詰っている様子であったわけだ。
道理で村人たちがいつも以上に遠巻きに見ていたわけだと妙に納得がいった。
「落ち着いて」
「ふざけていますの……?」
一度怒鳴り声を上げたあとの沈静化された怒声は、これ以上の暴発がない代わりに後もないことの証明である。
これより先に沸点はない。
焦らすつもりもなければ怒らせるつもりもないので、素直に必要な言葉だけを口にした。
「手がかり」
そういって、カノンはアリシアへ一枚の紙を渡した。
「……これが?」
アリシアが紙へと眼を通す。
そこには見知らぬ言語で書かれた文字の羅列があった。
「そう。それが。具体的には『ニホンゴ』で、ボクたちの言葉じゃない。だからいま『ホンヤク』してる」
「ニホン語? アドラン語でもレムリアン語でもなくて? というかカノンさん翻訳なんて言葉知ってらっしゃったのではなくてそもそもどうやって翻訳を―――ああ」
言いかけた声とともに伸びた視線で状況を把握できた。
大量に積まれた本。
『漫画』。
『小説』。
『伝記』。
そこにあるものはすべて師匠の私物であり、全てが村人でも読めるように地域の公用語『アドラン語』へと翻訳をされている。
趣味が合わずにアリシア自身はあまり読まなかったものの、確かにそこには翻訳ができるだけの情報量が存在していた。
詰まるところは、それを介して辿っていけば、ニホン語で書かれた言葉も理解ができるはずなのだ。
「……失礼致しましたわ」
「お互い様」
素直に謝る貴族の娘に間髪おかずに答える。
「それで、どういった内容ですの?」
ぺたんと隣に座り込み、アリシアは紙をぺらぺらと揺らしながら問いかけた。
「師匠がどこから来たのか。何しに来たのか。いろいろ書いてあったけど、どこにいるのかもだいたいわかりそう」
「それは、一刻も早く行きましょう!」
「それが簡単じゃないんだよ」
「どうしてですの! 足があればどこへだって行けますわ! 海でも山でも渡ればいいだけじゃないのですの!」
「そりゃそうなんだけど。この紙に書かれてることが全部ホントなら―――」
―――師匠、お空の上にいるんだと。
朝もやが揺らめく村の片隅、金髪少女は口を開いて固まった。